神戸らんぷミュージアム・とんぼ玉ミュージアム見学

2009-02-25 20:07:44 | 美術と文芸

   2月22日に所用で神戸にでかけ、かねてより注目していた二つの特色ある美術館を訪問してきたので、その要旨を報告する。
             
       神戸らんぷミュージアム         KOBE・とんぼ玉ミュージアム
1)神戸らんぷミュージアム訪問
 日本各地にランプの展示してある美術館があり、京都にも内外の石油ランプ蒐集を中心とした「京都祇園ランプ美術館」が存在するが、今回「神戸らんぷミュージアム」を見学した。資料によると、昭和63年(1988)に神戸の観光地・北野にあった「旧北野らんぷ博物館・赤木清士コレクション」を関西電力㈱が継承し、その後拡充して、平成11年(1999)に旧居留地内のクリエイトビルに開館した美術館である。 
 この美術館では、人とあかりの出会いコーナー(日本古来の発火方法)から始まり、動物や植物の油脂を用いた時代・江戸期に普及した和ろうそく・西洋からもたらされたランプ時代・石油ランプやガス燈に続く文明開化のあかり・電灯へと時代を追って800点の品(収蔵品は2300点)が整備展示されている。とくに嬉しかったのは、私が中学時代に夢中になった燐寸のレッテル展示があったことである。神戸在住の伯父からいただいた輸出用燐寸(マッチ)レッテルの動物シリーズの類似品が展示されていた。港町神戸にピッタリした美術館であった。

2)KOBE・とんぼ玉ミュージアム
 JR三ノ宮駅から歩いて10分の距離にあり、神戸らんぷミュージアムに隣接したビルにある。とんぼ玉とは孔の開いた玉のことで、模様のついたガラス玉をトンボの複眼に見立てて呼称されている。その歴史は古く、数千年前の古代エジプト時代に造られており、日本では、吉野ヶ里遺跡からエジプト伝来と想像されるトンボ玉が発見されている。正倉院の御物にも存在し、仏教美術と結びついて奈良時代から製造されたといわれている。
 震災10年を迎えた平成17年(2005)にオープンした新しい美術館で、貴重な古代ガラスの羽原コレクションが展示されており、とんぼ玉を中心としたガラス工芸品の歴史を楽しむことができる。また国内とんぼ玉作家12名の個性ある展覧が開催(第12回企画展示)が開催されていた。最近では単なるとんぼ玉ではなく、精巧な技法を加えて美術品と言いたい作品が提案されてきた。個別の鑑賞もよいが、小物の集団の美もすばらしく、魔法の国に迷い込んだ気分が味わえた。機会があれば再度訪問したいと思っている。

 


帝冠様式と呼ばれる京都市美術館

2009-02-13 16:42:42 | 美術と文芸

 去る1月17日、京都アスニーの「アスニー京都学講座」で京都市文化財保護課・石川祐一氏の2時間の講演「近代建築の見方」に出席し、近代建築の定義と歴史の概略を聴取する機会を得た。明治維新のあと海外の建築様式がどのように日本に導入され、建築材料の進化とともに展開したかについては、化学技術者出身の私にとって初めての講義で、きわめて興味深く楽しませていただいた。
 
  今回は、その中で昭和初期に展開された和洋折衷様式の「京都市美術館」について少し解説したい。昭和3年(1928)に昭和天皇の即位式が京都で挙行されたのを記念して、昭和8年(1933)に「大礼記念京都美術館」として開館したのが始まりで、大正15年(1926)設立の東京都美術館に次ぐ全国で2番目の公立美術館である。
 この建物は、全国から公募された設計案の中から東京の前田健二郎案が選ばれ、京都市設計課が若干修正して建設されたもので、明治維新後に導入された洋風建築(建物)と日本の伝統的な和風建築(瓦屋根)とを組み合わせた和洋折衷建築となっている。
                              正面左側から見た京都市美術館       正面中央右側から見た京都市美術館

 この建築様式を少し調べてみたら、「帝冠様式」と呼ばれるもので、昭和5年(1930)~昭和15年(1940)の短い期間に採用された建築様式である。太平洋戦争開始前の10年間で、国粋主義に猛進する日本で編み出された折衷様式といわれるが、その美しさを今に残している。岡崎公園内にある「京都市美術館別館」、四条河原町にある「南座」、大津市にある「旧琵琶湖ホテル」などもこの様式であり、私の生れた時代の建物として、これからも外観だけでなく内部まで楽しみたいと思っている。


吉田神社の節分祭と大元宮参拝

2009-02-09 19:07:13 | 歴史と散策

  去る1月21日、山科アスニーで吉田神社の禰宜・高野さんの「節分と吉田神社」という題の講演会に出席した。すぐ隣りにある大学で学生生活を送ったので、たびたび訪ねたことがあったが、くわしい由来を聞いたのは初めてであった。
 吉田神社は、平安京に都が定められてから65年後の貞観元年(859)に都の東北の位置にある吉田山に創建された古い神社である。古来より東北の方向を「鬼門」と呼び、鬼の住む禍が訪れる方角として畏れられていた。この鬼を追い払う行事が2月3日の節分に行われ、吉田神社は「節分厄除け詣り」の発祥の地として知られるようになり、毎年50万人くらいが参拝に訪れるという。
 私も例年通り2月3日に参拝したが、今年初めて本宮前を右手に登ったところにある「大元宮」を参拝した。この本殿は、朱塗の八角に六角の後房を附した全国唯一の特異な様式を持っており。この「大元宮」(重要文化財)をお参りすることで、全国すべての神々をお参りのと同等のご利益が得られると伝えられ、欲張っていろいろな事をお願いしてきた。
   
       正面から見た大元宮              裏側から見た大元宮

 さらに山道を登ると、大文字山の眺望で有名な頂上広場に達する。ここに山水を集めた京大貯水池が存在するが、京都大学の構内のレベルが疏水分線の水位より高いので、構内の火災発生に備えて設置されたと聞いている。
 高野禰宜は、“吉田神社は観光神社でなく信仰神社である”と胸を張ったが、財政面からの運営はきびしいと声を細めて話された。昨年は1250年祭で賑わったが、今年は大元宮をPRすると話された。この八角形が、織田信長の安土城天守閣八角形の元になり、日光東照宮の建築にも影響を与えたという。吉田神道を創始した吉田兼倶が1484年に創建した大元宮をすがすがしい気分で参拝することができた。


ハナカタバミー2

2009-02-05 15:49:52 | 植物と動物
 昨年5月12日付のブログで、「ハナカタバミの繁殖力」という題で小文を紹介した。一昨年9月中旬に3種のハナカタバミ(オキザレス)の球根をいただいたので、すぐにプランターに植え付けたら、すぐに芽がでて年末には花が咲き始め、今年の3月まで咲き続けた。4月に入ってから、プランターから抜いて球根を保存し、昨年10月初めに球根を植えつけた。2回目の経験であるが、12月半ばから花が咲き出したが、この植物の特徴がいろいろとわかってきた。
 専門家でないので、名前をオキザレス黄・オキザレス白・オキザレス赤縁と呼んで、開花の状況を示すと、花芽は寒い日は開かず、暖かい日に開き、この開閉を1ヶ月半続けている。しかも、午後になり陽射しが弱くなると閉じる。春日和の今朝は花が揃ったので撮影した。
       
   黄色(オキザレス・セルヌア)           白色(オキザレス・ブルブレア)
                       
              白・桃の縞(オキザレス・パーシカラー)
 黄色は蕾が多くまだ咲き続けると思うが、白色の新花芽は少なく1ヶ月半の間15本の花が開閉しているが、白・桃色は閉じると美しい縞模様を示し、天気のよい日中は約60本の花が一斉に開閉する。寒い京都のマンションのベランダで、冬中咲き続けるハナカタバミはは貴重な花球根である。

平成21年2月度ホームページ投稿項目

2009-02-04 14:47:55 | 琵琶湖疏水

 ホームページ(http://www.geocities.jp/biwako_sosui/)の2月分として下記5件を投稿しましたので、お立ち寄りください。

329 分類  雑件・京都歴史・10項(G-01-10)
    題目 「京都御苑・歴史ふれあいの道」の散策(2)
    要旨  散策会の参加記録(中央より東側)
330 分類  文化・芸術石額・11項(F-02-11)
    題目  田村宗立と河田小龍の絵図(1)
    要旨  田村、河田両氏の絵画の比較
331 分類  文化・芸術石額・12項(F-02-12)
    題目  田村宗立と河田小龍の絵図(2)
    要旨 「琵琶湖疏水の100年」誌の絵図の対比
332 分類  文化・芸術石額・13項(F-02-13)
    題目  京都府立総合資料館所蔵の疏水工事写真
    要旨  故中村栄助氏撮影の写真の考察
333 分類  文化・観光開発7項(F-04-07)
    題目  蹴上発電所にある近代化産業遺産
    要旨 「水力発電事業発祥之碑」と石額「亮天功」について