平成20年12月度ホームページ投稿項目

2008-11-26 14:46:34 | 琵琶湖疏水

 ホームページ(http://www.geocities.jp/biwako_sosui/)の12月分として下記5件を投稿しましたので、お立ち寄りください。

319話 分類 利用・池泉用水第25項(E-01-25)
     題目 泉屋博古館とその庭園の見学
     要旨 古代中国の美術館と11代目小川治兵衛が作庭した庭園見学
320話 分類 利用・池泉用水第26項(E-01-26)
     題目 京都府庁・旧本館の庭園見学

     要旨 7代目小川治兵衛の作庭した庭園見学
321話 分類 技術・技術全般32項(C-03-32)
     題目 田邊朔郎が疏水着工前に設計したアーチ橋
     要旨 亀岡市にある鵜川のめがね橋(王子橋)の紹介
322話 分類 文化・文化財7項(F-03-07)
     題目 山科安祥寺に由来する文化財
     要旨 東寺および京都国立博物館に安置されている3つの文化財
323話 分類 雑件・ブログ関連第1項(G-03-01)
     題目 ブログ投稿1年間の投稿件数と題目
     要旨 昨年11月から1年間のブログ投稿項目のリスト


第六回時代祭展(婦人列)開催中

2008-11-24 20:31:42 | 歴史と散策
 今年4月に「みやこめっせ」で時代祭展が開催され、明治維新時代・江戸時代・安土桃山時代と5回の展示会が開催されたあと、本番の時代祭が10月22日に開催された。そして、今回の第六回時代祭展(平安初期~江戸後期)婦人列(全)が、源氏物語千年紀特別展示と併せて11月8日~12月21日の間、「みやこめっせ」で無料公開されている。
                  
   上の写真は、見学時に無料配布される資料であるが、カラー写真と共に写真の左側にある文字列(展示物個別の明細)がついている。一例を示すと、展示人形の紫式部の衣装や小物類の詳細が詳しく説明されており、略装の小袿姿には 「蘇芳斜格子黄唐花襷浮織、裏・薄紅梅絹」の説明がついている。説明担当の人に聞くと、紫式部の衣装は今回36年ぶりに新調されたようで、その時代の再現のため京都の伝統工芸の技を駆使して努力している。展示資料解説には、紫式部・清少納言・和宮・淀君・玉蘭・蓮月・小野小町・静御前・巴御前など時代を代表する女性が登場しており、楽しく見学できた。12月21日まで展示されているので見学してほしい。次回は来年1月4日~2月8日に「室町時代-Ⅰ・室町幕府執政列」が展示される予定である。

大津市・石山寺訪問記

2008-11-22 19:55:27 | 歴史と散策

  今年は、源氏物語が記録の上で確認されてから千年を迎え、京都・滋賀各地で記念イベントが数多く開催された。滋賀県でも、比叡山延暦寺・石山寺・浮御堂・逢坂の関・慈眼堂・融神社・日吉大社・三井寺など源氏物語ゆかりの地が紹介されているが、大津商工会議所では、「源氏物語千年紀in湖都大津」と題して9ヶ月間のイベントを組み、石山寺では“源氏夢回廊”が企画された。
                   
                 石山寺内部にある看板

  源氏物語と石山寺の関係については、紫式部が新作物語の作成を命じられて着想を得るために石山寺に7日間参篭したとき、琵琶湖に映る月を眺めて源氏物語の構想が浮かんだとされ、石山寺の本堂には「源氏の間」が存在するが、この説は現在の学会で認められたものではないようである。しかし、当時の女官たちの多くが石山寺に参篭して、読経しながら一夜を明かすことが流行っており、源氏物語にも石山寺が登場するので、事実と考えてもおかしくない。(表現の一部にチラシの文章を引用)
  私は、瀬田川沿いの「水のめぐみ館・アクア琵琶」を訪問することは多いが、向い側にある石山寺を見学したのは数十年前になる。曇り空の11月10日、久し振りの訪問であったが、バスツアーの人で賑わいを見せていた。
 境内にある奇岩は硅灰石で、説明板には「石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のため変質したものである。この作用によって通常は大理石となるが、この石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは珍しい・・・・・・ので、大正11年3月国の天然記念物に指定された」と記載されている。これが石山寺の「石山」の由来であり、寺域のあちこちに奇怪な形の硅灰岩が顔を出していた。
                    
        
         硅灰岩の上部に見える多宝塔          紅葉が始まった蓮如堂横の広場

 石山寺は聖武天皇の勅願で、奈良時代後期に良弁僧正が開山した寺で観音の霊地とされ、平安時代には多くの有名人が訪れ、当時の文学にも登場している。国宝の本堂・多宝塔を始め漢書・仏像・絵巻など国宝・重文クラスの寺宝が多くあり、石山寺の最も高い位置にある豊浄殿では春と秋に寺宝を紫式部などのテーマ別に一般公開されている。
 今回の“源氏夢回廊”では、日頃は非公開の塔頭「世尊院」・「明王院」・「密蔵院」を主会場として源氏物語の企画展示があったが、時間の都合で見学できなかった。石山寺の歴史的背景を少し勉強してもう一度訪問したいと思っている。


神戸花鳥園訪問記

2008-11-18 14:24:24 | 植物と動物

 神戸花鳥園は面白い所だと聞いていたが、訪問する機会がなく、今回やっと見学を果すことができた。JR三ノ宮駅からポートライナー神戸空港行に14分乗り、ポートアイランド南駅を下車すると、すぐ横に花鳥園の入り口がある。周辺にはまだ埋立地が多く、殺風景な場所に「花と鳥の園」があるのに驚いた。
 総面積約4ヘクタール、温室面積は約16,000平方メートルの平地の中央に池があり、その周辺を四角に背高い温室が取り囲んでいた。中に入ると、空間を埋め尽くした花・花・花で驚かされ、池の周辺の散策道には珍しい鳥が歩き回っていた。その密度の濃い空想の世界に足を踏み入れ、しばし別世界を楽しむことができた。

 このようなテーマパークを造った人物を紹介すると、桃山時代の昔から掛川の地で庄屋を務めた加茂家出身の加茂元照さん(1930年生れ)が、大学を中退して広い敷地を利用して「加茂花菖蒲園」を開園し、珍しい植物や動物の生態の調査蒐集に努め、“花の下で鳥たちと遊ぶ「花鳥園」を順次4箇所に建設したのである。
現在の名称         開園年          場所           
加茂花菖蒲園      昭和32年(1957)    静岡県掛川市  
富士花鳥園       平成02年(1990)    静岡県富士宮市
松江フオーゲルパーク  平成13年(2001)    島根県松江市
掛川花鳥園       平成15年(2003)    静岡県掛川市   
神戸花鳥園       平成18年(2006)    兵庫県神戸市       

 最初の加茂花菖蒲園は季節開園であるが、資料をみると以下の4ヶ所は個別の特徴はあるが、基本的には同じスタイルのようである。神戸花鳥園の特徴を配布資料から引用紹介すると、
①園内全体が平地で、完全にバリアフリーで、すべてのトイレ(60室)に車椅子が入れる大きさがあり、高齢者や障害者対応に留意している。
②乳幼児用ベビーカー貸し出し、授乳室、救急室などの対応に留意している。
③季節の花が天井から吊り下げられており、下の空間は国際会議のパーティーなど多目的に利用されており、平常はテーブルセットが置かれ、見渡す限りの大きな食堂になる。
④北口(駅側)から入ると、世界のフクシア200種が天井から吊るされ、一年中花が咲く。
⑤中庭池にはカラフルな鳥が樹木の上や水面に浮かび、餌をねだる鳥が足元に集る。
⑥北側の温室は、広いスイレン池になっており、熱帯性スイレン100品種が一年中花を付ける。
⑦珍しいフクロウシヨーや飛行ショーが楽しめる。南側のフクロウコレクションも見所である。
⑧南に大型バス50台、普通車850台の駐車場があり、三宮駅からタクシー13分の距離にある。
                  
       
         球根ベコニア(右下)の咲く南ロビー       中庭池の中央樹木で休む鳥
        
       広大なスイレン池の風景            フクロウコレクション室にて

 このような異国の動物類を集団で飼育することは難しいと思うが、経営者の加茂元照さんは動植物育成蒐集の専門家で、とくにフクロウの研究家としては日本トップで世界にも知られた人で、フクシアについても日本のトップといわれている。園内を見学した時も、多数の作業員が植物の手入れや清掃に従事していた。最新の空調設備だ管理された花鳥園は、自然と人工を組み合わせた休息の場として今後の成功を期待したい。最後に一つ、“フクロウの眼玉は動かないので周囲を見るため首を大きく振る”ということを覚えた。愛嬌のある顔とすばやい動作を忘れることはできない。


吉村作治の新発見!エジプト展見学

2008-11-11 18:23:57 | 歴史と散策

 先月末「吉村作治のエジプト展」を見学した。吉村先生は私のあこがれの先生である。
  私は、少年時代から考古学者になることを夢見て、古墳と名のつく山野で「矢じり」の発見に駆け巡ったが、太平洋戦争下のため止むを得ず化学の道を選んだ。
  吉村先生は1943年生まれで、早稲田大学在学中に古代エジプト調査隊を組織して、アジア人初の調査探検を実施し、1968年にはカイロ大学考古学部に留学し、卒業後本格調査を実施して相次いで新発見を繰り返し、エジプト考古学界で確固たる地位を築いていった。
  テレビ出演や展覧会で知名度の高い先生であるが、先生も少年時代にツタンカーメン王の墓を発見したハワードカーターの「ツタンカーメン王の秘密」を読んだのがキッカケでエジプト考古学の道に進んだという。私も昭和40年(1965)にツタンカーメン展を見学して、エジプト文明の偉大さに感激したことを思い出した。

 今回の展覧会は、2007年に発見された未盗掘・未開封のミイラと国立カイロ博物館所蔵品と共に『美術館「えき」KYOTO』で展示されている。
                
 最近の考古学の世界は、新しい機器の活用で発見や発見物の解析に革命的な発展を遂げているが、吉村先生もエジプト考古学の世界に日本の進んだハイテク技術を導入し、百万分の一の確率といわれる多くの新発見と新解明に成功した。例えば、
   人工衛星の画像解析を利用した新遺跡の場所特定
   電磁波レーダーによる地下遺構の探査
   RCヘリコプターによる探査実験
   コンピューターグラフイックによる立体図の作成やX線画像による解析…など

 先生の新発見の中で、私が興味を持つ「太陽の船」の話題を紹介したい。
                 
 来世の世界へ太陽神「ラー」と最後の旅をするために建造されたレバノン杉製の最古の木造船「太陽の船」が1954年にクフ王のピラミッドの東側に解体されて収められているのが発見された。その後十数年かけて650個に分解された全長43mの船が組み立てられ、クフ王のピラミッドの南側に建てられた「太陽の船博物館」に展示されている。
 吉村隊は1987年に、電磁波レーダーでクフ王の大ピラミッド内部に未知の空間を発見し、つづいて南側に「第二の太陽の船」を発見したのである。今回の展覧会に二つの「太陽の船」の模型が比較展示されてあったが、これを見学してエジプト文明の底の深さに、その場を動けなくなった。


秋の東寺庭園を楽しむ

2008-11-07 20:53:26 | 歴史と散策
 東寺は、平安京造営時の面影を残す真言宗総本山で、世界遺産に指定された京都を代表する寺院の一つである。かなり前に訪れた機会があったが、今回は二つの興味対象があった。一つは七代目小川治兵衛の作庭した庭園、もう一つは山科・安祥寺ゆかりの像が安置されている観智院の見学であった。今回は庭園について取り上げた。
 
 京都新聞に連載された「探訪・京滋の庭(02-10-30、73号)」に「東寺庭園」の紹介があり、この中に“造園の時期は定かではないが、室町時代後期の拝殿図には瓢箪池が描かれている。昭和初期には造園家・小川治兵衛によって現在の庭の原型が形作られた。近年まで辺りはうっそうとした木々に包まれていたが、十年ほど前から庭木を中心に整備を進め、開放感あふれる姿へ趣を変えた”と記載されている。
           
  入場時のパンフレットより配置図を借用したが、緑のゾーンが東寺庭園で、3つの池の最大が瓢箪池であり、南(下)に五重塔、北(上)に宝物殿、西(左)に講堂と金堂がある。今回は、東寺庭園をくわしく見学することはできなかったが、近代庭園の面影が濃く、四季の花が楽しめる樹木が多く、秋の紅葉が始まりを見せていた。
 配置図の中央左手に本坊を示す区画があり、その中に東寺の迎賓館といわれる「小子坊」がある。弘法大師生誕千百年御遠忌を記念して、昭和9年(1934)に再建された建物で、昭和6年(1931)に七代目小川治兵衛「小子房庭園」を作庭したと年表(植治の庭・小川治兵衛の世界より)に記載されているが、再建の1年前に治兵衛は74歳で亡くなられており、最後まで作庭に関与できなかったと考えられる。私の想像であるが、瓢箪池のある「東寺庭園」の作庭にも、この時期に関与されたと考えている。細部については「小子房庭園」の見学できる機会を見つけて考察してみたい。