平成22年6月度ホームページの投稿項目

2010-05-29 20:16:20 | 琵琶湖疏水

 ホームページ http://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の6月分として、下記4件を投稿しますので、ご覧ください。

第391話 分類: 雑件・その他・第30項(G-02-30、10-04-28)
      題目: 尾張2大藤めぐりツアーの参加記録
      内容: 天王子公園と曼荼羅公園の藤まつり見学

第392話 分類: 散歩道・旧東海道・第9項(B-08-09、10-05-02)
      題目: 一燈園と車石について
      内容: 一燈園敷地内に存在する車石に関する資料紹介

第393話 分類: 散歩道・蹴上周辺・第17項(B-03-17、10-05-16)
      題目: 蹴上疏水広場にある疏水工事殉難碑
      内容: 殉難碑に刻まれた文字の考察

第394話 分類: 全般・その他・第29項(A-04-29、10-05-19)
      題目: 琵琶湖疏水と水泳(4)その後の話題
      内容: 新しく入手した「疏水と水泳」の資料と話題を紹介


日文研公開講演会・環境考古学について

2010-05-25 13:13:48 | その他

 私は昭和16年(1941)旧制中学に入り、大東亜戦争(当時の呼称)の終戦を金沢の旧制高校で迎えた世代の人間であるが、その頃の私の夢は考古学の学者になり、中国大陸の古墳発掘をすることであった。当時、私の考古学のイメージは古代史を辿って遺物を探す事務系の学生が目指す学問であり、現実には戦時中であり、技術系を目指した。
 化学技術者としての会社生活を終えて、琵琶湖疏水をテーマとして取り組んでいるが、昔の考古学の夢が尾を引いて、考古学の年代推定に関する新聞記事のファイルを作って約10年経過した。この中で記憶に残っている項目の一つに「環境考古学」の分野があった。
 平成13年11月に「長江文明」の国際シンポジウムが日文研で開催されたとき、安田喜憲教授が“いま、世界各地で数万年分に及ぶ湖沼の堆積物や、大河の水位変動を年単位で調べるプロジェクトが進んでいる”との記事があり、素人ながら記憶に残っていた。
 今年の日文研公開講演会「環太平洋の環境文明史」の中に安田喜憲教授の名を見付けたので、予定を変更して講演会に出席させていただいた。

 安田教授が「環境考古学」という新しい研究分野を提唱したのは昭和55年(1980)といわれている。それから30年経過した今回の講演会は、安田チルドレンと自称する弟子たちが主役であり、安田教授の講演「環太平洋の生命文明圏:長江文明から環太平洋文明へ」は、弟子たちの太平洋周辺に広がる研究成果とその苦労話の紹介に終始した。
 
   弟子の一人で、英国ニューカッスル大学の中川毅教授の演題「5万枚の縞と50萬粒の粒子を数える:高分解能古気候復元の最先端」は、若狭湾の三方五胡の一つ、水月湖の湖底地層をボーリングして土壌を採取し、その年縞(ねんこう)から地球の気候や環境変動のメカニズムを解明する研究で、5万枚の縞は5万年の歴史となり、50萬粒を数えるとは各縞が含む花粉や生物の痕跡、金属などを顕微鏡で数えるという意味である。
   これまで過去の気候変動を知るには「放射性炭素同位体法」を用いていたが、1000年前の精度は±100年の誤差がでる方法であった。しかし、年縞法では1年ごとのデータが把握できるので、精度が大幅に向上する。この年縞法を見付けたのは平成3年(1991)と記載されているが、世界的に最先端技術として注目されており、5月18日から若狭町で開催された国際会議の紹介記事には「15萬年刻む水月湖底の地層…地震の予測に活用も…年縞で地球の変化を探る」「湖の土がここまで解き明かす」という見出しがついていた。
   地球の歴史を塗り替えるこの新技術の講演会に出席し、安田教授のユニークな人柄に触れ、その成果が世界的に活用されていることを知った喜びで、終日興奮が止まない一日であった。


洛東高校前の疏水沿いに「安朱学童分室」が近く完成

2010-05-18 18:21:56 | 琵琶湖疏水

 洛東高校前の東南隅に「上下水道局疏水事務所苗は用地」の看板があり、金網で囲われているが、5月に入って疏水道を散策したとき、奥にある建屋の改装工事が行われており、建屋の正面に「安朱学童分室」の新しい看板が掲げられていた。
   
      改装された建屋に新看板 10-05-13-1239         疏水道から見た門扉 10-05-13-1240

 現在、山科区には10ヶ所の児童館が存在する。竹鼻に存在する「山階児童館」は山階学区、西野学区、安朱学区が利用しているが、距離的に不便な学区があり、使用面でも増強が望まれていた。今回安朱小学校に近いこの地に分室が設置され、7月には西野学童分室が完成する予定と聞いている。児童館は、0~18歳までの地域の子供とその保護者が無料で活用できる場所であり、管理者2名(1名はアルバイト)が駐在するので、完成が待たれている。
 なお、この建物は昭和期に番組小学校であった植柳小学校の郊外学舎として建設されたものと推定しているので、詳細は近くホームページで紹介する予定である。まだ、公式発表を見ていないので、間違いがあれば教えていただきたい。

 


京都山科東西南北~区民が選んだ魅力を訪ねて~が発行

2010-05-14 20:50:39 | その他


 5月8日山階小学校講堂で、掲題の冊子を発行した記念イベントが開催された。私が大津市藤尾から近くの京都市竹鼻のマンションに移り住んだ10年前には、山科地区全体を紹介した冊子を山科図書館で探しても、「山科区誕生20周年記念誌」くらいしかなく、満足できる内容でなかった。
 しかし最近数年の間に、山科地区の歴史をまとめる動きが活発になり、山科区誕生30周年を記念した「古今相照~写真でつづるやましな」(平成18年)や「京都の歴史玄関~やましな盆地」(平成20年)が発行され、鏡山次郎著の「山科各地区の2000年の歩みシリーズ」(平成19~21年)や京都橘大学文化政策学部の活動などにより、全体像の把握が容易になってきた。今回の企画は、山科区民が選んだ109ヶ所のスポットをまとめた63頁の冊子で、新しい話題も豊富に記載されており、期待以上の内容のものであった。
            
          冊子の表紙 10-05-08-1237        イベント会場(山階小学校講堂) 10-05-1231

 司会者の挨拶にもあったが、この山科地区の魅力を一番知ってもらいたいのは、山科区の住民であり、これがベースにないと地域産業開発の進展はあり得ない。高齢者の保有する知識を若い世代に引き継いでもらうためにこの冊子を役立てたい・・・と実感したが、区民が選んだこの冊子の印刷部数がわずか3000部と聞いて残念に思った。最後の挨拶のなかで増刷の話がでたが、各戸配布してほしい内容であった。山科地区の道を16ヶ所に分けて区内全域を包含しているので、計画的に歩いて楽しみ、山科の魅力を確かめたいと思っている。


インクラインを支える煉瓦壁

2010-05-12 19:30:17 | 琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水関連施設が詰まっている蹴上疏水広場に源義経ゆかりの石仏がある。鎌倉時代の薬師如来で、「義経大日」と呼ばれて親しまれているが、その裏側の金網柵の下は急斜面になっており、インクラインを支える斜面の地上部に赤煉瓦積みの構造物が存在する。
     
     インクライン下部の構造物 (09-11-26-58)      構造物の拡大写真(09-11-26-60)

 この構造物の存在は、かなり前から気付いていたが、民家の裏側になっており、義経大日の裏しか見下ろせない位置にあるので、写真で紹介されたものは見いだせなかった。私は煉瓦積みの形態がアーチ型で芸術的になっているので、何であるかを知らないまま、訪ねるたびに覗いて、明治のロマンを楽しんでいた。

 最近になって、「琵琶湖疏水の100年誌」のインクライン記事の172ページの上段に下記2行の関連のありそうな記事を見つけることができた。
“三條街道の民家裏は、軌道斜面補強のため、長さ15間2分(27.6m)、
高さ平均2間(3.6m)、厚さ4尺(1.2m)の壁を造った”
 補足説明すると、インクライン傾斜土手の造成時、民家敷地の一部が接近し過ぎていたので、崩れ防止のため壁を造った・・・と読める。場所がよければ「水路閣」なみの産業遺産になっていたかもしれない。インクラインの道路側斜面の下部の補強は石垣になっているが、なぜ上部のこの場所だけ芸術的な煉瓦積みにしたが興味もあるので、ご存知の方がおられたら教えてほしい。


英国の世界遺産、アイアンブリッジ峡谷について

2010-05-06 11:07:08 | その他

   去る4月7日、国際交流会館で「琵琶湖疏水と世界遺産」と題した講演会に出席する機会を得た。講師は産業遺産分野での世界遺産認定で著名な英国人スチュワート・スミス氏であったが、その内容に感銘したので、スミス氏の活動状況について調べてみた。
   以下記述する内容は、すでに多くの発表があり、専門家の間ではよく知られたことで、新しい情報は全くないが、スミス氏の経歴と成果について私の記憶の整理を兼ねて補足調査を実施したものである。

1)「アイアンブリッジ峡谷」の開発経緯
 ロンドンの北西190km、マンチェスターの下方にあたるシロップシャー地方のセバーン川流域には、製鉄に必要な鉄鉱石・石灰岩・石炭などの原料が露出して存在し、川が広く深いので、製品を海に運搬しやすい立地であったため、17世紀頃から製鉄業や諸工業が盛んであったが、原料の木炭資源(森林木材)が枯渇して事業は衰微していった。しかし、コークスを原料とする新製鉄技術が発明されたことが契機となり、蒸気機関など数多い産業機器が開発され、世界の産業革命の原点となった地域として知られている。
 当時セバーン川には橋がなく、対岸への物資の大量移動がむつかしいので、架橋が望まれていた。そこで世界最初の鉄橋を建設することになり、1775年に着工され1779年に完成したが、当時日本は江戸時代中期であり、アメリカが独立宣言をした3年前であった。

 橋の構造は、経験のある石造アーチ型を採用し、鋼材のない時代で鋳鉄・錬鉄を用いた。部品の接合にはボルト・ナットもなく、木造に用いられるクサビやホゾ穴を採用し、60mの鉄橋を建設したが、230年経過した現在まで洪水にも耐え、現在も人道として活用されている。
 (ちなみに日本最初の鉄橋は、明治2年(1869)に長崎に架けられた橋であるが、現存する橋は鉄筋コンクリート橋に改造されている。)
 このアイアンブリッジを含む峡谷全体は、昭和61年(1936)の世界遺産に認定されている。(写真がないが、ネットで簡単にみることができる)

2)アイアンブリッジの世界遺産に尽力したスミス氏
 スチュアート・スミス氏の経歴を講演資料より引用すると、国際産業遺産保存委員会(TICCIH)の事務局長であり、英国の国際記念物遺跡評議会(ICOCOS)の産業考古学部門の代表として世界遺産の査定に関わり、ユネスコとも深い関係を保っている。
                
 スミス氏は、長期にわたりアイアンリッジ峡谷を世界遺産にするため、責任者として従事し、昭和58年(1983)から平成2年(1992)まで「アイアンブリッジ峡谷博物館の館長を務め、昭和61年(1986)には「アイアンブリッジ峡谷」が世界遺産に認定され、平成2年(1992)イギリス南端部のコーンウオール地区にある鉱山遺産の世界遺産認定に尽力している。近畿産業考古学会所属の友人に伺ったが、産業遺産の保存の考え方を作り上げたトップレベルの人物で、日本にも多くの友人がいるそうである。
 これらの地区の産業遺産は、スミス氏の指導で保存に留意され、観光面からも成功しているので、学ぶ点が多いと考えられる。
  琵琶湖疏水の主要産業遺産を見学したスミス氏は、単体で申請するには弱いテーマと思うが、短期間で世界の追いついた点に価値があり、疏水を利用した飲料水の確保、国内初の水力発電の実施など周辺との結び付きの中で評価されるとの示唆を受けた。


蹴上浄水場の一般公開見学記

2010-05-04 18:15:30 | 植物と動物

 平成22年は、琵琶湖疏水竣工120周年、下水道事業開始80周年の年である。例年5月初めの連休にツツジの見頃に合わせて一般公開が行われるが、今年の春は低温続きで、満開には一週間早い公開になった。それでも今日は天気に恵まれ、地下鉄蹴上駅には大勢の人が詰めかけ、岡崎桜回廊十石舟めぐりやインクライン・南禅寺道も賑わった。
     
         案内チラシ(10-05-02-1205)           見学コースの案内図(10-05-02-1180)

 今年の見学は、上述のように4600本のツツジの開花度は低かったが、新緑の美しさを十分に楽しむことができた。また、琵琶湖疏水竣工120周年記念のパネル展では担当者より詳しい説明を受けることができた。また、三條通に面した外塀の美しさと花水木の街路樹の成長振りを写真に収めることができた。
  
   優れたデザインの外塀(10-05-02-1197)    花水木の白花で美しい三條通(10-05-02-1199)

 明治45年(1912)、蹴上浄水場は日本で最初の急速ろ過式浄水場として誕生したが、当時のろ過池は撤去され、改良された沈殿地になっているが、建設当時の赤煉瓦の施設は多く残されている。大切に保存してほしいと思っている。今回の見学時に大勢の担当者から親切な説明を受けたことに感謝したい。