平成23年4月度ホームページ投稿項目

2011-03-27 10:59:19 | 琵琶湖疏水

 ホームページ http://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の4月分として、下記4件を投稿しましたので、ご覧ください。

第436話  分類:技術・建設工事・19項(C-01-19.2011-03-01)
      題目:第二疏水連絡トンネルの建設工事資料
      内容:第二疏水連絡トンネルの工事記録や新聞情報のまとめ)

第437話 分類:文化・文化財・12項(F-03-12、2011-03-13)
      題目:世界遺産候補としての琵琶湖疏水-2
      内容:HP内の世界遺産関連記録のリストと最近の注目される動きの紹介

第438話 分類:技術・建設工事・20項(C-01-20、2011-03-24)
      題目:第二疏水の建設工事資料(2)
      内容:建設後の大正初期にまとめられた報告書の紹介

第439話 分類:ブログ関連・3項(G-03-03、2011-03-28)
      題目:2011年3月末のブログの目次連番一覧表
      内容:初めて連番で214件をリストした


産業観光モニターツアー「琵琶湖疏水」の概要報告

2011-03-21 15:00:23 | 琵琶湖疏水


  観光庁の企画書提案募集に対し、財団法人・日本観光協会は、産業観光をベースとした具体策について2つの類型を考え、(1)新たな観光に取り組む事例として「横須賀市」、(2)旧来型の観光地に新たな観光を創出する事例として「京都市(琵琶湖疏水)」の2地域でモニターツアーを実施する計画で応募して実施することになり、京都市のツアーが3月12日・13日の両日に実施された。
                              
                                        2011-03-16-3825  モニターツアーの案内資料
 
   京都市側の実務の窓口は、「京都府旅行業協同組合」が担当し諸準備を進めた。そして設定されたモニターツアーの概略日程を示すと、午前は大津運河で十石舟に乗船して取水口の三保が崎を琵琶湖側から見学(舟を後進させ、新三保ヶ崎橋下から揚水機場を視察)し、下船して大津運河に沿って、大津閘門・水路・第一トンネル洞門・三尾神社を見学し、ガイドは市民団体「近代京都の礎を観る会」が担当した。バスで蹴上に移動して蹴上発電所を見学したあと、小川治兵衛作庭の白河院で昼食を取り、蹴上の疏水公園・ねじりまんぽ・インクライン・無鄰菴庭園・琵琶湖疏水記念館水路閣・鴨東運河を見学し、蹴上以降のガイドは市民団体「京都観光再発見懇話会」が担当した。
    
   3130787(高桑) 十石舟で取水口を見学                3130778(高桑)大津運河の水路を説明するガイド

   見学コ-スは、疏水本線周辺に存在する近代化産業遺産、庭園などを含むフルコ-スであり、定員合計60名を越える参加者の中には、京都府外からの参加者や大学の専門家、観光業界、新聞記者等も居られ、日帰りのツアー(2日間・計2組)を充分に学習できたと満足の声をいただいた。日本観光協会では、モニタ-ツア-参加者のアンケート調査やヒヤリング結果等を通じて、成果の検証を行い、地域のこれまでの取組み成果等をもとに、市場性 や経済効果を予測して今後の事業発展につなげる具体策をまとめたいとしている。
 地元の関係者や疏水愛好者にとって非常に期待できる事業であり、国の産業遺産観光施策に反映されることを大きく期待している。

追記:本報告は、私が顧問をしている「近代京都の礎を観る会」の高桑会長より聞いた内容と写真にもとづき作成したものである。

 

 


記念冊子「琵琶湖疏水と京都の産業・企業」の紹介

2011-03-16 00:06:50 | 琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水竣工120周年を記念して、京都商工会議所の観光産業特別委員会が平成22年09月15日付で「琵琶湖疏水と京都の産業・企業-京都ベンチャーを生んだその流れ」という冊子を発刊した。
 この冊子を入手し、これまでに3回読み返したが、明治以降、その伝統技術をベースに生まれた京都のベンチャー企業の発展の歴史に琵琶湖疏水の果たした役割から解説するという切り口の冊子は初めてで、その新鮮味に引き込まれ、興味深く読ませていただいた。
                          
    2011-03-15-3823 冊子のPR記事                         2011-03-15-3824 冊子の表紙
 
  この冊子に紹介されているベンチャー企業は、京都在住の人にとって知られた名前の企業が多く、琵琶湖疏水完成前の槇村正直知事が推進した殖産興業政策から、完成後の動力革命によりベンチャー企業の発展していく経緯を、琵琶湖疏水と組み合わせて浅く広くわかりやすく解説しており、京都の歴史を熟知された編集力と商工会議所の持つ情報量を感じた冊子である。琵琶湖疏水の愛好者には是非読んでほしいので、自主的に取り上げた。
  販売価額は1300円、申込先は京都商工会議所・産業振興部(TEL075-212-6442)


「ヘリテージ(HERITAGE)」という言葉の思い出

2011-03-12 10:40:46 | その他

 私が「ヘリテ-ジ」という表現に初めて出会ったのは、昭和44(1969)年に米国ミシシッピ-州コロンバス市に技術導入の仕事で4ヶ月半の長期滞在をした時である。当時のコロンバス市は綿花と牧畜が中心の田舎町であったが、歴史ある事物が残っており、南北戦争時代の旧家を巡回するツアーに“ヘリテ-ジツアー”の名前がついていて、辞書で“遺産・継承物・伝統・伝承”の意であると確認し、週末に行楽したことを想い出した。ヘリテージの名前は、技術者の世界ではあまり使用されない専門用語であったので忘れていたが、現在では観光案内や世界遺産など文化財の資料などで多用されるようになった。

 最近、世界遺産候補として積極的な活動を重ねている「九州・山口の近代化産業遺産群」関連講演の中で、来日した海外専門家の講演の通訳者が、近代化産業遺産を“産業ヘリテ-ジ”と翻訳しており、新聞紙上でも“九州ヘリテージ”と紹介していた。
 全くの勉強不足で申し訳ないが、「ヘリテージ」のヤフーウエブ検索をしてみたら、90万件を超えるビッグサイトで、ホテル・団体・商品・旅行・オークション・花の名前など幅広く使用されていることを知った。
 とくに、世界遺産の世界では、「世界遺産」そのものを“ワールド ヘリテージ”と訳していた。ユネスコ世界遺産は“Unesco World Heritage”で、知床世界遺産センターは“Shiretoko World Heritage Conservation Center”と英訳されている。
 先日、「琵琶湖疏水と世界遺産」に関する会合で講演されたニ-ル・コソン氏の紹介肩書も「イングリッシュ・ヘリテ-ジ 前総裁」であった。
 ヘリテージという表現には、日本人にとって昔のロマンを思い出させる響きがあり、流行語として定着したと考えられる。参考までに、平成6(1994)年に認定された京都の世界遺産「古都京都の文化財」の英名は、World Heritage Sites in Kyoto である。
 英文の資料を読む機会が少なくなった私にとって恥ずかしい話題であるが、若い頃の出来事を思い出すことができた私話であり、昔の仕事仲間と会話したい気持ちになった。


亀岡の穴太寺訪問と城郭の穴太積みの話題

2011-03-06 23:22:43 | 歴史と散策

 昨年の10月、嵯峨野トロッコ列車に乗り亀岡夢コスモス園を訪問したとき、バスを利用して丹波の里「穴太寺」を訪れた。由来書によると、「穴太寺(あなおうじ)」は飛鳥時代の705年創建の天台宗の寺で、庭園は府指定名勝、建物は府登録文化財・府指定文化財の由緒ある寺院であるが、ゆっくり勉強させていただいた。
    
  2010-10-22-2306 府指定名勝の穴太寺庭園              2010-10-22-3-2310 参詣者の絶えない本堂

 この寺院の名である「穴太」の読みから、すぐに大津市坂本にある穴太の地名を連想したが、この地名は三重県東員町穴太、北九州市八幡区穴太、大阪府八尾市穴太駅、阪急園田駅近くの穴太など各地に存在している。
 とくに、西日本中心に残存する石垣の大部分(約80%)が「穴太積み」と呼ばれる石積みであり、もっとも古いものは大津市の日吉大社にあるが、日本の石積みの歴史は、朝鮮半島・中国大陸・シルクロードを経て伝来してもので、エジプトが起源ともいわれている。

 朝日新聞(2010-11-27)の解説によると、この技術が全国に広がったのは、織田信長が、比叡山延暦寺の焼き討ちに耐えた石垣の技術に感嘆し、安土城の築城に穴太衆(石工集団)を滋賀から呼び寄せたことが評判になり、安土桃山時代に築城した大阪城・淀城・伏見城・会津若松城・高知城など多くの築城に穴太衆が採用されたためと紹介している。
 京都新聞(2009-09-06)の解説によると、穴太積みとは、荒割りした石の割れ面を表に向け、横長に積んだものが代表的で、石と石の間には間積と呼ばれる小石が詰められ、接合面を広くすることにより排水性を高め、耐久性を高めたと説明している。
 最近の報告(歴史都市防災論文集3 2009-06)に「城郭石垣の耐震安全性に関する基礎的研究」が発表されるなど研究が開始されている。また、昨年は大津市坂本の穴太衆の子孫で、石垣の伝統技術を伝承する第14代当主粟田家が建築アートの雑誌社に招かれ、米国カリフォルニア州で、穴太積みの実演を行い話題になった。
 日本の代表的な珍名といわれる「穴太」も、覚えると忘れ難い名前である。