山科疏水べりに建つ本野精吾の鶴巻邸

2010-02-19 20:43:02 | 琵琶湖疏水

 山科疏水の黒岩橋(第10号橋)の南面に建つ鉄筋コンクリート3階建て洋館が、日本の近代建築の貴重な建築物であることがわかったのは平成11年(1999)である。その後ときどき公開されており、ホームページに見学記(B‐2‐23・山科疏水の散策記録‐12)を紹介しているが、今回その設計建設を担当した建築家・本野精吾の作品展が京都工繊大資料館で開催された。
 今回の作品展は、本野精吾が設計した建物の写真や図面だけでなく、幅広い分野での活躍を示す約400点の資料が集められたが、ここでは掲題の鶴巻邸(現栗原邸)関係と、建築以外の分野に焦点を当てて紹介する。

 地下鉄・松ヶ崎駅の①番出口から北山通を右に300mくらい進んだ右側に京都工繊大のキャンパスがあり、正門から入った正面に美術工芸資料館が存在する。その1階と2階の5室を用いて作品展が開催されていた。

          
          美術工芸資料館の正面              鶴巻邸の50分の1模型

 鶴巻邸(現栗原邸)は建設当時の工事写真・外見写真が中心であり、現在の写真と併せて展示されていた。採用された中村鎮式コンクリートブロック工法は、他の作品の展示の中から理解することができた。上の模型は2009年に制作されたものである。また、ビデオ放映されていた昭和初年ころのコンクリート製建物の工事風景は興味深かった。
 前回鶴巻邸を訪問したときはコンクリートの外部構造に注目したが、今回の見学で、本野精吾のモダニズムは内部構造でも注目されることがわかった。私は化学分野出身で建築家についての知識に乏しく、コンクリートのイメージから頑固な融通の利かない学者と思っていたが、今回の見学で多彩な分野の能力に恵まれた学者であることがわかった。
                  
 彼は建築を目指す前から絵画の勉強をしており、裸婦を含む多くの作品を残している。一番驚いたのは、洋裁を学び大島紬の着物を用いて洋服を作って着用している。言語についても、ローマ字やエスペラント語を本格的に取り組んでいる。また石窓と号して南画の作品を多く残している。さらに船体・船室デザイン、舞台デザイン、家具デザイン、など手がけた分野は広く、生活関連のモダニズム総合デザイナーといえる存在であった。もう一度鶴巻邸を見学する機会があれば、建物内部についてよく観察したいと思っている。
 なお、この作品展は3月11日まで開かれている。


琵琶湖疏水記念館特別展「琵琶湖疏水の風景」が開催中

2010-02-14 01:43:20 | 琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水記念館では、平成19年度より下記「特別展」を開催している。
    平成19年春季・・・琵琶湖疏水と京都御所用水
    平成19年秋季・・・松ヶ崎浄水場の誕生
    平成20年秋季・・・琵琶湖疏水と電気事業
 平成21年度は、琵琶湖疏水記念館のリニューアルオープンのため、見送られたが、私にとって特別展資料についている詳細な年表が楽しみであった。今年は、趣を変えて建設当初から昭和15年ころまでに画かれた絵画18点を展示する特別展が開催されている。      
(開催期間: 22-02-09~22-02-28)
            

 上図は会場で配布された資料を示したもので、写真と比較して絵画には、画家の個性と強調するポイントが示されており、疏水の歴史を語る力強い内容の展示となっていた。18点の中で、京都市美術館所蔵の1点を除き、初めて見学したものであった。
 2月20日と2月28日の午後1時30から2時まで専門員による特別展の解説(参加無料)があるので、見学の印象などホームページで紹介する予定である。本稿は、珍しい価値ある特別展に多くの見学者が訪れることを願ってまとめたものである。


イザベラ・バードの旅の世界展を見学

2010-02-09 22:21:09 | 美術と文芸

 英国婦人イザベラ・バードが明治初期に来日して日本各地を流行し、「日本奥地紀行」を刊行したということは、冊子で読んだ記憶はあったが、詳細を知る機会がなかった。今回、京都大学の金坂清則教授がバードの旅の足跡をたどり、約20年かけて撮影した100点の写真とバードが残した記録を対比して発表する写真展が京都大学総合博物館で開催された。
                     

 バードは1826年(仁孝天皇・文政年間)に牧師の長女として生まれ、幼少時は病弱であったが、海外の世界にあこがれて22歳から70歳までの半世紀近く世界中を旅行し、その範囲は南米・南極を除く5大陸におよび、多くの旅行記を刊行している。
 死去したのが1904年(明治37年)であるが、日本を訪問したのは1878年(明治11年)47歳の時であった。この時期の日本は、西南戦争が終り大久保利通が暗殺され、伊藤博文は内務卿として政府の中心に登場したころである。
 バードの日本における旅程は、横浜を起点として鉄道が敷設されていない東北地方から北海道を旅行し、当時の日本の風俗・習慣・生活・環境などをくわしく観察し、とくに北海道のアイヌの紹介記事は貴重なものとなっている。北海道から船を利用して戻ったバードは、大阪・神戸・京都・奈良・伊勢と関西地方を回っている。今回の展示会では、京都同志社の新島襄宅(新築直後)訪問が紹介されてあった。

 バードの日本旅行記は、明治初年の庶民の生活ぶりを、外人の目から見た観察記であり、私にとって興味深い情報である。私が初めて海外(欧州)に出かけてカルチャーショックを受けたと同じように、バードの日本旅行は初めてのアジア旅行であり、その後朝鮮や支那を訪問して日本人・朝鮮人・支那人(当時の呼称)の比較を記事にしているが、きわめて鋭い観察力である。
                 
 英国人バードの目から日本人をみると、猫背・がに股・小人といった貧相に見えるが、女性一人旅で危険を感じたことは全く無く、支払い時にチップを要求されたことがないと驚いている。現在の日本人は背丈も高く、イケメンの若者が多いが、当時の日本人より背丈の高いアイヌ人や朝鮮人を評価する記述もあるようである。一方日本人の家族の結束や他人への親切心も評価している。
 バードは多くの著作・スケッチ・写真・記事を残しているが、バードを紹介する本も多く出版されている。機会を見つけてくわしく読みたいと思っている。なお、この写真展は3月28日まであるので見学していただきたい。