世界遺産となっている蘇州の古典園林

2011-06-21 18:28:51 | 琵琶湖疏水

 上海郊外にある蘇州の町は、中国の中でもっとも訪ねてみたい町である。13世紀にマルコポ-ロが蘇州を訪問したとき、“東洋のベニス”とたたえた運河網がある町として知られている。運河にかかる橋は煉瓦製か石造りのアーチ型をしており、現在も小型の舟運が輸送手段として利用されている。歴史的にみるとベニスより古く、独自の雰囲気と景観に富んだ町であるが、現状では運河と住民の生活環境が混在し過ぎているので、世界遺産を目指す道はけわしいようである。
 
  この町のもう一つの特徴は、昔の各時代の富裕層がこの地に別荘を構え、その数は170ヶ所を超えるといわれているが、この中の4庭園が平成9(1997)年、5庭園が平成12(2000)年に世界遺産に認定されている。「古典園林」には時代の異なる庭園が含まれているが、日本の古代庭園も各時代の特徴を有しており、水資源に乏しい京都では水流を砂で表現した枯山水庭園が多く造られた。
 しかし、京都でも明治に入り琵琶湖疏水が通じてから、東山一帯には疏水の水を引いた近代庭園群が出現した。蘇州運河を琵琶湖疏水とし、古典園林を近代庭園として比較すると何か共通点があるように思える。
 私は京都東山地区に存在する疏水利用の近代庭園と木造建築との調和を主張した庭園群を見学するたびに、日本にしか存在せず、世界に通用する遺産群であると確信を強めている。蘇州の古典園林の詳しい情報に接したことはないが、大型庭園の維持管理には莫大な費用がかかるといわれている。京都市と蘇州市との庭園を中心とした交流があってもよいと考えるこの頃である。


微細藻類で日本が産油国になれるビッグな話題(1)

2011-06-13 06:38:53 | その他

 筑波大学・生命環境科学研究科の渡辺信教授が、石油生産能力の飛躍的大きい藻類「オ-ランチオキトリウム」を沖縄で発見したというニュ-スを昨年発表してから評判となり、日本新党の田中康夫代表が衆議院予算委員会の代表質問で取り上げ、人気テレビ番組「そこまで云って委員会?」でコメンテ-タ-の勝谷誠彦氏も繰り返し紹介し、渡辺教授の姿もテレビで拝見したので、少し予備調査を実施してみた。専門外の私が充分な解析をせずにまとめたもので、間違った解釈をしていたらお許しいただきたい。

1) 石油の起源については、有機起源説や無機起源説などいくつかの説があるが、ここでは藻類や植物系の有機物が酸素の少ない海底に堆積し、長い年月かけて石油に変化したものと説明され、地球が何億年もかけて作った石油を、科学の力で短時間に効率よく生産する技術開発の成果が「藻類バイオ燃料」と説明している。
2) この研究は、1970年代から米国エネルギ-省が巨額(総額1兆円規模)の資金をかけて関連民間企業中心に進めており、商業化を目指した大型テストプラントで試作した藻類バイオ燃料でジェット機を飛ばす段階となっている。世界の主要研究所でも取り上げられているが、製造コスト面での競争性に難題を抱えていた。
3) 日本でも多くの研究機関で取り上げられ、1990~2000年には旧通産省の参加した「地球環境産業技術研究機構」を作って約122億円を投じて藻類研究を進めたが撤退した経緯がある。そのご政府レベルの動きがないまま現在に至っていた。
4) 筑波大の渡辺信教授は、過去40年間あまり世界の藻類の研究を進めてきたスペシアリストであるが、昨年沖縄近辺で、当時のオイル生産最高能力を持つ「ボトリオコッカス」の10倍の生産能力を持つ「オ-ランチオキトリウム」を発見したと発表した。
5) 世界には約15万種の藻類が存在しているが、今度発見された新種は条件を選ぶと4時間で倍増することができ、光合成でなく有機物を餌として炭化水素系オイルを生産する。渡辺教授は、工業化面の工夫が必要であるが、近い将来輸入石油に代替できる可能性があると示唆した。
6) この技術開発が成功すれば、近い将来枯渇が予想される石油の世界市場(250~300兆円規模)を根底から揺るがす課題となる。日本は石油のほぼ全量を輸入に頼っているので、波及効果を含めると大きい夢のプロジェクトである。
昨年6月に産官学が共同で開発を進める「藻類産業創生コンソ-シアム」がスタ-トし、日本企業や大学の研究機関の多くが参加して実用化研究体制ができ、国が主導している海外の先行研究体制を追撃する組織が完成した。
6)最近渡辺教授が提唱する「有機物含有排水処理とオイル生産」システムでは、家庭や工場から排出される有機系排水の一次処理工程で有機物を補食するオ-ランチオキトリウムによるオイル生産、二次処理工程でポトリオコッカスの光合成によるオイル処理、両工程から排出される藻残渣をメタン発酵に利用して家畜の餌にすることを提案している。
7)日本の石油必要量を年間2億トンとすると、面積は2万hr、深さ1mの培養面積が必要と試算されるが、現在存在する休耕田のわずか5%あればよいし、炭化水素系石油であるから、既存の石油精製施設が活用できるし、燃料用だけでなく繊維やプラスチックなど化学製品用にも活用できる。今度の大地震で塩害を受けた東北地区の田圃は塩分除去が必要となっているが、塩分に強いオ-ランチオキトリウムの培養には心配いらない。
8)海底油田探索や他の代替エネルギーの研究開発にも大きく影響するテ-マであり、渡辺教授の推定では10年くらい先には実用を目指したいとしている。
 技術開発面から見ると難しい課題はなさそうであるが、原料有機系排水の調達・製造オイルの需要先への搬送・大量残渣の処理問題など物流面の問題、オ-ランチオキトリウムに勝る藻類の出現による独占可否問題、他社の特許面からの制約の有無、既存石油資本による妨害の有無、他の研究との競合性など心配の種は残っている。

 渡辺教授は、現在地球上に存在する生物のすべてが藻類によって形成されおり、原点に帰って取り組むべき最重要研究テ-マであるという主張には説得力がある。
 たまたま本日の「そこまで云って委員会」番組で、注目される原発代替のエネルギーとして注目される4種(メタンハイドレ-ト、液体トリウム原発、芋エネルギ-の活用、オ-ランチオキトリウム)の技術が取り上げられ、研究者が熱弁をふるった。オ-ランチオキトリウムを「オ-ランチキチキ」と名付けて、今年の流行語大賞を狙うという話しも飛び出した。おそらく1~2年後には成功可否の見通しがつくと思うので継続して注目していきたい。


四ノ宮舟溜りの周辺に出没するイノシシの話題(3)

2011-06-07 12:06:54 | 琵琶湖疏水

 山科疏水の周辺ではイノシシが出没する話題が多く、とくに昨年は山地におけるイノシシの食物が不足して、民家周辺まで餌を求めて降りてくる話題は絶えなかった。
 昨年8月に、四ノ宮舟溜り周辺の散歩道にイノシシの子供が毎朝出没するので、本ブログ184号(2010-09-06)で紹介したが、約80日経過した時にやや成長したイノシシを見かけたとの情報で、写真を添えて本ブログ197号(2010-11-30)に紹介した。
 今年の1月5日の夕方、同じ場所でイノシシを見たと連絡を受けたが、1月29日の情報では、イノシシは4匹居り1匹は人慣れしているが、他の3匹は近寄ると危険とのことであった。(この情報には写真提供はなかったので精度は低い)
 最初の発見から約9ヶ月経過した6月4日、同じ場所から大きく育ったイノシシの写真が届いたので紹介する。
 
                          

 午前8時ころの写真で、自転車に無関心だったので人慣れしていることがわかったが、この道は幼児が散歩していることも多く、もし突然に向かってきたら極めて危険である。丸々と太っており、誰かが定期的に餌を与えているに違いないし、おそらく毎朝出てきていると想像する。 山科疏水は昨年に比べて散歩者が増えたと実感しており、夏場はとくに早朝散歩が増える季節であるので放置できないと思う。地元の人が区役所に連絡していると聞いているが?
 野生動物と人間との共生は難しい問題であるが、動物が巨大化する前に解決すべき問題である。


「琵琶湖の生態系を守る」ということ

2011-06-06 09:33:26 | その他

講師の川那部浩哉博士の略歴
 昭和07(1932)年生まれの79歳、櫛を入れない長髪の着物姿を数年ぶりに拝見した。外見上初老に見えたが、講演に入ると昔の名調子に磨きがかかり、時間を忘れて聞かせていただいた。川那部さんは昭和30(1955)年に京都大学理学部動物学科を卒業し、大学に残って助手・講師・助教授を経て昭和52(1977)年に教授となり、主として淡水生物の生態を研究する生物学者として活躍した。
 平成08(1996)年に京都大学を退官し「琵琶湖博物館」館長に就任した。私は工学部工業化学科出身で川那部さんより3年先輩となるが、ほぼ同時代を過ごした企業内研究者であった。川那部さんは琵琶湖博物館を退任されて名誉学芸員になった平成22(2010)年まで14年間館長を務められたので、私が「琵琶湖疏水」の調査散策を実施してきた期間と重なり、川那部さんの研究スタイルには共感する点が多く、講演会や著書に接する機会も比較的多い学者の一人であった。

今回の講演内容で感銘を受けた事項
 今回の講演は、配布資料がなくパワーポイント映像の見難い席であったが、「琵琶湖の生態系を守る」という説明は、川那部さんのこれまでの主張と重なる部分も多く、理解し易い課題であった。印象に残った事項を整理してみると、
 人間は陸地に住んで行動するので大きさの概念は面積の大小で考えてしまうが、琵琶湖の場合、表面積の6倍の集水面積があり、水位の変動も周辺の立地条件によって大きく影響を受けており、体積での考察も必要がある。通常では、水と陸の境界はなだらかな浜が形成され、多くの動植物が生息する場所であるが、琵琶湖では開発の進行で境界がコンクリート壁になり、動植物の生態系に大きい影響を与えている。
 自然科学分野では専門別の学者が多かったが、大学では専門分野を越えた総合的な研究をする必要性がでてきた。この意味で、川那部さんの活動は最近注目されている生物多様性の問題の先駆的な学者であったと思っている。
 私が共鳴するのは、動植物の現場観察を重要視している研究スタイルであり、一つの課題を長期にわたって観察しつづける姿勢である。専門の淡水魚研究を進めるにあたり、関係する気象変動、地域条件、生態系に及ぼす外的条件、研究開発手法の進化、海外の動きの考察などが、研究報告ににじみ出ている。
 このような野性的かつ独自の研究スタイルをもった人材を14年間の琵琶湖博物館の館長に迎えられたことは幸せであったと思っている。