第十回時代祭展「鎌倉時代」見学記

2009-05-25 18:10:17 | 歴史と散策

   全14回開催される時代祭展も10回目を迎え、5月16日から6月14日まで「みやこめっせ」地下1階で「鎌倉時代展」が開催されている。今回は「城南流鏑馬列」と題した流鏑馬(やぶさめ)に関係する人物の衣装装束約40点が展示されている。
               
  京都で流鏑馬といえば、5月3日に下鴨神社でおこなわれた葵祭の前儀「流鏑馬神事」が有名である。流鏑馬とは、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る伝統的な騎射である。疾走する直線期間は通常2町(218メートル)で、進行方向の左手に3枚の的を一定間隔で立て、狩装束の射手が疾走する馬上から射る行事である。

 下鴨神社の流鏑馬は、公家が狩装束を着用するが、時代祭の流鏑馬は武士が射手を勤める。平安時代から鎌倉初期にかけて流鏑馬は武者のたしなみとして盛んにおこなわれた。  配布された資料(上の写真)の説明を引用すると、“承久3年(1221)5月、後鳥羽上皇はは朝廷権力の回復を図るため流鏑馬に託して城南離宮に近畿十余国の武士1700余を召し、北条義時追討の挙兵準備をされたという歴史の重要な一場面を想定したもの”と解説している。
 Wikipedia資料によると、全国で45ヶ所の神宮・神社において流鏑馬神事がおこなわれている。時代祭の鎌倉時代を代表する城南流鏑馬列は、「後三年絵巻」などを参考にして復元されたもので、童・射手武士・弓袋差・的持3名・長柄馬杓持・飼料桶持の8名を一組とし、5組で構成されている。今回の展示を見て、800年前の豪華な衣装の再現に感銘し、当時の文化レベルの高さに驚いた次第である。


2,009年度「葵祭」の見学記

2009-05-18 16:14:50 | 歴史と散策

 最近は京都三大祭といわれる葵祭、祇園祭、時代祭をよく見学するようになったが、見学を繰り返しても記憶に残らないのが葵祭であった。
  葵祭の行列には旗とか印板のようなものがなく、一切の和楽器を使用しない静かな行列で、比較的よく似た姿の人馬がゆっくり通り過ぎるだけで、見物客にとって記憶に残りにくい。今回は行列の構成について事前に調べていったので少しくわしく見学することができた。 
  葵祭の行事は5月3日の流鏑馬神事(下鴨神社)から始まり、4日の斎王代御禊の儀(下鴨神社)、5日の加茂競馬(上賀茂神社)、12日の御蔭祭(両神社)を経て、今回見学した15日の行列「「路頭の儀」となり、行列は御所を出発して下鴨神社を経て上賀茂神社に向って進む。関連行事として17日には三船祭(車折神社~嵐山大堰川)、28日の業平忌があるから、5月一杯かけて行われる大イベントである。今回は祭の中心となる「路頭の儀」の行列に焦点を当てて述べる。
  見学した場所は北大路橋の南側通路である。警察官の先導車・先導馬のあと、本列の第一列として馬上姿の検非違使(京の治安を担当する役人)と山城使(地方行政を担当する役人)が続く。第二列として馬寮使(御馬担当の役人)と牛車(藤の花で飾られた勅使が乗る車)、第三列として馬上姿の舞人(歌舞を担当する役人)と勅使(天皇の使い)が続く。第四列には、馬上姿の陪従(楽人装束の武官)と内蔵使(皇室の経済を担当する文武兼官)である。最後に飾り車として牛車(斎王用)が続く。
   
   行列の先頭を進む騎乗したお役人列       牛に曳かれた御所車(勅使用)        

 行列には、馬36頭、牛4頭、総勢5百余人が参加しているが、牛車2台(前方と末尾)が参加している。今年は岡山県新見市から引き手とともに4頭(牛車1台に2頭)の牛が参加しているが、2ヶ月前から調教したと聞いた。
                    
 行列のもっとも華やかな部分は、斎王代列である。宮中では斎王と呼ばれる未婚の皇女を、神のそばにつかわせるならわしがあった。現在は京都在住の未婚の女性が選ばれるので斎王代とよばれている。斎王代が使用する腰輿(およよ)とその前後をかためる女人列のあたりが、もっとも華やかである。行列の最後は斎王の牛車が締めた。
  
  斎王代が乗る四方が開いた腰輿(およよ)    平安時代の衣装を着た女人列と風流傘

 最近は多くの解説書がでており、新聞紙上でも連載記事が毎年でるようになった。伊勢神宮に次ぐ格式といわれる上賀茂神社と下鴨神社は、世界遺産に認定されている。限られた原稿の中で内容に乏しい恥ずかしい説明となったが、平安京の歴史を示すイベントとして、来年も見学したいと思っている。

 


京の湧水・地下水に関する講演会に出席

2009-05-11 21:50:25 | その他

 去る5月9日に、京都・桂にある国際日本文化センター(日文研)で、「京都の文化と環境」と題した総合地球環境学研究所(地球研)との合同シンポジウムに出席した。結果は興味ある内容が多いので、ホームページに紹介したいと思っているが、ここでは地球研教授・谷口真人氏の「京の人と水―湧水・地下水」と題した講演で教えていただいた「安定同位体」を活用して水源の由来を解析する手法について紹介したい。
 
  谷口教授は「水文学」の専門家で、「地下水と地球環境」についての研究分野で活躍しておられるが、今回の講演では、湧水中の安定同位体を測定して重い水と軽い水を区別し、伏見は軽く洛中は重いという面白い報告があった。
  水の成分は水素と酸素からできているが、水素には安定同位体が2種あり、重い水素と軽い水素を含んだ水が存在する。この多寡が地理的条件に関係しており、高緯度・高標高・内陸域・高降雨量・高湿度地区ほど軽いことがわかってきた。そこで、河川およびその支流で採取した水の安定同位体を測定すると、その河川の涵養域が推定できるようになった。
 酸素や炭素にも安定同位体が存在しており、微量分析を実施する専門の研究機関も存在する。この分析法の応用分野として、河川の水源調査のほかに、牛肉の産地別鑑別、汚染土壌の汚染源の調査など幅広く応用または研究されており、「安定同位体」で検索すると45万件のビッグサイトになっていた。

 私も化学分野で長期にわたり研究開発の仕事をしてきたが,50年以上前の同位元素の応用分野は狭い範囲であり、退職後も化学の世界から離れた生活をしてきたので、今回の講演で化学分野の研究が歴史・環境・地理・考古学などの分野で活用されているのに驚いた。昔の「水文学」とは河川工学中心の研究であり、研究者の数も少なかったが、現在では、多くの部門が関係する巨大研究分野になっている。
 今回の研究シンポジウムには5人の学者が講演・討論・司会をされたが、考古学者、庭園・比較文化学者、水文学者、生態人類学者、植物遺伝学者と異分野の学者による討論は非常に面白かった。昔の化学技術者であった私が解説したが、間違った点があれば容赦してほしい。


伊勢神宮式年遷宮展を見学

2009-05-04 09:43:30 | 歴史と散策
 平成25年(2013)には第62回伊勢神宮式年遷宮がおこなわれる。この式典は20年毎に実施されるもので、戦国時代の一時中断を除いて約1300年間継続実施されている世界に例のない行事である。
 この式典推進にあたり、財団法人「伊勢神宮式年遷宮奉賛会」が設立され、必要経費総額550億円のうち220億円を国民全体から募金することになり、その理解を深めるために「伊勢神宮展」が主要都市を巡回開催されているが、去る4月に京都市の高島屋で開催され、見学・講演とともに多くの解説資料をいただいた。
               
 伊勢神宮は、神話の世界を含めた2千年以上の歴史があるが、式年遷宮の制度は今から約1300年前に天武天皇が定められ、次の持統天皇の時代に第1回遷宮行事が開催されたと伝えられている。
 一番おどろいたことは、すべてが古来から伝えられた技術に則っておこなわれていることで、たとえば太刀についても砂鉄を原料とした和鉄精錬技術が受け継がれており、また染色についても草木を用いた古代染色技術が用いられ、技術の近代化に無関係な伝統技術によっていることである。この遷宮方式が定められたときは、奈良の法隆寺などは建てられており、世界最古の木造建築として現存しているが、伊勢神宮は20年毎に61回建て替えられたことになる。とくに興味を持った事項を説明すると、
① 神宮には御正宮以下、別宮、摂末社あわせて125社があり、年間を通して
    1500回ほどの恒例のお祭りがおこなわれている。式年遷宮行事も7年間かけ
    て諸祭と行事がおこなわれ、最初は御用材を伐り出す前に山の神の安全 を祈る
    「山口祭」が平成17年5月におこなわれ、平成25年10月の天皇陛下の御奉納
    による御神楽行事で終わる。
② 遷宮に必要な御用材の桧(ヒノキ)は1万本余であり、昔は神宮備林が木曽の
    山にあったが、良材の調達が困難になったので、現在では国有林で200年計画
    で桧を育成している。屋根材の萱(カヤ)2万3千束も8年がかりで神宮の萱山で
    集めている。
    神様にお供えする神饌も、神宮の神田で14品種の米が栽培されており、野菜・
    果物も神宮専用の農園で約50種が栽培されている。魚介類も特定の地域・集団
    から古来の製法で加工されたものが納められている。また、使用される皿や壺
    などの土器も専門職で作られ、1回使用したものは土に返すので、年間5万7千
  個の土器が作られている。
③ 遷宮による古材については、全国各地の神社の再建に無駄なく再利用されてい
    る。内外宮の参道にある大鳥居の柱は、御正殿の棟持柱を削りなおして再利用
    しており、伊勢近辺にある別宮の遷宮にも古材が利用されている。御装束や神宝
    はすべて焼却・埋設処分してきたが、明治以降はすべて保存しているようである。
④ 説明資料の表現を引用すると、“遷宮の意義は代々受け継がれてきた伝統や
    技術、そして心を次に繋ぐこと。再生を続けることで生まれる永遠性。”とまとめら
    れているように、すばらしい伝統行事と感じた。現代のように変化に富んだ時代
    の中で、1300年前の時代の技術と心の伝承に感銘を受けたので、再度伊勢神
    宮を訪ね、歴史の重みに触れたいと思う。

両陛下ご結婚50年記念・京都御所の特別公開

2009-05-02 20:12:58 | 歴史と散策

 今年は天皇皇后両陛下の大婚50年(金婚式)、ご即位20年にあたり、全国各地で記念行事がおこなわれている。報道によると、発行規模25兆円の1万円記念紙幣が発売され、表面は両陛下の肖像であるが、裏面には皇太子時代の恋の舞台となった軽井沢会テニスコートの初夏の風景を取り上げているそうで、流通開始の7月7日を楽しみにしている。
 京都での代表的なイベントは、京都御所の特別公開である。今回の見学コースは、例年の見学範囲に加えて北側にある皇后宮常御所などの殿舎や門も公開され、御成婚に関係する展示や説明がおこなわれた。期間は4月23日~29日で、新緑に映える御苑や御所内は見学者で賑わった。今回は展示された三種の乗物に焦点をあてて紹介する。

1)儀装馬車2号
 見学コースの最初となる宜秋門から入ると、御車寄・諸大夫の間・新御車寄と建屋が続くが、新御車寄は大正4年(1915)の大正天皇の即位礼に際し建てられたもので、大正以降の天皇皇后陛下の玄関であるが、その門前に両陛下が昭和34年(1959)4月10日の結婚パレードで使用された儀装馬車が展示されており、傍らの大型テレビで当時の映像が紹介されていた。

                    
 配布資料によると、この馬車は昭和3年(1928)に宮内庁主馬寮工場で製造されたものである。船底型両割幌の4人乗り(長さ4.23m、幅1.91m、高さ2.2m、重量1100kg)で、京都御所では初めての公開となった。当時のパレードでは、幌が開かれていたことを思いだした。

2)牛車と板輿
 「牛車」とは俗称「御所車」と呼ばれ、平安朝以来貴族の乗物とされ、きらびやかに飾られていた。乗車のときは後ろから乗り、下車するときは牛を解き前から降りた。北の朔平門の手前に牛車(下左の写真)が展示されていたが、この牛車は葵祭の行列にも使用されている。
 北部の若宮姫宮御殿の部屋に展示された「板輿(春慶塗り)」は、静寛院宮(和宮親子内親王)が明治2年(1869)に京都に戻られ、京都に居られるときに使用された板輿(下右の写真)である。
 

 両陛下が結婚された昭和34年(1959)は私のサラリーマン生活8年目にあたり、ソ連が米国に先駆けて宇宙ロケット第一号を飛ばし、つづいて第二号で月面着陸に成功した記念すべき年であった。
 私のほうが天皇陛下より若干高齢であるが、ほぼ同世代を生き抜いており、お姿を拝見してわが姿と比較するこのごろであるが、今後ともお元気に頑張ってほしいと思う。