ブログ262 ベランダの観葉植物の避寒移動

2016-01-05 16:51:51 | 植物と動物

 昨日、9月から12月上旬まで我が家のベランダで目を楽しませてくれた「フウセンカズラ」の種取りをした。ツルやポールなどすべて取り払ったため我が家のベランダはすっかり冬模様になった。

   

          フウセンカズラ                                      フウセンカズラの種

  気温が急に下がったのでベランダの観葉植物類をベランダの小型ガラス温室と室内棚に避寒移動した。「シンビジウム」と「金のなる木」には2個ずつつぼみがついており春が楽しみである。我が家にはたくさん金のなる木の鉢があるが花が咲くことがなかった。聞くところによると「金のなる木」には花のつく種類とつかない種類があるそうだ。10年ほど前に滋賀県長浜の盆梅展を見学に行った折、昼に立ち寄った寿司屋にあった「金のなる木」が満開であったため何枚か差し芽用の葉を分けてもらい、去年初めて花が咲いた。今年もつぼみが見られ春が待ち遠しい。

  

             ベランダの温室へ移動した不夜城             室内へ移動したシンビジウム・サンスベリア・木立ベゴニア

 

              シンビジウムのつぼみ                               金のなる木のつぼみ

 


京都府立植物園の花ハスを見学

2012-08-02 23:02:13 | 植物と動物

   気温が体温を越える暑さの毎日で、外出の機会が極端に少なくなるこの頃であるが、京都花蓮研究会が植物園で7月10~8月19日の期間「花ハス展示会」を開催しているという新聞記事に誘われて、家族3人で見学に訪れた。植物園の北山門入り口で、係員にベストコースを相談した結果、日射を避けて右手の針葉樹林への道を進み、途中から左手の「半木の森」への道に入り、半木神社を囲む最初の池に突き出した小屋風の展望コ-ナ-で「満開の白ハス群」を見学し、そのあと改装された「四季 彩の丘」に並べられた180種200鉢のハス(本日の花付きはよくない)を鑑賞するコースを薦められた。

 

    池に群生する白ハス 2012-07-27-4958                 鉢植えの赤ハスの大輪  2012-07-27-4963

 

 展示会場に「ハスは日本の花か?」というパネルがあり、“昔は、ハスの伝来は仏教の伝来とともにインドから日本に伝わったという説が有力であったが、2000年以上前の地層から蓮の種子が発見されたり、7000万年前の化石から発見された結果、現在ではハスは古来から日本でも自生していたと考えられている。しかし、稲作の導入で湿地帯の開墾や開鑿が進み、ハスの自生地が失われていった”と解説している。

  もう一枚のパネルでは、「ハスとスイレン」との違いについて解説している。“今までの考え方では同じスイレン科の植物として分類されていたが、近年の遺伝子配列による分類では、両者はかなり縁の遠い植物であることがわかってきた。

  また、ハスの根は“レンコン(蓮根)”といって食用しているが、スイレンの根にはハスのような穴は開いていないし、スイレンの葉には切れ目があるが、ハスの葉にはない。

  このように、植物の進化には環境の変化や共生する動植物の変化などから思わぬ変化が起こっている。東南アジアでは、ハスの花托(緑色)を野菜として生で食用する習慣があり、また出来た種子を土中で長期間発芽能力を保持できるよう堅い茶色の皮で保護されているという。ハス文化の広がりは各地に根付いていることを実感した。

 

 初期の緑色花托は食用に 2012-07-27―146                 堅い皮の穴にハスの実 2012-07-27-147 


京都教育大学の「まなびの森」にあるメタセコイアの説明板

2012-07-31 14:15:08 | 植物と動物

  中国の中・南部に自生する針葉樹で、1948に静生生物研究所の胡博士と南京大学の鄭教授によって記載されました。属名Metasequoiaは後述のように化石に基づいて日本で付けられた名前で、種名のglyptostroboidesは中国の水松Glyptostrobusに似ていることから名付けられました。成長が早く円錐形の見事な樹形を示すことから、各地で植えられています。本学のものは1966年ごろに植えられたもので、当時は樹高2mほどのものでした。
 メタセコイアの化石(Metasequoia distica)は日本列島各地の新生代第3期の地層から化石として産出します。また、日本のみならずカナダ北部やシベリア、グリーンランドなど北半球の北極周辺に広く分布していたことが知られていて、第三紀周北極植物群の代表的な樹木として位置づけられています。
 周北極というと寒冷な気候を思い浮かべてしまいますが、温暖で湿潤な気候で生育するものです。また新生代第四期になると地球全体が寒冷化して、氷期と間氷期がくりかえす時代になりますが、近畿地方ではこの寒冷期に伴って絶滅してしまいます。
 かってメタセコイアの化石は北米東海岸で巨木になるセコイア属あるいは湿潤なところに生育するヌマスギ属の仲間と考えられていましたが、1941年、当時京都大学にいた植物学者三木茂博士によって、セコイア属やヌマスギ属とは異なる新しい属として命名されました。このように化石から命名されたメタセコイアは地上から絶滅したものと考えられていたのですが、同じく中国の研究者によって長江(揚子江)の上流部四川省の奥地で発見され、1948年には新種記載がされたのです。
  日本の各地でみられるメタセコイアは、中国からアメリカに贈られたものが、さらに日本にもたらされたものです。このようにして生きている化石は再び日本の各地によみがえりをしたのです。 


 注記 過去に各地にあるメタセコイアの要旨を報告してきたが、今回訪問した伏見区の京都教育大学の「まなびの森」内にある説明板の記述が一番詳しかったので、記録のために全文紹介したものである。
    なお、説明板には写真や絵図がついているので、全体像を次頁に添付した。
     正門の守衛に場所を確認しておく方がよい。


      
         メタセコイア説明板 2012-06-25-4948                         校内全体図(説明版は中央下部) 2012-06-25-4942

        
               メタセコイア並木道の外観 2012-06-25-4946                   2012-06-25-4946拡大写真

 


伏見区の「森林総合研究所・関西支所」のメタセコイア並木道

2012-05-23 01:14:14 | 植物と動物

 メタセコイアについては、本ブログ242号(2011年11月28日分)で滋賀県「マキノ高原500本並木道」、武田薬品「京都薬用植物園」、日本新薬「山科植物資料館」の3ヶ所の紹介をしているが、今回は、伏見区にある独立行政法人「森林総合研究所・関西支所」にある並木道について紹介する。森林総合研究所の全体像についてはホームページ(C-02-05)に近日中に詳しく紹介する予定であり、日本にふたたび伝来してきた過程もブログ(242)に報告しているので、ここでは新しい情報を中心にまとめた。

 建屋への導入道路の両側に数十本植えられて約60年経過しているが、成長が早いので周辺を圧倒する太さと高さになっている。公開施設「樹木林」前の説明板を示すと

地球上から絶滅したかと思われていたメタセコイアは、1945年に中国四川省の奥地で発見され、「生ける化石植物」とも呼ばれている。中国では水分の多い谷間に生育していることから「水杉」とも呼ばれており、日本には1949年に持ち込まれ、ここの並木は1955年に植えられたものである。この木の用途は軽くてもろいため建築材としては利用されず、庭園樹として多く植えられている。

 ここに植えられた1955年はマキノ高原と同じ時期である。嬉しかったのは公開施設「学習室」にメタセコイアの化石の実物が展示されていたことであった。

      

      メタセコイアの化石                 メタセコイアの球果

             メタセコイアの化石 説明板

 当支所の並木になっているメタセコイアは、1945年中国四川省で発見されるまで、化石として知られていただけであった。この化石は第三紀(200万年~4000万年前)に日本で繁茂していたものが地中に埋没し、地下水に溶けたケイ酸塩がしみ込み、つくられたものである。

 球果の中に約20箇の種子ができ、種子は10月頃に熟してこぼれ、風に乗って飛んでいく。数百万年前の化石と次世代の球果(種子)の両方を初めて見学できた旅であった。


昭和に伝来した樹木「メタセコイア」の話題

2011-11-28 22:08:34 | 植物と動物

  平成23(2011)年度は、武田薬品工業KKの「京都薬用植物園」と日本新薬KKの「山科植物資料館」を見学させていただいた。両植物園とも最長樹高の樹木はメタセコイアで、前者の樹齢は60歳、後者は65歳と伺った。山科植物資料館のメタセコイア(和名アケボノスギ)は周辺の住宅化が進み、近隣マンションの高さに切断したと聞いたが、恐るべき成長速度である。
 
  メタセコイアの命名者は日本の三木茂博士で、昭和14(1939)年に関西地方で化石として発見、1941年に学会発表され、絶滅種の樹木とされていたが、数年後の1945年に中国四川省に現存することが判明し、「生きている化石」と話題を呼んだ。日本への伝来は、昭和24(1949)年アメリカのカリフオニア大学のチエニー博士が天皇に四川省の苗を献上したのが最初で、その翌年届いた苗が全国に配布されたという歴史の浅い樹木である。

  関西地区で一番有名なメタセコイアは、琵琶湖の北端に近い滋賀県高島市に存在する「マキノ高原のメタセコイア並木道」である。今秋は、メタセコイアの思い出の締めくくりとして見学する機会を得た。
                         
 この並木道は、県道に沿って延長2.4kmにわたって約500本が植えられている。説明版によると、この並木は、昭和56(1981)年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてマキノ町果樹生産組合が植えたのがはじまりで、その後も植え継がれてから約30年で現在の雄大な姿になったものである。
 この並木道は、1994年11月に読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定された。もう1ヶ所、新潟県豊栄市朝日町のメタセコイア並木が選定されているが、ここは1km・186本であるから、滋賀県高島町の並木道は日本随一の「メタセコイア並木道」である。この並木道は、春の芽吹き・新緑・夏の深緑・秋の紅葉・冬の裸樹と四季折々に美しく、円錐形のメタセコイアの並木とまっすぐに伸びる道路が造り出す対称敬形の整った景観はすばらしいと紹介されている。


珍しい植物「瓔珞(ようらく)筒アナナス」の紹介

2011-05-15 22:40:15 | 植物と動物

 私のマンションのベランダに名前のわからない植物が2鉢あった。同じ区内に住んでいた老婦人(故人)から頂いたもので、鑑賞植物のアナナスの一種と聞いていたが、時々の水やり以外手入れをせず、数年前に葉を根元からカットしたので、その存在すら忘れかけていた。ところが、今年は直径15cmの2鉢に20本の花をつけた。
 花の形が珍しいので、くわしく調べてみたら「瓔珞(ようらく)筒アナナス」であることが判明した。
 「アナナス」とは南米ペル-語で、パイナップル科に属する多年草の呼称であり、中南米の森林の樹上や岩石などに着生する植物類の呼称である。「瓔珞(ようらく)」とは、印度の貴族が身につけたアクセサリーの呼称であったが、仏教に取り入れられ、菩薩以下の仏像に首飾り、胴飾りとして用いたり、仏壇や仏堂の装飾の一つに利用されているものの名前である。写真を貼付すると、
    
     2011-05-14-4089  鉢植えの側面図                                2011-05-14-4097  花と葉の部分の拡大図

 葉は厚く細長くて硬質であり、葉の基部が重なり合って筒状になり、養水分をためるタンクの役割をしている。花の基部は桃色筒状で、苞も桃色、花被は黄緑色、縁取りが青紫色という奇妙な配色である。うつむいて揺れる姿も珍しく物静かである。
 この植物の雄蕊と雌蕊の生育の時期がずれて、自分が自分で受粉させないようになっており、雌蕊の受粉が可能になると雄蕊は枯れてしまうと説明されている。よくわからないが、複雑な進化の過程を経てきた植物と推定される。
 昭和の初めに日本に伝来したが、耐寒性があり、ベランダに放置しても枯れることはない。夏から冬を越して春になるとき、どうなるか初めての観察になるので、楽しみにしている。


山科駅前の街路樹「ユリノキ」の由来

2011-01-16 23:24:24 | 植物と動物

 京都山科駅前から三条通に至る南北の道路の両側に「ユリノキ」が植樹されている。京都市の街路樹は、イチョウ・トウカエデ・スズカケの木・サクラ・ケヤキなど約49000本が植えられているが、「京都市情報館」の記録によると、「ユリノキ」は京都市が採用した最初の近代的街路樹であり、明治45(1912)年に福羽子爵が大森京都府知事に贈った「ユリノキ」を烏丸通(京都駅~丸太町通)に植えたのが最初と記されている。
 福羽逸人子爵(1856~1921)については、神戸の須磨離宮公園の設計者として私のホームページに詳しく紹介しているが、新宿御苑(当時新宿農学所)を育てた人物としても知られている。私が東京単身赴任中によく訪ねた新宿御苑で一番高い木(高さ35m、幹径3.9m)は「ユリノキ」であり、その秋の黄葉は見事であった。
 説明板によると、明治9(1876)年ころ明治政府が学監として招いたアメリカ人学者モレ―が東京大学の伊藤圭介教授にユリノキの種子を贈り、その一部を新宿農学所で育てたのが日本に伝授された最初である。農学所の指導者であった福羽逸人氏が明治40(1907)年に採取された種子から大量の街路樹用苗をつくり全国に配ったという記録もある。
 これで話は繋がったが、山科駅前に採用された経緯は未調査である。
   
    2010-11-18-3063  山科駅前のユリノキ街路樹                                    2010-12-13-3343 半纏の木

 「ユリノキ」の名の由来は、ユリの形をした小さい花が5~6月に咲くことから名付けられたが、英名はチュ-リップツリー、米名はイエロウポプラと呼び、日本では葉の形が昔の着物の上に着る半纏(はんてん)に似ていることから半纏木と呼ばれることもある。
 街路樹としては大きいサイズの落ち葉の処理が大変で、採用されている場所が少ないが、
後始末をしながら季節の変化を楽しむ事ができて面白いと言う人もいる。
 近代的な外国由来の街路樹「ユリノキ」は日本最初で京都最初であり、これが山科駅の正面通(外環状線)に採用されたことは自慢できそうな話である。5~6月になったら、見上げて花の形がユリに似ているかチューリップに似ているか確認していただきたい。

 


平安神宮の「左近の桜」の狂い咲き

2010-11-01 23:47:17 | 植物と動物

 10月19日のNHK朝の放送で、平安神宮の「左近の桜」の花が50輪ほど咲いたと報道した。また、9月24日の京都新聞では、府立植物園の桜林でもソメイヨシノ中心に異変が起き、9月下旬から落葉が目立ち、まるで初冬のような風景と報道した。その原因の一つが夏の猛暑である。専門書を読むと、一般に桜は4月に咲いたあと、夏に蕾ができて休眠状態に入り、冬に入って一定の寒さがつづくと休眠から目覚めて開花の準備を始め、翌年春に開花すると言われている。
 今年は、猛暑に加えて雨が少なく早く落葉し、落葉によって蕾の休眠を維持するホルモンが失われて、秋に狂い咲きを起こしたと説明されている。若干の予備知識を持って24日に平安神宮を訪れて見学した。
  
    10-10-24-8  両側の低い位置に桜が開花               10-10-24-13  左近の桜の全景

 朝9時過ぎの訪問であったが、驚いたことに開花した桜の写真を撮る行列が出来ており、あわてて撮影したのでピンボケとなってしまった。隣の人に「どこから?」と尋ねたら、「東京から」であった。ラジオ放送にあったので、奈良・京都の一人旅のコースに「平安神宮の左近の桜」の見学を入れたという。改めて情報の広がりに驚いた次第である。
 「左近の桜」は野生種の桜で、調べたら「アカメオオシマサクラ」と判明した。ついでに「右近の橘」を覗いたら、ミカン状の果実が3cmくらいに育っていた。
 「左近の桜」の駒札を読むと、「平安京時代より紫宸殿の南階下の東方に桜が植えられ、儀式のときには“左近衛府”の官人らが、その側に列したことから“左近の桜”と名付けられた」と記載されている。
 今回、国の重要文化財指定の答申を受けた「大極殿」に向かって見ると、右側にあるのが左近の桜となるが、京都御所に向かって右側が左京区になっているのと同じである。
 京都御所の紫宸殿の玉座から見て、左側に「左近の桜」が存在するが、見学者が紫宸殿
の建屋を見ると、右側に「左近の桜」が存在する。くどい説明で恐縮であるが、京都の歴史の重さを感じる話題である。


秋に咲くサクラの話題

2010-10-03 03:20:08 | 植物と動物

 専門書を開くと「サクラは一年中咲いている」と書かれている。サクラの歴史の権威と呼ばれる小川和佑氏の著書「日本の桜・歴史の桜」から、筆者の理解(責任)でその記載の一部を要約引用すると、
 1月は沖縄のカンヒサクラ、3月は伊豆の河津サクラ、4月はソメイヨシノが日本列島を北上し、ヤマザクラが咲き、5月には北海道のオオヤマザクラ、6月には高い山々に咲くミネザクラ、紅葉の10月には十月サクラが11月まで咲きつづけ、12月には冬サクラが咲く。
 また、「さくら雑学事典」という詳しいネット情報があり、ネパールに咲く秋桜を訪ねて旅行した記事と写真を拝見したが、京都新聞(04-12-11)の情報によると、元東京農大教授・染郷正孝氏は、「サクラの原産地はネパール、もともと高地の秋に咲いていたサクラが、日本に北上する過程で、冬に冬眠し春に咲くようになった」と指摘している。
 私も素人ながらサクラの雑学に興味があり、日本各地のサクラに関する情報を集めているが、秋咲きのサクラで注目されている愛知県豊田市小原町「四季サクラ」を紹介する。

 このサクラは、小原地区の医師・藤本玄碩が文政年間(1,800年代初期頃)に名古屋方面から苗を求めて植えたのが親木となって広まったもので、「四季サクラ」と呼ばれている。エドヒガンとマメザクラの種間雑種で、春に少し咲き、秋には10月初めから咲き始め、11月中旬から12月上旬が見頃である。現在では8,000本あって、10万人規模の観光客が訪問するという。
 この地区は標高300m以上の高地で、南に向かって傾斜している立地にあり、染郷教授は“先祖返り(ネパール地区?)のサクラ”と呼んでいる。黄葉のイチョウや紅葉のカエデと並んで咲く「四季サクラ」は観光的にもインパクトがある。
 場所は…名古屋から名鉄豊田市駅下車、名鉄バス木瀬ゆきで終点木瀬下車、おばらバス上仁木行きに乗り換える(合計1時間)、車なら東名高速名古屋IC利用、猿投(さなげ)グリーンロード中山ICから国道419号を瑞浪方面へ30分“と紹介されている。

 サクラの植樹は育てやすいソメイヨシノが中心となっているが、京都市近辺でも町おこしのテーマとして、秋に2ヶ月間咲きつづける「四季サクラ」の植樹を考えてはどうかと思うこの頃である。


棕櫚竹(シュロチク)の花が咲いた

2010-08-05 17:30:33 | 植物と動物

   我が家の玄関の外に三鉢の棕櫚竹がある。マンションに移って10年になるが、その前の家から存在していたので、おそらく30年近く存在している。最初は一鉢であったが、1回だけ株分けして三鉢にした記憶がある。親の棕櫚竹は成長して3mくらいの高さになっているが、子の棕櫚竹は1mくらいで成長が遅い。
   棕櫚竹は、観音竹と同じ椰子科で、葉の幅の広さで区別され、我が家にも両方存在した時期があったが、観音竹は知らぬ間に姿を消した。
   棕櫚竹の手入れはしたことがないが、家内はときどき牛乳箱の洗い水を与えている。
   本を読むと、棕櫚竹の原産地は中国南部から台湾あたりで、日本でも耐寒温度は10度と書いてあるが、京都山科地区の冬は寒く、零下5度くらいになる。屋外であるが、玄関の小屋根の下に置いているので、何とか生き延びている。
 今年の7月18日、3mの高さの親鉢の薄黄色の花が咲いているのを初めて発見した。

                         
                 2010-08-04-001  初めて咲いた棕櫚竹の花

   
一般に竹に花が咲くと、枯れる前兆といわれるが、棕櫚竹は葉が棕櫚に似て茎が竹に似ていることから呼称されており、竹と違って花が咲いても枯れる心配がないようである。ネットで調べてみると、20年ぶり、30年ぶり、80年ぶりに咲いたという情報がある。花言葉は“思慮深い”というが、1週間足らずで、花は枯れてしまった。

 花が咲いても実ができる様子もない。本ブログ-47(08-07-05)で、観葉植物「虎の尾」に咲いた花を紹介したが、これらの花の役目を教えてほしい。