12月14日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした日で、全国各地で記念行事が行なわれているが、京都にも赤穂浪士ゆかりの寺社が多く残っている。この中で、琵琶湖疏水の散策道の近くに存在する寺社について紹介する。
1)瑞光院(山科区安朱堂ノ後町)
山科疏水に架かる安朱橋を渡って毘沙門堂に向かう途中に存在する臨済宗大徳寺派の寺で、堀川通と紫明通の交差するところにある大日本スクリーン本社敷地内に存在していたが、昭和37年にこの地に移ってきた。この寺院が主君浅野家の祈願寺であったので、大石内蔵助が切腹した浅野匠頭の衣冠をここに埋めて墓を建て、切腹した46人の浪士の遺髪を納めた石塔とともに現存している。
毎年12月14日には供養祭が営まれ、近くの毘沙門堂を出発した義士隊が瑞光院の前を行進して大石神社に向かっている。
瑞光院にある墓前で行なわれた供養祭 毘沙門堂を出発する義士隊の行列
山科には、岩屋寺、大石神社、花山稲荷など大石内蔵助ゆかりの寺社が多く、数百人規模の義士隊の行列は広く知られた祭となっている。
2)本妙寺(左京区仁王門通東大路東入北門前町)
仁王門通に並行して流れる鴨東運河は直角に曲がって行くが、曲がらずに直進して東大路通に突き当たる少し手前に存在する日蓮宗の寺院である。この寺院には浅野藩の御用商人錦屋善右衛門が建立した赤穂浪士の3義士と貝賀の妻の合祀碑が存在している。
貝賀弥左衛門 行年54歳、中小姓・蔵奉行 十両三人扶持
吉田忠左衛門 〃 64歳、足軽頭兼郡奉行 二百五十石
吉田澤右衛門 〃 29歳、部屋住み
この寺には、貝賀の子孫が寄贈した遺品を納めた義士堂があり、12月14日記念祭に一般公開している。
義士祭の看板を立てた本妙寺門 貝賀一族の遺品を展示した義士堂
3)西方寺(左京区東大路二条下がる北門前町)
東大路二条バス停前に存在する浄土宗の寺院で前項の本妙寺の近くにあり、十内の妻が建てた赤穂浪士の小野寺一族4名の墓が存在する。
小野寺十内 行年61歳 京都藩邸留守居 二百二十石
小野寺幸右衛門 〃 28歳 部屋住み
岡野金右衛門 〃 24歳 部屋住み
大高源五 〃 32歳 中小姓近習・膳番 二十石五人扶持
毎年12月14日に慰霊法要が行なわれ、予約すれば参観可能といわれる。
4)妙蓮寺(上京区寺之内通大宮東入妙蓮寺前町)
9系統バス停「堀川寺ノ内」下車西に少し入ったところで、現在工事中の疏水分線延長の「堀川せせらぎ第一公園」の西側に存在する本門法華宗の大本山である。ここは、赤穂浪士・片岡源右衛門の菩提寺で、本門法華宗の大本山である。ここは、赤穂浪士・片岡源右衛門の菩提寺で、四十六士の遺髪墓が存在する。
片岡源右衛門 行年37歳 内証用人兼児小姓頭 三五〇石
5年前の討ち入りから300年記念に、表面の剥がれた300年前の墓石を新調して話題となっている。
5)その他
その他京都の各地には赤穂浪士ゆかりの地として、真言宗泉涌寺の塔頭「来迎院」、三十三間堂前の「法住寺」、丸山公園奥の「安養寺」など大石内蔵助ゆかりの寺院が存在する。
今回紹介した瑞光院、本妙寺、妙蓮寺については、少し詳しく1月度のホームページで紹介する予定である。 以上