平成22年12月度ホームページ投稿項目

2010-11-30 09:02:07 | 琵琶湖疏水

 ホームページ http://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の12月分として、下記5件を投稿しますので、ご覧ください。

第418話  分類  散歩道・旧東海道・10項(B-08-10,10-10-24)
               題目   平成22年度(第7回)車石・車道研究会に参加
           内容  くらしを支えた車石・車道-幕末京都をめぐる物流路-
第419話  分類  全般・その他・31項(A-04-31,10-11-04)
          題目  農林水産省が選定した「ため池百選」
          内容  全国に21万ヶ所ある「ため池」から100件を選出
第420話  分類  雑件・その他・33項(G-03-33,10-11-12)
          題目  秋の須磨離宮公園見学記
          内容  庭園の設計者・福羽逸人に焦点をあてて考察
第421話  分類  技術・技術全般・40項(C-03-40,10-11-25)
          題目  琵琶湖疏水記念館・特別展・疏水分線の移り変り
          内容  疏水竣工120周年を記念した疏水分線関連展示会の要旨
第422話  分類  文化・観光開発・10項(F-04-10,10-11-28)
          題目  琵琶湖疏水のスタンプラリー
          内容  「近代京都の礎を観る会」が初めて実施した本格的疏水散策会


特別史跡「旧閑谷学校」の聖廟前にある「楷の木」

2010-11-21 21:57:31 | 歴史と散策

 11月13日、岡山方面のバスツアーに参加し、コースの目玉の一つであった「閑谷(しずたに)学校」を見学した。交通渋滞の影響で見学時間が短く、帰宅してからネット検索で、そのすばらしさを再認識したが、聖廟前にある一対の「楷(かい)の木」の美しさには圧倒された。ここでは、「楷の木」に焦点を当てて紹介する。

1)閑谷学校について
 ウィキペディア資料を中心に数行にまとめて紹介すると、……岡山藩主の池田光政によって開設された「世界最古の庶民学校」で寛門10(1670)年に創建された。藩士のための教育施設「岡山学校」につづき、岡山藩立の学校として開かれ、32年かけて整備完成した。地方の指導者を育成するため、武士のみでなく、他藩の子弟、庶民の子弟にも門戸を開放した。施設のほとんどが国宝、重要文化財に指定されており、世界遺産への取組みが進められている。

2)聖廟前にある一対の「楷の木」
 聖廟の前に中国の孔子林の種を育てた一対の「楷の木」があり、紅葉と黄葉が面前を覆った。ガイドの説明によると、もっとも美しい時期の訪問であった。正面に立っている駒札には、…楷は東南アジアや中国に自生するウルシ科の植物。大正4(1915)年、林学博士白沢保美氏が中国 曲阜の孔子廟の楷の実を持ち帰り、育苗したのが日本における最初のものである。そのうちの2本が大正14(1925)年に閑谷学校に寄贈され移植された。秋の紅葉が非常に美しい…と紹介されている。
    
     10-11-13-3901 楷の木の葉拡大写真               10-11-13-3902 楷の木の全体写真

 向かって左側の木は紅葉で、右側の木は黄葉であるが、斜めから撮った紅葉の楷全景の写真を示すと、
              
               10-11-13-3024    手前が紅葉、奥が黄葉

「楷の木の歴史」については、大阪大学・基礎工学部の紹介記事がある。
www.cheng.es.osaka-u.ac.jp/alumni/kainoki.htm
 この報告に、閑谷学校の一対の「楷の木」は幹の太さが2m、高さ13mで、風土に合っているためかここの楷の木が最も大樹に育っていると紹介されている。また、「楷」は中国では模範の木とされており、日本においても書体の「楷書」の語源で“つよくまっすぐ”の意味で、儒学の精神を体現するシンボリックな存在としても有名な珍木である。 
 雌雄異株で実をつけるまでに20年を要し、雄株と雌株をあまり離して植えると交配できず、実がつかない。発芽率は低いが成長力は大きく、樹齢は700年にも達し、樹高は30mになると紹介されている。

 日本国内の孔子や儒学のゆかりのある学校や他の特殊施設の記念樹として各地に植樹されているが、日本では、珍しい木として珍重されている。


北垣国道知事と京都市「錦市場」の話題

2010-11-18 16:05:50 | 琵琶湖疏水

 疏水仲間の会合で、北垣知事が京都の「錦市場」の組織化を推進したという話題を聴取したので、「北垣国道・錦市場」でネット検索を実施した結果、4~5件の類似情報を見出した。その要旨を紹介すると、
 ……北垣知事は明治14(1881)年から明治25(1892)年の間、京都府知事として赴任しているが、錦市場における不必要な商売上の競合を避けるために、知事の主導で「魚鳥干物商組合」を結成させ、錦市場の共同体としての結束を作り上げ、現在の発展の基礎を築いた……という記事である。

 錦市場のホームページや歴史資料によると、錦市場のある錦小路の歴史は古く、延暦年間(780~850)に開かれている。魚貝類の貯蔵に適した地下水に恵まれ、都の中心部に位置し、京都御所に近いこともあって、錦小路に魚屋が集まったとの記録もあり、幕府の認可もあって本格的魚市場として発展したが、明治維新のあと特権が廃止され、店数も減少しきびしい時期を迎えていた。北垣知事が組合結成の動きをしたのは、知事着任初期のころと想像される。(北垣の日記「塵海」には見当たらない)
 その後、明治44(1911)年に「錦盛会」の結成、昭和4(1928)年の「錦栄会」の設立、昭和38(1963)年の「京都錦市場商店街振興組合」の設立など発展の動きのあと、平成5(1991)年には写真に示す3色の新ア-ケ-ドが完成している。
    
    10-11-16-3031 錦市場の出入り口にある看板        10-11-16-3027 賑わう12m幅の買物道

 現在の錦市場は、生鮮食料品だけでなく日用雑貨品などの店もあり、今や京都随一の商店街に成長しており、世界にも知られた京都名所となっている。琵琶湖疏水のような巨大プロジェクトの推進に力を発揮した北垣知事が、このような庶民の動きに力を貸したという話題は少なく、記録に残したいと思った。


亀岡の800万本「夢コスモス園」を見学

2010-11-03 21:54:51 | 歴史と散策

 メキシコを原産地とするコスモス(秋桜)の花は、ネット検索しても4400万件あり、全国にコスモスをシンボルとする市町村が36ヶ所もある著名な花である。コスモスをテーマとする観光地も多く、植えたコスモスの数を競っている。一昨年の資料によると、北海道・遠軽町の太陽の丘えんかる公園の1000万本がトップで、京都府亀岡市・夢コスモス園の800万本が2位であったが、昨年は兵庫県加古川市志方町が4000万本、今年は群馬県板倉町に8000万本の計画?の情報が飛び交っている。実際に見学していないので数の精度や面積はわからないが、亀岡の「夢コスモス園」は近いので、10月22日トロッコ列車・京阪バスを利用して見学してきた。

「夢コスモス園」がスタートしたのは平成12(2000)年であるので、今年は10年目になる。初期に訪問した人によると、休耕田を利用した小規模なもので、2年前までは「亀岡南部地域経済会議」が運営してきたが、昨年から「夢コスモス園プロジェクト実行委員会」がバトンタッチして管理している。
 現在の面積は5ha(約15000坪)であるが、平成18(2006)年は3haの記録があるから、途中で拡大している。平成20(2008)までは、7月に種蒔きしたが、昨年から梅雨前の6月とし、8月初旬に50cmほどになった時点で途中カットすると枝別れして花数が増えて、500万本が800万本になったらしい。
 5haの敷地の中央部にある展望台に立ってぐるりと見渡したが、800万本の素晴らしさには圧倒された。
    
   10-10-22-32  展望台から眺めた花の縞模様            10-10-22-37  地上から見た花、花、花

 コスモス畑の間を歩くと、いろいろな品種があり、コスモス以外の季節の花畑が組合わされており、集団の美が楽しめる。もう一つ面白いのは、毎年同時開催される「カカシコンテスト」であり、見学者の投票で順位を決める仕掛けになっている。我々も3票を投じてきたので、朗報が待たれる。
    
   10-10-22-2281    ドラエモンのカカシ                10-10-22-2282  家族に幸福招来

 亀岡市は京都近隣で人口約10万人の小都市であるが、3大観光は「保津川下り」、「トロッコ列車」、「湯の花温泉」で、数年前に観光協会事務局長を公募して話題を呼んだ。
 昭和63(1988)年の京都国体に合わせて設置した複合的スポーツ施設に隣接して「夢コスモス園」が存在している。JR亀岡駅よりバス便もよく、訪問者も3~4万人と漸増している。最近では開園期間中の亀岡商店街の売り上げも伸び、“コスモス効果”と呼ばれている。亀岡市を歩くと町全体が観光立地を目指して頑張っている心が伝わってくる。周辺に史跡も多いので、時々訪問したいと思っている。


平安神宮の「左近の桜」の狂い咲き

2010-11-01 23:47:17 | 植物と動物

 10月19日のNHK朝の放送で、平安神宮の「左近の桜」の花が50輪ほど咲いたと報道した。また、9月24日の京都新聞では、府立植物園の桜林でもソメイヨシノ中心に異変が起き、9月下旬から落葉が目立ち、まるで初冬のような風景と報道した。その原因の一つが夏の猛暑である。専門書を読むと、一般に桜は4月に咲いたあと、夏に蕾ができて休眠状態に入り、冬に入って一定の寒さがつづくと休眠から目覚めて開花の準備を始め、翌年春に開花すると言われている。
 今年は、猛暑に加えて雨が少なく早く落葉し、落葉によって蕾の休眠を維持するホルモンが失われて、秋に狂い咲きを起こしたと説明されている。若干の予備知識を持って24日に平安神宮を訪れて見学した。
  
    10-10-24-8  両側の低い位置に桜が開花               10-10-24-13  左近の桜の全景

 朝9時過ぎの訪問であったが、驚いたことに開花した桜の写真を撮る行列が出来ており、あわてて撮影したのでピンボケとなってしまった。隣の人に「どこから?」と尋ねたら、「東京から」であった。ラジオ放送にあったので、奈良・京都の一人旅のコースに「平安神宮の左近の桜」の見学を入れたという。改めて情報の広がりに驚いた次第である。
 「左近の桜」は野生種の桜で、調べたら「アカメオオシマサクラ」と判明した。ついでに「右近の橘」を覗いたら、ミカン状の果実が3cmくらいに育っていた。
 「左近の桜」の駒札を読むと、「平安京時代より紫宸殿の南階下の東方に桜が植えられ、儀式のときには“左近衛府”の官人らが、その側に列したことから“左近の桜”と名付けられた」と記載されている。
 今回、国の重要文化財指定の答申を受けた「大極殿」に向かって見ると、右側にあるのが左近の桜となるが、京都御所に向かって右側が左京区になっているのと同じである。
 京都御所の紫宸殿の玉座から見て、左側に「左近の桜」が存在するが、見学者が紫宸殿
の建屋を見ると、右側に「左近の桜」が存在する。くどい説明で恐縮であるが、京都の歴史の重さを感じる話題である。