7月末で終わる祇園祭

2008-07-25 15:07:04 | 歴史と散策
 私が歴史調査の範囲を“琵琶湖疏水関連”から“京都歴史全般”まで広げたのは昨年の春頃であったと思う。京都市に住んだ期間は、学生時代を含めて約12年であるが、京都三大祭といわれる葵祭・祇園祭・時代祭の3つを続けて見学したのは昨秋の時代祭から今春の葵祭と今夏の祇園祭が初めてであった。
 今年の祇園祭は、7月9日、11日、13日と3回、四条通周辺の鉾の組立状況に焦点を当てて見学した。今年の京都新聞は6月10日に長刀鉾の下水引を復元新調した記事からスタートして今日の還幸祭の記事までに50回(朝刊・夕刊含めて)を越える囲み記事を掲載した。
                 
           253年ぶりに復元新調された長刀鉾の下水引(胴上部 
               の四方を囲うように掛けられる下水引の左面を新調)
 
   祇園祭の細部については毎年少し変化があるが、今年は祇園祭をユネスコの世界無形文化遺産登録を目指す基礎資料とするため、32基の山鉾の重量測定を巡行時に行った。また環境に配慮して駒形提灯の点灯を白熱電灯から蛍光灯に切り替えられた。
   浄妙山の巡行を担う「かき手」には12ケ国から参加した25人全員が外国人となり、国際色豊かになった。また、公益法人改革法により、山鉾自体の評価(金額換算)が必要となってきて、祇園祭山鉾連合会では対策を検討している。
   しかし、伝統で受け継がれた基本的な問題は、今後も修正されることなく継承されていくことは間違いない。今年の祇園祭は、28日に神輿洗いがあり、31日に八坂神社境内の疫神社である夏越祭で締めくくられる。

よみがえるクラーク記念館展を見学

2008-07-20 10:56:09 | 歴史と散策

 私が明治中期の赤煉瓦建造物が集中する同志社大学今出川キャンパスを訪れたのは、昨年の1月末で、その見学記を私のホームページに投稿(C-03-18、07‐01‐30付、214話)しているが、構内のシンボルといわれる「クラーク記念館」は改修工事のため覆い屋で囲まれていた。そして、昨年の10月10日付けの京都新聞によると、覆い屋が撤去され新装クラーク館が姿を見せたと報じたが、見学する機会が無かった。
 今回、同構内のハリス理化学館2階にあるNeesimaRoomで、第33回企画展として、「よみがえるクラーク記念館」が開催中と知り、一年半ぶりに見学することができた。
         
     企画展のガイド用パンフレット         新装成ったクラーク記念館の塔屋

 展示室でいただいた「同志社クラーク記念館」と題した18ページの冊子には、5ヶ年かけて実施された修復工事の経過が多くの写真付きで詳細に解説されており、工事の方針として、……今回の工事は「半解体修理」という方針で進められました。主な内容は、破損あるいは腐朽した箇所を健全な状態にする「修理」、詳細な調査と検討を行い、110年間に改造されてきた箇所を建設当初の状態に戻す「復元」、そして建物全体の「構造補強」の3つである……と書かれている。
 また工事は洋式でなく、寺院の保存修復工事の専門家や大工・左官・板金・塗装・煉瓦の職人などが延べ18500人工事に携わり、日本様式の工事であった。
本建物は国の重要文化財に指定されており、文化庁の補助金を受け、京都府教育委員会に委託して実施された。とくに目立った変化は塔屋の屋根瓦の色が緑青色の銅版から建設当初の黒い鉄板に変わったことと、途中撤去されていた屋根部のドーマー窓が復元されたことなどで、外から見えない形で構造補強された「クラーク記念館」は日本でも珍しい明治中期建造物の重要文化財の完全保存例といえると思う。


平成20年8月度ホームページの投稿項目

2008-07-18 11:24:50 | 琵琶湖疏水

ホームページ(http://www.geocities.jp/biwako_sosui/)の8月分として、下記5件を投稿しましたのでお立ち寄りください。

299話 分類 散歩道・鴨東運河18項(B-04-18)
     題名 岡崎文化ゾーンにある記念碑の紹介(3)
     要旨 第298報に続き3件の追加紹介
300話 分類 技術・技術全般29項(C-03-29)
     題名 疏水分線にある第4・第5・第6トンネルの話題
     要旨 第二疏水建設辞のルート変更を中心に解説
301話 分類 文化・文化財5項(F-03-05)
     題名 経済産業省が認定した近代化産業遺産
     要旨 認定項目と京都府から認定された項目の解説
302話 分類 散歩道・山科疏水34項(B-04-34)
     題名 山科疏水の散策(21)真夏の散歩道
     要旨 散歩道で発見した4件の話題紹介
303話 分類 文化・文化財6項(F-03-06)
     題名 琵琶湖疏水の文化財選定件数
     要旨 過去に公的機関や民間団体から選定された9件の紹介


西の鯖街道のイベントに出席

2008-07-16 14:43:09 | 歴史と散策

 内陸の京都へ若狭湾から塩処理した鯖を背負って一昼夜かけて運ぶと、京都に着くころによい味加減になることから、この山道を「鯖街道」と呼ぶことは有名であり、複数の山道が存在していたが、一般には小浜から熊川宿を通り、朽木、大原の里を経由して京都の出町に達する道を「鯖街道」と呼称している。
   小浜には「さば街道資料館・町並み保存資料館」が建ち、若狭と京都を結ぶ数々のイベントが開催されてきた。このルートは海鮮物だけでなく各種産物や文化の移動にも重要な役割を果した。とくに、若狭は歴史的に大陸文化を受け入れる玄関口の役割を果したとして注目されてきた。

   ところが、昨年秋ごろから若狭湾の高浜を起点とし、美山、京北を経由して四条大宮に達する道を「西の鯖街道」と名付けて観光と地域活性化を計ろうという企画が立てられ、独立行政法人・中小企業基盤整備機構からの助成金を得て、7月11日に四条大宮のホテルで講演会とシンポジウムが開催されたので出席させていただいた。
                    
 この運動の推進役の一人である郷土史家・舘太正さんの家が高浜で江戸末期から魚問屋をしており。当時の膨大な商業関係の資料が発見された話や、明治時代には京都や大阪の魚の値段表が飛脚便で毎日高浜まで届けられたとか、平城京から出土した木簡に6~7世紀ころの高島の鮨に関する記述があったとか興味ある話を聞くことができた。
 
   これらの鯖街道は、大正10年(1921)に汽車が通過することにより自然消滅した。西の鯖街道も、90年間経過したいま街道の面影はなくなったと思うが、先行した「鯖街道」と後進の「西の鯖街道」が力を併せて更なる歴史の解明に努めるとともに、観光面・地域開発面に頑張ってほしい。周辺山に囲まれた京都にとって山地の活用は重要な課題であり、可能性を秘めた課題であると思う。


祇園祭開催を直前に控えて

2008-07-09 18:51:19 | 歴史と散策

 今年の祇園祭は10日から鉾建てが始まり、巡行の翌日の18日まで四条通周辺において臨時の交通規制が行われる。今回は東京・秋葉原の無差別殺傷事件を受けて、安全対策に工夫を凝らした祭礼になり、新聞報道によると、来年はユネスコの世界無形文化遺産の登録申請を目指しており、運営面・体制面・歴史的背景面など文化遺産としての価値を示す多くの課題を抱えた祭礼になるといわれている。
 本日は、元京都市歴史資料館の館長を務めた山路興造氏の「二つの祇園祭~祇園祭の謎を解く~」という講演会(山科アスニー)に出席する機会を得た。歴史の知識に乏しい私にとって興味深い話を伺ったので、その一部を紹介する。
 祇園祭は執行の目的や日時が同じであるが、始められた時代や主体が異なる2つの行事が同時進行している。
① 八坂神社(祇園社)の行事……天皇・貴族たちの主催により、御霊を慰めるための御霊会が今日に伝えられた行事で、平安時代中期から始まった
② 下京町衆が始めた民族行事……自分たちの生活圏から疫神を集めて追い出すために、鉾や山を巡行させる行事で、南北朝ころから始まった。

平安京時代は梅雨に入ると食物が腐りやすく、疫病が流行し、大雨による鴨川の氾濫で水害を受けることの多い季節であった。この疫神を排除する目的で梅雨の季節に二つの行事が一体化して同時進行するようになった。
 祇園祭の謎としていくつかの話題を伺ったが、その一つを紹介する。7月10日と7月28日に行われる鴨川での「神輿迎え」の行事は神輿を洗って清めるためと伝えられてきたが、最近では鴨川に居られる神を八坂神社にお迎えし、祭が終わった後鴨川にお戻しする行事(私の解釈が間違っているかも?)で、神が留守の間を利用して「鴨川の床」を建てて住民が楽しむようになったという解釈がある。したがって、商売のため床を春の5月から8月まで延長しているのは史実を逸脱しているとの指摘があった。
 また、梅雨の季節を外して祇園祭を開催したほうよいという観光目的の意見を聞くことがあるが、上記説明のように梅雨の季節に開催する必要性があることもわかった。私のように途中から京都に移り住んだ人間にとって京都の歴史は深いものだと痛感した講演であった。今年も祇園祭を楽しみたいと思っている。


観葉植物「虎の尾」の花

2008-07-05 23:09:52 | 植物と動物

    一般に羊歯(しだ)以外の観葉植物には花が咲くといわれているが、定期的に咲くのでなく、何らかの環境条件が必要で、家庭の鉢植えでは珍しいことのようである。私の家で長年育ててきた「虎の尾(サンセベリア)」に今回初めて花が咲いた。
                 
                      鉢の上部から見下ろした「虎の尾」の花

 全く素人の考えであるが、花が咲く環境について考えてみた。多年生植物が子孫の繁栄を計る手段とし株根が別れて増殖するのが多く、「虎の尾」の場合もこの方式で鉢一杯に広がった。この方法が難しくなった場合、種族保存の手段として花を咲かせて実を作るのではなかろうか?こう考えると、開花時期は株そのものが老化して株分けが難しい場合とか、狭い鉢に株が増え過ぎたときが考えられる。
 私の家では、何年か前に「虎の尾」を3株手に入れて内径15cmの鉢に植えたので、現在では24枚の葉が鉢一杯に育って、隙間のない状態になっている。今回の花は大きい鉢に植え替えてほしいという危険信号のような気がする。

 写真に示すように花は白色で濃緑色の虎模様の葉によく映える。鼻を近づけると強い芳香(チョコレート風)がある。花の根元には洋蘭のようにねばりのある水球がついている。
 夕方から翌朝まで開花し、日中はしぼんでいる。2~3日で落花する短い命である。
 今回は充分に楽しませていただいたが、同じ場所からもう一本の花茎が伸びだした。来年の花をあきらめて、近く3つの鉢に植え替えてゆっくり成長してほしいと考えている。


夷川舟溜り前にある石造物の由来が判明

2008-07-01 12:12:20 | 琵琶湖疏水

 鴨東運河の夷川舟溜りの南側に、石造物を集めた小さい庭園が存在する。少し西寄りの夷川発電所前にあり、写真を見れば記憶にある人も多いと思う。
         
      石造庭園全景(背景に夷川発電所の施設あり)  中央にある不思議な形の石造物

 右上の写真の方形石造物は外見上花崗岩製で、寸法は幅76cm、奥行90cm、高さ55cmの大型で細かい模様が刻まれており、かねてより由来を知りたいと思っていた。そこで、琵琶湖疏水記念館の井垣館長に調査をお願いした結果、第四トンネル洞門の部品であることが判明した。第四トンネルは第一疏水の疏水分線の蹴上側入り口にあったが、第二疏水が完成したとき、第四トンネルは不要となり、その後の疏水分線の能力増強工事時に撤去することになり、洞門の部品が記念に残されたようである。
 私にとっては貴重な発見なので、とりあえず速報としてブログで紹介し、もう少し詳しく調べて、ホームページで取り上げたいと思っている。