初めて食べたブラックバスの味

2009-06-26 23:09:58 | その他

 平成10年(1998)頃から、琵琶湖疏水系の各所でブラックバスが遊泳しているという報道がなされるようになり、哲学の道沿いの水路でその姿を見つけたことを思い出している。
 そのご琵琶湖では、バス釣の愛好者が増加して関連市場規模が大きくなり、特定外来魚指定の反対派と固有魚減少を心配する賛成派の間に論争が続いたが、釣ったバスを回収箱に集める運動が効果をあげてきており、また外来魚の生態研究も進んできて、少し話題性が少なくなったこの頃である。
 釣ったブラックバスの有効利用法は多く発表されているが、海外では食用魚として利用されているし、サシミやテンプラにしても美味と紹介されているので、そのチャンスを求めていた。5年ほど前の新聞報道で、琵琶湖博物館のレストラン「におのうみ」で食べられるが、ブラックバスは養殖鯛よりも高価な高級魚なので、安くならないと紹介されていた。
 その理由として、バスには特有の匂いがあり、浜上げ直後に三枚におろす必要がある。また季節によって漁獲量の変動が多く、とくに大型バスの安定確保が難しく食べられる食堂も減少してきていると報道されていた。

 数日前に、琵琶湖博物館のフイールドレポーターをしている友人の案内で、博物館内の見学をしたとき、レストランの看板メニューとしてバスのテンプラを初めていただいた。
                 
                       左上の皿がブラックバスのテンプラ
 バスは白身で淡白な味をしており、とても美味であった。まだ試食していないが、「ふなずし」と同じ手法で作った「びわすずき」(バスはスズキ科の外来魚)も市販されている。ブラックバスが美味な食用魚として多用される時期はくるのだろうか?


枚方市の府営山田池公園見学記

2009-06-16 08:15:29 | 植物と動物

   京阪枚方市駅からバスで約15分の距離に「山田池公園」が存在する。その場所は枚方市の東部方面の丘陵地帯にあり、バスの出屋敷停留所で下車すると公園の北入口がある。
        
        公園北入口にある案内版               公園全体配置図                 

 案内図を見て直感したのは、池の大きさと公園の広さが琵琶湖と滋賀県の面積の比に近いと思った。調べてみると山田池が1対7の比で琵琶湖が1対6であり、大阪府下でも有数の大池であった。ちなみに公園の広さは京都府立植物園の約3倍の
75haある大公園である。配置図に示すように公園の中心を市道が北部から南東に走り、園を二分しているが、今回は上部の山田池を一周するコースを散策した。
 6月中旬の山田池公園の目玉は、「花しょうぶ園」と「あじさい園」である。花しょうぶ園は敷地6200平方メートルで、120品種・6000株の花しょうぶを近くで見学できるよう
通行路が縦横についており、今年は入口の門・囲い・休憩用ベンチ・通行路などが整備され、見学者に親切なゾーンが形成されていた。
        
   満開を迎えた「花しょうぶ園」の見学風景   傾斜面を埋める混色の「あじさい園」
                     
    「花しょうぶ園」の奥には、約3000株の「あじさい」が斜面に展開して見頃を迎えていた。その手前には広い白花の「睡蓮池」があり、「河骨」も黄花をつけており、見事な水生植物園が形成されていた。

   山田池はおよそ10haの面積があり、1200年くらいの歴史がある灌漑用水池である。園内の説明板によると、池のすぐそばには弥生時代から古墳時代の住居跡や土器などが発見されている。他の都市公園と比較してその特徴を列記すると、

① 山田池の周囲を幅広い大型車でもゆっくり交流できる幅の舗装道路が1200mつづいており、その両側に狭い間隔でクヌギや椎(シイ)などが密集して植えられているので、日光が遮られ山奥にいる静けさを保っている。
② 入園料は無料であり、東西南北に出入口があるが管理人の姿は見かけない。また、池に架かる橋上を除いて池での魚釣はフリーである。地図をみると公園の南面に沿って穂谷川が流れており、北部から取水している。中央に市道・杉渚線が走っており、全く開放された公園である。
③ 交通至便の場所に存在し、京阪枚方市駅前から15分ごとに発車するバスを利用すると15分で到着するし、学園都市線・藤坂駅から徒歩15分で到着する。南北2ヶ所にある駐車場の料金も安く、1時間400円、以後1時間ごとに100円が追加される。
④ 季節を通じて季節の花が楽しめる。3月にはウメ・サザンカ・スモモ。4月にはサクラ・ツツジ、5~6月にはハナショウブ・スイレン・アジサイ、7~8月にはサルスベリ、
9月にはハギ、10~11月は紅葉、12~3月にはサザンカ・ウメが楽しめる。
⑤ 関西各地に花しょうぶ園が存在するが、集められた品種一つ一つを目前に眺められる散歩橋(八つ橋)の充実さは格別であった。眺めるだけではもったいない。神戸の森林公園を見学したとき感じたことであるが、花を愛する近くのボランテイアが手製の説明板をつけて補足説明してほしいと思った。
⑥ 大阪府下には18ヶ所の府営公園が存在しており、そのいくつかを見学したが、それぞれ特徴ある活動を実施している。健康保持面の活用策や地域の歴史・植物の勉強・鳥類の勉強など説明板の充実を考えてほしいと感じた。


平成21年6月度ホームページ投稿項目

2009-06-10 14:37:58 | 琵琶湖疏水

 ホームページ(http://www.geocities.jp/biwako_sosui/)の6月分として下記3件を投稿しましたので、お立ち寄りください。(348話は都合で来月の投稿とします)

347話 分類: 技術・技術全般34項(C-03-34、¬¬09-04-22記)
      題目: 人工水路に応用される逆サイホン技術
      要旨: 逆サイホン技術の歴史と最近の応用例について

349話 分類: 利用・池泉用水29項(E-01-29、09-05-29記)
      題目: 高瀬川の水を引いた廣誠院とその庭園を見学
      要旨: 伊集院兼常・山縣有朋・小川治兵衛の作庭技術の比較

350話 分類: 利用・池泉用水30項(E-01-30、09-05-31記)
      題目: 旧三条・五条大橋の橋桁石柱の利用例集約
      要旨: 利用場所15を選び、代表例の写真と要旨を説明


善導寺型灯篭について

2009-06-07 02:16:00 | 歴史と散策

 高瀬川一之船入り町にある「廣誠寺」の特別公開があり、その見学記をホームページに紹介したが、高瀬川に沿った廣誠寺庭園の東南の隅に大型の石燈籠があり、ガイドの方から「善導寺型灯篭」であると説明を受けた。この石燈籠を高瀬川から見ると、明治維新に際し攘夷派の志士により暗殺された佐久間象山と大村益次郎の遭難碑がある場所と背中合わせの位置に存在する。
 標準型の石灯篭の構造を上部から見て、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基礎に分けられるが、善導寺型灯篭の最大の特徴は六角の「火袋」の外面に、茶碗・炭取・火鉢・火箸・茶釜・柄杓・五徳などの茶道具が彫られていることである。
 茶道にくわしい伊集院兼常が設計した茶室の前庭の隅に、この石灯篭が設置されたように、この石灯篭は茶人に好まれたといわれている。

 廣誠寺をでて木屋町通の北の突き当たり(歩いてすぐの距離)に、「善導寺」が存在するので、訪ねてみた。竜宮造りの門前にある解説板によると、六角堂付近に創立されたのが16世紀の永禄年間、火災でこの地に移転したのが天明8年(1788)の浄土宗寺院である。
    
     善導寺の竜宮風の山門            前庭にある善導寺型灯篭

説明板によると、庭には2基の善導寺型灯篭があり、一つは書院奥に鎌倉時代の白大理石の石憧を改めたもの(非公開)、一つは前庭にあるもの(上右写真)である。
善導寺型灯篭の特徴を追加すると、基礎上部に6枚の丸くて厚い蓮弁をつけ、竿部もふっくらと丸味があり、中台の側面にはハート型の彫りこみがある。全体として厚っぽい感じのする石灯篭である。どこかの庭で再会したいと願っている。

 


京都市指定名勝 鴨脚家庭園見学記

2009-06-02 13:34:25 | 歴史と散策
 平成18年(2006)度に京都市の「名勝」に登録された「鴨脚家庭園」が今回初めて期間限定で一般に公開(申し込み)され、見学する機会をえた。
   「鴨脚」の発音はイチョウである。語源由来辞典によると、イチョウの漢字は「銀杏」と「公孫樹」で、いずれも中国語に由来する。銀杏は実の形がアンズに似て殻が銀白であることに由来し、「公孫樹」は祖父(公)が種子を蒔いても実がなるのは孫の代になることに由来する。「鴨脚」は葉のかたちが鴨の水かきに似ているとか、鴨脚を中国語で「ヤーチャオ」と発音することからイチョウになったとの説もある。
 特定の神社の神職を世襲する家筋は「社家」と呼ばれるが、明治4年の神職世襲制の禁止により、50軒あまりあった社家町が減少し、道路拡張の立ち退きにより現存する社家住宅は下鴨神社では「鴨脚家(イチョウケ)」1軒となった。
                 
              見学時に配布された説明資料
 「鴨脚家」は高野川と賀茂川の合流によってできた扇状地に立地しており、地下水が伏流し易い地形に立地し、湧き水として地表に戻ってくることがあるが、鴨脚家庭園の特徴は、湧き水が泉として利用されていることである。細部は配布された資料の表裏にくわしく説明されているので一部を引用すると、
“庭園の形状は、周囲より約4mくぼんだ低い位置にある泉を中心として方形のすりばち状になっている。泉の湧水量は季節ごとに変化し、最も湧水量の多いのが梅雨時期で、冬期に入ると減少する。”上の写真の左下が泉の平面図で、右上が泉の断面図である。
 鴨脚家の敷地は明治の半ばまで1600平方メートルあったが、下鴨本通の拡幅工事などで現在はその3分の1程度になったという。下鴨神社の境内つづきの場所で鴨川上流の湧水の泉がある鴨脚家が現存することに歴史の重さと深さを感じ、扇状地の先端部分まで散策をして京都の歴史に触れた満足感を持って帰宅した。