山科疏水の黒岩橋(第10号橋)の南面に建つ鉄筋コンクリート3階建て洋館が、日本の近代建築の貴重な建築物であることがわかったのは平成11年(1999)である。その後ときどき公開されており、ホームページに見学記(B‐2‐23・山科疏水の散策記録‐12)を紹介しているが、今回その設計建設を担当した建築家・本野精吾の作品展が京都工繊大資料館で開催された。
今回の作品展は、本野精吾が設計した建物の写真や図面だけでなく、幅広い分野での活躍を示す約400点の資料が集められたが、ここでは掲題の鶴巻邸(現栗原邸)関係と、建築以外の分野に焦点を当てて紹介する。
地下鉄・松ヶ崎駅の①番出口から北山通を右に300mくらい進んだ右側に京都工繊大のキャンパスがあり、正門から入った正面に美術工芸資料館が存在する。その1階と2階の5室を用いて作品展が開催されていた。
美術工芸資料館の正面 鶴巻邸の50分の1模型
鶴巻邸(現栗原邸)は建設当時の工事写真・外見写真が中心であり、現在の写真と併せて展示されていた。採用された中村鎮式コンクリートブロック工法は、他の作品の展示の中から理解することができた。上の模型は2009年に制作されたものである。また、ビデオ放映されていた昭和初年ころのコンクリート製建物の工事風景は興味深かった。
前回鶴巻邸を訪問したときはコンクリートの外部構造に注目したが、今回の見学で、本野精吾のモダニズムは内部構造でも注目されることがわかった。私は化学分野出身で建築家についての知識に乏しく、コンクリートのイメージから頑固な融通の利かない学者と思っていたが、今回の見学で多彩な分野の能力に恵まれた学者であることがわかった。
彼は建築を目指す前から絵画の勉強をしており、裸婦を含む多くの作品を残している。一番驚いたのは、洋裁を学び大島紬の着物を用いて洋服を作って着用している。言語についても、ローマ字やエスペラント語を本格的に取り組んでいる。また石窓と号して南画の作品を多く残している。さらに船体・船室デザイン、舞台デザイン、家具デザイン、など手がけた分野は広く、生活関連のモダニズム総合デザイナーといえる存在であった。もう一度鶴巻邸を見学する機会があれば、建物内部についてよく観察したいと思っている。
なお、この作品展は3月11日まで開かれている。