平成22年1月度ホームページ投稿項目

2009-12-28 23:22:58 | 琵琶湖疏水

 ホームページ http://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の1月分として、次の5件を投稿しましたので、ご覧下さい。

372話 分類 散歩道・蹴上周辺・15項(B-03-15, 09-11-24)
     題名 蹴上疏水広場の施設と写真の整理―1
     要旨 蹴上疏水広場のインクライン頂部周辺の施設と写真のまとめ

373話 分類 散歩道・蹴上周辺・16項(B-03-16、09-11-25)
     題名 蹴上疏水広場の施設と写真の整理―2
     要旨 蹴上疏水広場の中央から西寄りの施設と写真のまとめ

374話 分類 散歩道・鴨東運河・21項(B-04-21、09-11-29)
     題名 鴨東運河の施設と写真の整理―1
     要旨 南禅寺舟溜りから慶流橋近辺までの施設と写真のまとめ

375話 分類 散歩道・鴨東運河・22項(B-04-22、09-12-03)
     題名 鴨東運河の施設と写真の整理―2
     要旨 二条橋から鴨川合流点までの施設と写真のまとめ

376話 分類 利用・池泉用水・32項(E-01-32、09-12-02)
     題名 非公開庭園・清流亭と桜鶴苑の見学記
     要旨 京都知恵博主催の庭園散策イベントで掲題の2庭園を見学


水上バス「アクアライナー」で大川(旧淀川)を楽しむ

2009-12-15 12:29:18 | 歴史と散策

 11月4日、大阪の「アクアライナー」で1時間の船旅を楽しんだ。淀屋橋から出発して大阪城・中之島めぐりをして淀屋橋に戻るコースであるが、船から眺める大阪の街の姿は格別であった。
「アクアライナー」は、長さ28.5m,100人を越える大型船で、ウオータージェット方式で推進し、低い橋をくぐる時は屋根が下る。大阪には橋が808もあると聞くが、橋を裏から見るとそれぞれ特徴があり、縦横斜めに架かる橋の数に圧倒された。
      
      淀屋橋の乗船場              船から見た大阪市中央公会堂

 大阪には「アクアライナー」の他に水陸両用バスが走っており、道路から運転手が交代して川に入るコースがある。陸上70分、水上30分、合計100分の旅が楽しめる。この他にグルメ・ミュージック船があり、ホテル並みの料理が味わえる。
      
       水陸両用船                グルメ・ミュージック船

  中之島公園も整備され、京阪電鉄も中之島の奥まで通じた。琵琶湖疏水の水が鴨川・宇治川・淀川経由大阪湾につながっている。京都から大阪までの船旅の再現は難しいかも知れないが、断続的でもよいからこのルートに注目していきたい。


14回開催された「時代祭展」を終えて

2009-12-06 17:12:57 | 歴史と散策

 平成20年春から平成21年秋にかけて14回にわたる「時代祭展」がこのほど終了したが、私は京都の伝統産業技術を駆使し、最新の情報にもとづいてその時代の風俗・習慣を維持する姿を観る為、そのすべてを見学することができた。大学の有名教授の連続講座を受講し終えたという感想である。

 1 08-04-05~ 明治維新時代・・・・維新勤王列・維新志士列
 2 08-05-17~ 江戸時代―1・・・・・徳川城使上洛列
 3 08-06-21~ 江戸時代―2・・・・・江戸時代婦人列
 4 08-07-26~ 安土桃山時代―1・豊公参朝列
 5  08-09-06~ 安土桃山時代―2・織田公上洛列
 6 08―11-08~ 明治~平安時代・・婦人列すべて
 7 09-01-04~ 室町時代―1・・・・・室町幕府執政列
 8 09-02-14~ 室町時代―2・・・・・室町洛中風俗列・中世婦人列
 9 09-04-04~ 吉野時代・・・・・・・・楠公上洛列
10  09-05-16~ 鎌倉時代・・・・・・・・城南流鏑馬列
11 09-06-20~ 藤原時代・・・・・・・・藤原公卿参朝列
12 09-07-25~ 平安時代・・・・・・・・平安時代婦人列
13 09-09-05~ 延暦時代・・・・・・・・延暦武官参朝列・同文官参朝列
14 09-11-14~ 神幸列・・・・・・・・・・神饌講社列・前列・神幸列・弓箭組・白川女献花列

 毎回「みやこめっせ」の地下会場に人形と装束の実物が展示され、終日TVで時代祭の行列は放映され、解説者1名が配置されて質問に対応していた。配布された資料(無料)はA3サイズ2つ折れのフルカラーで、列に参加する人物の写真、と装束明細リストで、改めて時代祭の奥の深さを実感させていただいた。また、日本の歴史に弱い私にとって大きい収穫であった。
 今年の時代祭は10月22日に開催され、約2000人、約2kmの大行列を資料と対比しながらゆっくり楽しむことができた。また、各行列の維持保全を分担している地域の皆さんの努力に感謝の意を表するとともに、今後も見学をつづけたいと思っている。


岩倉具視と岩倉実相院について

2009-12-03 20:57:42 | 歴史と散策

 私は明治4年(1871)に1年半かけて欧米に派遣された「岩倉使節団」の成果が明治維新に与えた影響について興味があり、HPで考察を述べてきたが、岩倉具視が死去したのが明治16年(1883)で、北垣京都府知事が琵琶湖疏水計画の政府への陳情を開始した時期に一致している。
 岩倉具視は帰国したあと鉄道敷設事業の推進に注力したので、水運への興味の程度はわからないが、琵琶湖疏水の世界では、計画を推進した公家は三条実美であり、岩倉具視の話題はまったく出てこない。
 私は去る11月中旬に、紅葉の名所と伝えられる「岩倉実相院」を初めて訪れた。地下鉄「国際会館」経由京都バスに乗り、約40分内部を見学させていただいた。実相院には池泉回遊式庭園と枯山水の石庭があり、歴史の重みを感じる雰囲気の寺院であったが、とくに評判の高い「床もみじ」は若干時期が早かったようであった。
         
       池泉回遊式庭園                 枯山水の石庭

 ネットで調べてみると、岩倉具視は下級公家の家に生まれたが、上位の公家である岩倉家の養子となり、孝明天皇の近習となって政治の世界に目覚めて活躍したが、幕末動乱の時期に倒幕急進派の誤解を受け、洛中から追放され5年間も岩倉で幽閉生活を送っている。この時の住居は実相院のすぐ近くにあり、国の史跡として保存されている。
 この期間に具視は一時期実相院に滞在したことがあり、尊皇派の仲間と密談した記録が残っているそうである。その後具視は政界に返り咲き政府の最高実力者となったが、59歳で死去した。策略に長けた人物といわれており、もしもう少し長命だったら、疏水計画にどんな影響があったかと想像するとともに、幽閉された岩倉の地が洛中に近いことに驚いた次第である。