シンポジウム「壬申の乱と大友皇子」に出席

2008-08-27 17:05:07 | その他
 8月23日「びわこ大津館」にて掲題のシンポジウムが開催された。京都市の平安京(794~)の歴史はほぼベースとなる記録が残っており、大略はまとまっているが、大津京(667~)の歴史については、唯一の記録といわれる日本書紀(718)が「壬申の乱」の当事者天武天皇の作であるため、大津京については正確でないと言われ、謎の多い時代と言われて来た。私のような素人にとって、今回のシンポジウムの題名に興味があり、出席させていただいた。広くない会場に200人を越える聴衆が集まった。
 パネラーは、井上満郎(京都産大文化学部教授)、松浦俊和(大津市歴史博物館館長)、崔光準(韓国新羅大教授)、竺文彦(龍谷大理工学部教授)の4名で竺氏がコーディネーターを兼務された。
                         
 
  シンポジウムでは、大友皇子のフアンで歴史学者でない竺教授が推進役を担当し、万葉集に詳しい崔教授から韓国側から見た意見や話題が多くでたので、私のような立場でも理解できる内容が多く、有意義な時間を過ごすことができた。
 とくに興味を持った話題は、韓国には日本書記や万葉集の時代の歴史書がないので、韓国からの渡来人が活躍した大津京の歴史を韓国の事物から考察したいという崔教授の発言や、考古学の世界はハイテク技術の活用で新しい発見が相次いでおり、謎の多い600年代が少しずつ解明されてきたという話題とか、大化の改新は少数派で成功したが反対派も多く、天武天皇はこれら反対派の不満をうまく吸収して壬申の乱に成功したとの松浦教授の説明など興味深く伺った。
 今後も機会を見つけて、大津京の知識を重ねて行きたいと思う。

平成20年9月度ホームページの投稿項目

2008-08-22 18:20:00 | 琵琶湖疏水

 ホームページ(http://www.geocities.jp/biwako_sosui/)の9月分として、下記5件を投稿しましたのでお立ち寄りください。

304話 分類 利用・池泉用水21項(E-01-21)
     題名 三条・五条大橋の旧橋桁の利用例―1
     要旨 三条大橋と五条大橋の旧橋桁の由来と利用例の解説
305話 分類 利用・池泉用水22項(E-01-22)
     題名 三条・五条大橋の旧橋桁の利用例―2
     要旨 五条児童公園・円山公園・岡崎地区の利用例の解説
306話 分類 文化・観光開発5項(F-04-05)
     題名 区民の誇りの木と琵琶湖疏水―1
     要旨 山科区・蹴上/鴨東運河地区の「区民の誇りの木」の紹介
307話分類 文化・観光開発6項(F-04-06)
     題名 区民の誇りの木と琵琶湖疏水―2
     要旨 鴨川運河・哲学の道・紫明通~堀川地区の「区民の誇りの木」の紹介
308話 分類 利用・池泉用水23項(E-01-23)
     題名 円山公園にある円柱形庭石
     要旨 円山公園と平安神宮における橋桁石柱の活用例の比較


五山の送り火が終って

2008-08-20 21:35:59 | 歴史と散策

   昨年8月に京都新聞では、京都おもしろ宣言の一貫として「五山の送り火」のシリーズを掲載し、五山(大文字・妙法・舟型・左大文字・鳥居)の特徴とこれを維持する人達の苦労話を理解することができた。今年は、山科アスニーにてNPO法人大文字保存会理事の久嶋憲二郎氏の講演を事前に聞いたので、昔話を含めてこの行事の理解度がさらに深まったと思っている。
   私は学生時代を東山地区で過ごしたので、五山の送り火といえば標高466mの大文字山の「大文字」である。登山した経験も数度あるが、地元の人達の仕事は、2月頃の残雪の中でアカマツの伐採作業を始める。そして割木を4~5月まで乾燥し、600束という大量の割木を75ヶ所の火床に積み8月16日の午後8時に一斉に点火する。
   この状況はテレビ・新聞などでくわしく紹介されているので、今年は翌朝の大文字山の状況を観察するため、今出川通の浄土寺橋の西に出かけた。
                    

   午前10時頃には、すでに約40名の人達が送り火の後始末の作業に従事していた。すべての作業が手作業であり、山の急斜面での仕事の辛さを痛感した一刻であった。
   琵琶湖疏水の歴史を回顧すると、第一疏水の竣工式を盛り上げるために祇園祭の月鉾・鶏鉾など4基が出動し、大文字の臨時点火が行われたと報じている。またロシア皇太子の入洛や日露戦争の祝勝記念として点火されている。地元の宗教行事といわれる五山送り火を観光事業として利用することの是非は現在でも問われている問題であるが、京都の四大行事の一つと言われる五山の送り火の維持への行政面での支援体制が必要と考える。


平城京の朱雀門を訪ねる

2008-08-15 22:41:08 | 歴史と散策

    学生時代は戦前戦後の混乱時代を過ごし、会社時代は化学分野の研究開発に集中したので、72歳で退職したときの日本史・世界史の知識は恥ずかしいくらい乏しいものであった。京都市に住居を構えたので、琵琶湖疏水をテーマとして京都の歴史の勉強をしようと考え、仲間に教えられながら8年を経過したのが現状である。
 今回、所用で奈良県境にある京都府木津川市を訪ねたとき、近くにある平城京跡地を見学したが、その敷地の過半が国有地であり、大規模な復元工事が国家事業として進められていた。 平成10年(1998)には、奈良市百周年記念事業の一つとして「朱雀門」が復元され、来る平成22年(2010)には、平城遷都1300年記念事業として、第一次大極殿の復元工事が進められている。平成22年(2010)度は琵琶湖疏水竣工120周年記念の年であるが、平城京の建物の復元工事では古代に使用された大工道具を用い、唐の首都長安城の様式を忠実に再現しているので、完成が待たれている。京都の平安京は、平城京完成の74年後に完成しており、同じく唐・長安の様式を採用している。
 
720年に建造された 平城京の復元朱雀門          794年に建造された平安京の復元応天門
      平成10年(1998)に平城京跡地に復元           明治28年(1895)平安神宮として復元

 琵琶湖疏水の取水地は大津京の建設場所にあり、大津京を造った天智天皇の御陵が山科疏水に沿って存在する。平成14年(2002)11月に開催された猪熊兼勝教授(橘大学)の講演会で、天智天皇山科陵の位置(東経135度48分)と同じ線上の約70km南にあるキトロ古墳・高松塚古墳・天武持統天皇陵・藤原宮大極殿跡地があると聞き驚いた。
 西暦年号(括弧内)は正確でないが、大津京(667)→藤原京(694)→恭仁京(745)→紫香楽宮(745)→長岡京(787)→平安京(794)と百数十年の間に遷都を繰り返した大和時代の終わりから奈良時代を経て平安時代に至るまでの歴史を、素人レベルで少し調べてみたいと思っている。最近の考古学はハイテク機器の活用や時代考証技術の進歩で、新発見や新解釈が続出している熱い学問分野になっているからである。


第四回時代祭展開催中

2008-08-06 23:54:02 | 歴史と散策

 岡崎「みやこめっせ」で開催されている時代祭展は、行列順に最も新しい明治維新時代(維新勤王隊列・維新志士列)から江戸時代―Ⅰ(徳川城使上洛列)、江戸時代―Ⅱ(江戸時代婦人列)とつづいて、7月26日から8月末の予定で4回目の安土桃山時代―Ⅰ(豊公参朝列)が開催されている。
         
         毎回無料配布されるパンフレット     天智されている大名・石田三成の人形

 この豊公列は、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ秀頼が元服した最も華やかな時代で、次回の織田公上洛列に若き日の羽柴秀吉の姿があるので、ここでは牛車に乗っているとして秀吉の姿は見えない。
   展示リストによると、浅野長政・石田三成ら五奉行、五奉行従者(供侍・先拂・随身・大名口取)、豊公従者(牛飼童・車副・沓持・薙刀持・槍持)、馬具(豊公馬具・大名馬具)などが展示されている。資料によると、大名が着用している衣冠は「一日晴の衣冠」といわれ、この日限りの装束として秀吉の権勢を京都の町に示そうとしたと紹介している。前にも紹介したように、祭に使用する衣装・祭具は厳密な時代考証と伝統工芸技術によって製作された本物で、今秋の時代祭行列では、目を凝らして見学したいと思う。
 次回は、安土桃山時代―Ⅱ(織田公上洛列)で、9月6日から10月5日まで開催される予定である。


早朝の山科疏水の散歩

2008-08-01 18:55:27 | 琵琶湖疏水

 私はこの10年間に四季の山科疏水をたびたび散策してきたが、5時過ぎという早朝に散策したのは初めてである。今回は藤尾から諸羽までの短い距離であったが、猛暑の日中を避けて早朝に散策する中老年男女の姿が多いのに驚いた。さらに9割以上の皆さんが“おはようございます”と挨拶し合うことにも驚いた。日中では挨拶しても常連さん以外には無視されることが多い。日本人は新幹線で隣り合わせになっても3時間会話なしで普通という国民性である。やはり、早朝からご苦労さんのいう気分になるのであろう。
 この時間帯は、やや明るくなったが陽射しがないので風景も少し変わった感じに見えた。
                 
                    四ノ宮一燈園前の山科疏水の流れ

 8月初めというと山科疏水の散歩道はセミの鳴き声で一杯になる。とくに、雨上がりの翌朝で陽射しが強くなり始めるとクマゼミの合唱となり、午後にはアブラゼミの合唱が始まる。今回は日差しのない時間帯で静寂な散歩道であった。
 日本ではクマゼミが一番大きく60~70mmあるが、世界のセミの種類は3000種あまりあり、一番大きいのはテイオウゼミの130mmで、一番小さいのがイワサキクサゼミの20mmである。地球温暖化の影響で九州など日本南部中心に生育したクマゼミがアブラゼミの勢力と逆転し、生育域も北上し始めたといわれるが、京都新聞の「環境異変・虫達の警告」(08-06-11)のよると、大型のクマゼミの幼虫はヒートアイランド現象で固くなった地面でも潜れるのに対し、アブラゼミの幼虫は潜れなくなった可能性がある……と解説警告している。私の子供時代はアブラゼミ中心で、クマゼミは希少価値があったが、最近ではクマゼミ中心になってきた。地球温暖化による人類への長期的影響を考えると、心配になるこの頃である。