「武久夢二」生誕125年記念展を見学

2010-01-23 06:47:35 | 美術と文芸

   武久夢二は明治17年(1884)に生まれ、昭和9年(1934)に49歳で没しているが、大正時代に一番注目され話題になったので、大正ロマンの独自スタイルの美人画家として紹介されることが多い。今年は生誕125周年を迎えたので、京都高島屋で記念展が開催された。昭和4年生まれの私にとって、武久夢二は、画家というよりは挿絵や詩集、デザインなどもこなすマルチタレントで、大衆に視点を置いた近代グラフイック デザイン分野の草分けとして興味があり、夢二の詩「宵待ち草」が流行歌で有名になったので、機会あるたびに夢二展を覗いてきた。

                   
                  左が京都高島屋展、右が伊香保夢二記念館の案内

 私が最初に訪問したのは、岡山の後楽園外苑にある「夢二郷土美術館」で、平成元年4月のことである。夢二生誕100年を記念して昭和58年(1983)に開館した美術館で、夢二に関する知識の乏しい時期であったが、東京勤務時代に、文京区の東京大学と上野の不忍池の間にある弥生美術館に隣接して平成2年(1990)11月に開館した「武久夢二美術館」が出来てから、2回訪問した記憶があり、夢二の仕事の幅が広いことを知ったのもこの時期である。夢二の作品は多く残されているので、金沢湯涌夢二館、日光鬼怒川温泉の日光武久夢二美術館、群馬県の武久夢二伊香保記念館など各地にあるが、今回の高島屋の展示品は岡山の郷土美術館と群馬県の伊香保美術館から所蔵品を400点厳選したもので、伊香保には14000点のコレクションがあることも知った。
 昭和に入ってから長期の欧米旅行をしており、機会があればもっと詳しく知りたい画家である。


第四トンネル南口洞門の笠石

2010-01-13 00:41:21 | 琵琶湖疏水

 昨年10月に琵琶湖疏水記念館がリニューアルオープンしたが、屋外展示物も増加した。その一つが掲題の第四トンネルの南口洞門の笠石である。説明文によると、

『 第一琵琶湖疏水には6ヶ所のトンネルがあり、その出入口にあたる洞門の多くが、現在もつくられた当時の形のまま残っています。しかし、第四トンネルの洞門は第二疏水が作られたときにトンネルが使われなくなったので、取り除かれました。
 この石は第四トンネル洞門上に突き出た笠石の片方で、下がわが歯型になっているのは洞門にほどこされたデザインによるものです。』

 私は本ブログの46号(08-07-01)で、夷川舟溜りに類似石造物があることを紹介したが、若干細部構造が違うようである。
       
       夷川舟溜り前にある笠石          琵琶湖疏水記念館にある笠石 
 
 形からみて、両方ともトンネル洞門の笠石と思うが、この違いについて琵琶湖疏水記念館に尋ねたいと思っている。


山科疏水初歩き・今年度初詣り

2010-01-04 11:30:17 | 歴史と散策

 昨年度は、私達琵琶湖疏水愛好者にとって嬉しい年であった。10月に蹴上の「琵琶湖疏水記念館」がリニューアルオープンし、質・量ともに充実した記念館になった。また、国の史跡であるトンネル洞門の扁額6枚の説明板が大津運河から蹴上にかけて、上下水道局の手で設置された。今年の京都新聞第一面のトップ記事として、京都市の「新たな岡崎地区活性化の再整備構想の策定」が発表され、鴨東運河の水路カラー写真が掲載された。 また、私達が取り組んでいる琵琶湖疏水の散策マップの作成が京都市ニューツーリズム創出事業に認定され、2月末目標に作業を進めており、蹴上発電所関連の説明板の設置やインクライン展示の三十石舟の新造計画も進んでいると聞く。
 
 今年は、琵琶湖疏水竣工120周年にあたり、心を新たにして初参りを実施した。例年の初参りは、日向大神宮、御陵大岩・永興寺、安朱・毘沙門堂、音羽・若宮八幡宮の参拝であるが、2日に山科疏水の西部にある永興寺・豊川稲荷社と中央部の毘沙門堂で甘酒をいただき、四宮・一燈園までの3.3kmの山科疏水を歩き、今年初の散策を楽しんだ。
 永興寺では氏子である武内良一さんの案内で、天井画の龍と日本一の木魚を初めて見学することができた。毘沙門堂は直線階段を避け、車道を回って参拝した。一燈園では大きい正月飾りの写真を撮らせていただき、西田天香の偉業を偲んだ。
     
       毘沙門堂・本殿前のお正月飾り        一燈園正面のお正月飾り

 3日には氏神様の「若宮八幡宮」を参拝し、サクラ・クスノキ・カツラの巨木(区民の誇りの木)を見上げて昔を偲び、今日4日は蹴上の日向大神宮を参拝する予定である。