ブログ258 琵琶湖の近況の新聞記事紹介

2015-04-11 15:39:14 | その他

2015年3月17日より「琵琶湖遠近(第2部見つめる寄り添う)」と題した琵琶湖の最近の動きが5回連載された。京都新聞滋賀本社琵琶湖取材班によりその内容がわかり易くまとめられているので参考までに引用させていただいた。

1.せっけん運動はいま(水質守る志雨水利用に)

 

2.遠のく子どもたち(水辺の楽しさ伝え方模索)

 

3.固有魚復活への壁(多様な遺伝子放流で配慮)

 

4.新しい関わり方(ヨシ適地再生事業で責任)

 

5.撮り続けて(新たな危機足運び気付く)

 


ブログ255「かんかんぼう(閑々坊)」という名前の由来(その2)

2013-03-12 02:46:02 | その他

 「かんかんぼう(閑々坊)」という名前の由来(その2)

1)まえがき

 私が化学系会社を72歳で正式に退職したのが平成12(2000)年6月であったが、原稿の活字化や印刷は秘書部の担当であったので、最初に取り組んだのが「パソコン機器一式」の購入で、自分でワープロを打てる体制の確立であった。平成13(2001)年頃から琵琶湖疏水周辺の散策を開始し、その結果をパソコンで文章化して記録を蓄積し、平成15(2003)年にまとめて「琵琶湖疏水の散歩道」と題した冊子を500部作成し、京都新聞出版センターから発刊した。この3年間は充実した時期で、高齢という意識は全く無かった。幸いにも近隣にパソコンのハードに強い息子一家やソフトに強い娘一家が居て、立ち上げの指導

をしてもらった。当時、琵琶湖疏水を歩いて楽しむという発想が珍しい時期で、話題性も大きかったが、アドレスとして採用したkankanbowの名前に関する質問が多かった。

 一方、私自身もホームページ投稿としては少し重く感じる原稿も増えてきたので、平成19(2007)年秋にホームページと並行してブログを開設し、その第1号に下表(要旨)を投稿している。

 

平成19(2007)年11月28日投稿 (ブログ001)

「かんかんぼう」という名前の由来(その1)

自己紹介を兼ねて掲題の小文を作成した。一般に「カンカン帽」というと、明治末から昭和初期に大流行した帽子(紳士が外出するときに着用するストローハット)を想像するが、私のカンカンボウ(kankanbow)は、旧制中学後半から旧制高校にかけて俳句を作っていた時の「閑々坊」という俳号に由来する。「閑々坊」とは、毎日が暇で困っている退屈な人という意味ではなく、多忙な中でも余暇を見付けて楽しむことを忘れてはいけないことを意味したものであった。
 太平洋戦争の末期に徴兵リスクを避けて技術将校の道を進むため、考古学者になる夢を捨てて旧制高校で理科甲類を選び、終戦後になって大学では化学の分野を専攻して化学系企業に就職し、約50年間を研究開発一筋に過した。70歳を超えて退職し、迷いなく全く遠ざかっていた地理・歴史・環境・園芸などの世界で趣味の道を探して第二の人生を楽しむことにした。選んだ道は大津市と京都市に関係する「琵琶湖疏水」というテーマであった。
 退職後約7年を経過したが、その間に「琵琶湖疏水の散歩道」と題した冊子を京都新聞出版センターから刊行(2003年春)させていただいた。同年秋には「琵琶湖疏水を語る部屋」と題したホームページを開設した。いつしかボランティア活動のつもりでスタートした趣味の世界が多忙となり、「閑々坊」では無くなって来た。この時にメールアドレスとホームページにハンドルネームとして採用したのがkankanbowの呼称である。  

この間ホームページの投稿件数は順調に増加したが、私が興味を持つ分野はもっと範囲が広いので、気楽に取り組める「ブログ」を「ホームページ」に並行して開設(平成19(2007)年秋)した。

     

 

   2)山科区役所主催の山科魅力発信プラットフォームの全員集会に参加して

 「琵琶湖疏水」というテーマに取り組んでから、多くの団体や個人愛好者との交流が進んだが、浅く広い課題であり、地元の山科地区との交流は一番最後となった。山科地区との交流の最初は、京都橘大学の織田直文教授が主導する「山科盆地景観研究会」に途中参加して、メンバーの一人であった土山年雄さんが主導する「やましなを語りつぐ会」に加入するキッカケとなった。その中で私自身の紹介は“本名”が中心となり、“kankanbow”というハンドルネームを知っている人は限定されていた。

山科区役所がスタートさせた「山科魅力発信プラットフォーム」への途中参加も最近のことであった。今回の全員集会にも多くの知人が参加していたが、私が胸に下げた名札「閑々坊」は、「やましなを語りつぐ会」所属の過半数が知らなかったようで、多くの人から名前の由来の質問を受けた。そして私自身も日常パソコンで私のホームページやブログを閲覧している人だけが知っている特殊呼称(kankanbow)であることに気付いた。

また、山科地区以外の人との交流は、私のホームページやブログの閲覧が最初のキッカケとなったケースが多いので、交流者から“kankanbowさん”ですね?と声をかけられることもよくあった。

山科地区には多くの歴史地理愛好者がおられ、代表的な団体としては「語りつぐ会」と「ふるさとの会」が特徴ある活動を推進しているが、相互の交流の場がきわめて少ない。一部の人が両方の会に加入されている。今回の区役所が主導する全員集会は、この両者の団体が交流する場として有用と考えられ、今後運営面でも充分に配慮してほしいと感じた。同時に今回の山科区役所の熱心は活動には心から敬意を表したい。

もう一つ付け加えると、H18(2006)年10月に発足した「語りつぐ会」は、H17(2005)年に発行された「モノクロームヤマシナ」の編集が契機に誕生し、京都橘大学の木下達文先生の指導下に支援組織として活動し、その成果として略称「京都山科・東西南北」誌が平成22(2010)年に発行されている。

私が「語りつぐ会」の例会で、新会員として紹介されたのが平成21(2011)年9月であり、「東西南北」編集に全くタッチしていない。最近になって「東西南北」誌を熟読してみて、うまく纏めてあることを改めて実感している。「山科魅力発信プラットフオーム」の活動には10年以上の歴史背景があることも再確認した。そして次回に発行される「東西南北]続編に向けて勉強し、協力したいと考えている。     


京都山科の琵琶法師と「四ノ宮琵琶」の話題

2012-11-17 11:56:32 | その他

  今朝の京都新聞(2012‐11‐14)の地域欄のトップ記事として、京都市山科区四ノ宮に伝わる琵琶法師の記事が大きく掲載された。この記事は11月17日の夜に山科区の隋心院で演奏される「四ノ宮琵琶」の紹介である。演者である小谷昌代さんは、今年の6月に自ら名付けた「四ノ宮琵琶」の演奏を初披露してから大津市を含む近隣各地で発表をしてきたので、地域では知られた話題になりつつあるが、しかし地域の外ではまだ知られていない段階である。

  小谷さんは、山科疏水のほとりに住まれており、私が数年前に作成した「琵琶湖疏水の歴史散策」のデザイン・編集・発行業務を担当したいただき、今回の改訂版の作成時期が多忙な「四ノ宮琵琶」の発表・普及時期と重なったので、かなり迷惑をかけたと感謝している。また、山科区に立地している橘大学の「山科盆地景観研究会」や山科区役所まちづくり推進課が発行した「京都山科東西南北」誌のイラスト担当者として、その活躍範囲は山科区全体に及んでいる。

  私も四ノ宮近隣に在住しており、「山科絵」や「四ノ宮琵琶」の話題は嬉しいニュースであり、ネットに登場する機会を増やす目的で記載させていただいた。

  この記事を書き終わった直後に、青空だった東の空が突然急雨となって、美しい虹が懸かって数分で消えた。珍しい現象であるが、この記事を祝福してくれた感がした。

       

「四ノ宮琵琶」はオリジナルな話題であり、少し詳しく記載するつもりであったが、小谷さん自身が作成しているブログに10頁の写真入り記事があり、下記4項目に分けてわかりやすく紹介されている。琵琶という特殊な世界と四ノ宮琵琶の特徴が簡明にまとめられているので、下記ブログを開封して読んでいただきたい。

1)ミステリアスな琵琶ルーツ

2)四ノ宮という地名

3)四ノ宮琵琶とは?

4)誰もが自由に想像のままに

http://repepp.web.fc2.com/shinomiyabiwa.html


講演会「森林で起こっている異変、その原因と対策」の要旨

2012-07-05 23:41:34 | その他

 平成24年6月6日山科アスニーで、京都府立大学・特別講師小林正秀氏の掲題の講演会があり、出席させていただいた。冒頭の館長紹介にもあったが、講師は私がテレビ放送で楽しんでいる「夢の扉+」の1年ほど前の報道にも「ナラ枯れカシナガ森林保護スペシアリスト」という題で登場した先生であることを思い出し、最近山科疏水の側斜面でも被害が発生しているので興味深い講演であった。
 先生は奥地の南丹市美山町の出身で、築200年の国指定重要文化財の旧家に生まれ、幼少時代から野山や川で遊んでいたから、動植物に関する知識と山野を駆け巡る持久力(体力)には自信があると自己紹介された。
 
 先生は、2000年来、全国的に被害が拡大しているナラ枯れの原因が、体長わずか5mmの「カシノナガキクイムシ(カシナガ)」にあるので、十数年前からカシナガの生態と被害拡大のメカニズムの研究に取り組まれ、今回の講演会でもナラの木に侵入したカシナガの幼虫が内部で成長していく姿を動画で紹介していただいた。私は最近カシナガによる被害状況を文書や講演会で聞いていたが、顕微鏡撮影による幼虫の動画映像を拝見し、被害の全体像を再認識することができた。講演が終わっても先生の周辺を質問者が取り囲んでいた。残念であったのは説明資料の配布が無かったことで、本記事のまとめにも苦労したが、間違った表現や解釈があればお詫びしたい。


大津市歴史博物館の企画展「車石」の紹介

2012-02-07 00:12:44 | その他

  3月3日(土)から4月15日(日)の期間、大津市歴史博物館において「車石(くるまいし)-江戸時代の街道整備-」が開催される。約200年前に大津と京都を結ぶ東海道に車石のレ-ルが開通していたという本邦初の企画展で、「車石・車道研究会」と「大津歴博」とが長期間かけてとりまとめたものである。歴史秘話としてすばらしい内容に仕上がっているので、是非見学してほしい。このほど下記パンフレットを入手したので紹介する。

        

 

 開館時間は午前9時から午後5時で、休館日は毎週月曜日と3月21日である。一般観覧料だ500円、高大性300円、小中生無料である。この間、関連講座や車石・車道研究会主催のイベントも開催される。細部については、〒520-0037大津市御陵町2-2 大津市歴史博物館、TEL.077-521-2100http://www.rekihaku.otsu.shiga.jpに問い合わせてほしい。


山科アスニー講演会「調理担当から見た南極大陸の一年間」

2012-01-15 19:56:04 | その他

 1月11日に、山科アスニーで「調理担当から見た観測隊と昭和基地のお正月」と題した講演会が開催された。「南極大陸」については、昭和58(1983)年に「南極物語」として映画化され、昨年末に20億円を投じたといわれる木村拓哉主演のテレビドラマ「南極大陸」があり、記憶も新しかったので拝聴させていただいた。
 講師の北田克治氏は、第38次と第45次の2回越冬隊に参加しておられ、述べ2年4ヶ月(4回のお正月を経験)の滞在経験を持っておられ、巧みな話術で興味ある経験談を楽しむことができた。
 テレビドラマの舞台は昭和33(1958)年ころの話題で、越冬隊員は日本から砕氷船に乗船しているが、現在では11月末に飛行機で豪州に渡り、先発した宗谷に乗船して12~1月に南極大陸東オングル島に上陸し、2月に交代している。隊員が60人で編成され、うち40人が越冬し、20人が夏隊となる。したがって越冬隊員は出発の翌々年に帰国することになる。北田さんの話によると宗谷の乗組員を含めて280~400人の調理を担当したことがあったようである。建屋も順次補強、大型化され、テレビで見たより大規模の施設となっており、施設内容も改善されているのに驚いた。
 日本で普通に生活している人が南極で越冬することの難しさを体験談の中から拾うと、
① 北田氏は昭和39(1964)年生れ、日本国際文化研究センターのレストランで料理長を担当していたとき、研究員の一人が観測隊に選ばれ、北田氏の多彩な人柄から越冬隊料理長に推薦され、2回も機会を与えられた。現在、京都桂の料亭「あかおに」の料理長。
② 出発前の健康診断は厳格で、あらゆる角度から検査を受ける。病気ウイルスの全くいない現地での生態系への影響を配慮し、また隊員の現地での健康の万全を配慮する。
③ 料理だけでなく、大工仕事・医者補助・環境保全補助・電気工事補助・イベント企画などなんでもできることが要求される。北田氏が講演会の最後に残した言葉は、「ひとりでなんでもできるとは思わないこと」であった。
④ 越冬施設には講演会場(約200人収容)くらいの冷凍室が存在し、大量の食糧を保存している。43次越冬隊から予備食糧は空輸で送られるようになった。予備食糧は1年、3年、5年に分けて離れた倉庫に保存する。新鮮な野菜類は豪州で調達し、キャベツなどは半年保存できる。
⑤ アザラシなどの肉類を現地調達したことはない。魚はワカサギ釣りの要領で2mくらいの孔を掘って釣り上げることができる。北海道産のタマネギは1年間保存できる。太陽が全く昇らない真冬には、保存の難しい生鮮食料が枯渇する時期であるが、食事が最大の楽しみである越冬生活での料理長の腕が力を発揮する時期でもある。
⑥ 低温環境であるが、乾燥しているのでソフトクリームがおいしい。日本で酒をあまり飲まない人も南極生活ではよく飲む。氷山に湯を流し、その斜面にソーメンを流して楽しんだこともある。シャボン玉が凍るのが面白かった。
⑦ 最初は樺太犬を同道したが、国際条約で動植物の持ち込みは禁止されているので、犬の同道はできなくなっている。発生したゴミはすべて持ち帰っている。
⑧ 2月から9月にかけてオーロラの観察ができる。オーロラ発生の予測はできない。現地では、新聞係が毎日新聞を発行し情報の共有に努めている。最初は映画フイルムを持参したが、いまではDVD時代で便利になっている。
⑨ 現在第53次の隊員が越冬している。交代時期は2月1日である。私もアメリカや欧州で数カ月の集団生活をしたことがあり、各人の個性間の調和が難しくなるが、北田氏は料理面だけでなく、チームの運営調和面でも大きく貢献されたことが講演内容から伺い知ることができた。

 1時間半のスライド映写による講演内容を記憶のまま整理したもので間違いがあったら容赦願いたい。


第14回世界湖沼会議が米国テキサス州で開催

2012-01-06 15:26:28 | その他

  昨年10月31日から11月3日まで、掲題の会議が米国テキサス州の州都オ-スティン市で開催され、世界39ヶ国から約500人の研究者や行政担当者が参加した。
  この世界湖沼会議は、日本の滋賀県が提唱して昭和59(1984)年に大津市で第1回会合が開催された日本発の国際会議で、ほぼ2年ごとに世界各地で開催されてきたが、日本では、第1回(1984)に続き、第6回(1995)茨城県つくば市・土浦市、第9回(2001)滋賀県大津市の3回開催されている。
  この国際会議の開催議事や報告内容は、ネットでその詳細に接することができ、貴重な情報源となっているが、今回は日本の琵琶湖保全の先進性が注目され、「統合的湖沼流域管理(ILBM)」の重要性を訴える宣言を採択して閉幕した。
  ILBMとは「湖沼を隣接する地域だけで保全の努力をしても、水が流れ込む上流域と流れ出る下流域の協力がなければ、水質や水量の維持は難しい。情報の統合管理が必要である」との思想のことで、研究者出身の滋賀県嘉田知事は「琵琶湖総合開発事業の取り組みで、効果的な利水と洪水の減少が実現した」(京都新聞記事引用)と発表した。
 この宣言は、2012年6月にブラジルで開催される「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」で議論検討すべき課題となるよう努力ことを盛り込んだ。
 また、嘉田知事は「湖沼会議の父」と呼ばれる琵琶湖研究所の初代所長・吉良竜夫が、開催直前の2011∸07∸19に逝去したことを報告し、その貢献に感謝した。

 「琵琶湖ハンドブック」によると、世界には数百万個の湖があり、面積500平方km以上の「太湖」は253(うち淡水湖は188)存在するが、琵琶湖は日本唯一の「大湖」で、淡水湖の面積順位は129番目にあたる。琵琶湖の貯水量は275億トンあるが、琵琶湖淀川系には1400万人の住民が生活しており、その水管理のレベルの高さが世界の注目を集めている。世界湖沼会議で報告される各国の話題を読むと、水にかかわる題が多岐にわたっており、きわめて難しい問題を抱えていることがわかり、世界湖沼会議や世界水フオーラムなどでの国際討議の重要性を再認識することができた。


京都橘大学主催の「現代ビジネスフオーラム」に出席

2011-12-20 11:01:21 | その他

現代ビジネスフオーラム「地域連携の到達点と展望」
         (大学はどこまで地域貢献ができるか)

 2011年11月19日、JR京都駅前の「キャンパスプラザ京都」で掲題のフオーラムが開催され、出席させていただいた。
    
 京都橘大学の「山科盆地景観研究会」でご指導いただいている織田直文教授の総合司会で、下記3人の講師が配布資料に基づいて事例報告を行った。
 筒井のり子(龍谷大学社会学部教授)・・・・・・・・・大津市の事例報告を中心に
 森 正美 (京都文教大学人間学部教授)・・・・・・・宇治市の事例報告を中心に
 木下 達文(京都橘大学現代ビジネス学部准教授)・・・京都市山科区の事例を中心に

. 大津市の事例は、「大津エンパワねっと」を進める会という地域の諸団体と大学教員で構成された組織の活動内容で、学生と地域が協力して過去3年間に32件のプロジェクトを実施している。地域力×学生力=∞(無限大)を標語として活動し、協力した学生には[龍谷大学まちづくりコーディネーター]の認定証を付与して成果を挙げている
. 宇治市の事例は、「宇治茶」を中心とした活動内容と京都文教大学の教育方針の特色の紹介があり、「就業力×学士力で社会を生き抜く力を育てる」の標語が示された。今年の新聞報道で緑茶の話題が多いが、その活動のベースになっていることが理解できた。
. 山科区の事例は、私自身が住んでいるので活動内容は十分に理解していたが、「京都橘大学における地域連携実績―この10年を振り返る」と題して、同大学の7人の先生の活動内容が資料で細部紹介され、認識を新たにした。

 そのあと、第二部で、立命館大学政策科学部の高田教授がコーディネーターを務めて3人の講師間のシンポジウムが開催され、最後に京都橘大学文化政策研究センターの杉山所長の閉会挨拶で3時間半のフオーラムが終了した。

 全体の印象として、地域に所在する大学が、その地域と深く提携して指導することは重要なことであり、学生の指導面と地域の文化面・活性化面で着実に効果を挙げていることを認識することができた。さらにお互いに隣接する大津市・山科区・宇治市・伏見区が一堂に会して成果を確認し合うことの重要性も理解した。

 


山科三条街道商店会フェスティバルで「車石」体験学習会を開催

2011-11-25 21:08:13 | その他

 2011年度の秋季行事として、山科三条街道商店会では「三条街道わくわくフェスティバル」の名のもとに、多くのイベントが三条街道沿いに開催されたが、「車石車道研究会」では“車石体験学習会”を11月5日に開催した。
         
 会場には研究会の山崎代表、久保事務局長以下関係者が説明役を担当され、珍しい形の車石の実物が展示され、車石・車石の解説資料も配布された。車石クイズも用意され、往来の人で初めて車石を見た人や、質問で知識を深める人などがつづき、5時間のイベントが賑わった。
 「車石・車道研究会」は、文化2(1805)年の三条街道車石敷設工事から丁度200年になるのを記念して平成17(2005)年8月に発足した組織で、6年目を迎えて今回三条街道で体験・学習会を開催したが、謎と夢の大きいテーマを抱えて着実に成果を挙げており、今後の発展を期待したい。


講演会「幕末ニッポンに来た外国人たち」に出席

2011-11-01 22:05:13 | その他

 10月19日に山科アスニーで「幕末ニッポンに来た外国人たち」と題した講演会が開催された。私は幕末から明治にかけて来日した外国人について、一部の外国人を個別に調査したことはあったが、総括した本を読んだことはなかったので、事前に簡単な調査を実施したが、総数34万件というビッグサイトで、辞書の形で総括した本も4冊ほどあり、数十人の外国人の名前が紹介されていることを知った。講演の講師・川合章子氏の肩書は歴史ライターであり、1時間半の時間一杯わかりやすく解説していただいた。そして、講談社発行の著書「外国人が見た幕末日本」の紹介があったので手にいれて一読した。
     
           
山科アスニーの講演風景          著書「外国人が見た幕末ニッポン」の表紙
 
 講演内容は、文化5(1808)年から文久元(1861)年までに来訪した外人をアメリカ・ロシア・オランダに分けて、その間の歴史秘話を交えて面白く紹介していただき、知らなかった話題も多かった。また著書は、ペリー・ハリス・サトウ等幕末開国時に来日した23人の記録で、登場する外人が主人公で話しかけるスタイルの文体を採用しており、外人の詳しいプロフィールとエピソードがセットになっていてわかりやすい。
 日本人から見た登場人物の評伝と異なっている点もあるが、23人が共通して認めている日本人の評価は、先進国の貧民靴の生活様式や貧富の差と比較して、庶民や貧しい人達の生活が明るく楽しそうであることと、風景がすばらしいということである。また、馬足に草鞋をつけているのに驚いたり、奇妙な和服姿を珍しがったりしているが、知識を吸収して近代化を進める底力を持っている国であることを認めている。
 観光発展を進める京都も、外国人の旅行者や住民の意見をもっと集める必要性を感じた。300ページを越える著書は、専門的用語を避けてわかりやすく表現しているので、歴史書としての重みはないが、読みやすく一気に通読した。一読をお勧めしたい。