平成21年度ホームページ投稿項目

2009-10-26 11:14:47 | 琵琶湖疏水

 ホームページhttp://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の10月分として、次の3件を投稿しましたので、お立ち寄りください。

364話 分類: 全般・その他・28項(A-04-28、09-10-04記)
     題目: 琵琶湖疏水と感謝金
     内容: 京都市から滋賀県に支払われる感謝金の由来と現在までの経過

365話 分類: 散歩道・鴨東運河・20項(B-04-20、09-10-05記)
     題目: 岡崎公園内にある記念碑のまとめ
     内容: 現時点で集約した記念碑15件の題名と要旨のまとめ

366話 分類: 技術・技術全般・36項(C-03-36、09-10-20記)
     題目: 琵琶湖疏水工事の煉瓦の話題(2)
     内容: 過去の5報告に最近の追加情報を追加してまとめたもの


蹴上疏水広場にあるインクライン踏切跡

2009-10-19 10:16:38 | 琵琶湖疏水

  JR東海の相談役・須田寛さんから今回いただいた名刺には「鉄道友の会会長」と書かれてあったが、須田さんは鉄道マニアとしても知られた存在である。今回「第五回産業観光ワークショップin京都」の行事の一つとして、須田さんを含む関係者とともに蹴上地区の琵琶湖疏水施設をご案内する機会を得た。
須田さんは鹿ケ谷通の第三錦林小学校卒で、南禅寺・蹴上インクライン地区は子供時代を過ごした遊び場であり、私の方が案内していただくことになった。教えていただいた話題の中で、今回は掲題の話を紹介する。

  地下鉄蹴上駅の①番出口を左に折れ、少し先にある「日向大神宮」の参道を登ると,格調の高い大神宮橋に突き当たる。①番出口から徒歩7分くらいの場所である。そこはインクラインの頂上に位置し、琵琶湖疏水が京都側に顔を出したところで、蹴上舟溜りと称して昔は荷物の揚げ降ろしで賑わった場所(舟溜りの面積はその後の施設増強で数分の一の面積に縮小)であった。そこから蹴上広場の中央部に向うため、インクラインのレールを跨ぐ必要があるが、レール部分はコンクリート舗装されており、過去数十回にわたり無意識に通過していた道路であった。
                            
                                        インクラインの踏切跡 09-10-15-2672

 インクラインのレール幅は100インチ(約2.5m)で、往復2本あるので長さは6m弱、幅は約4.4mあり、南北方向(蹴上地区はカーブした三条通に沿っているので磁石で確認)のコンクリート造りの短路で、コンクリートの縁がL字型鋼で補強されている。
 須田さんの説明によると、この踏切は昔の姿を維持しており、往復する三十石船が通過するときに踏切番が居たとの説明を受けた。蹴上以前にも、炭鉱の斜坑用・森林木材の輸送用にインクラインが利用されたようであるが、船用のインクラインは蹴上が日本最初であり、インクライン線路を横断する大勢の人のために踏切番がいた場所は、日本唯一ではないかと考えて皆さんに紹介する次第である。
 ウォーキングを楽しむ場合、目線は足元になく前方にあり、足元に存在する話題は年を重ねても気の付かない場合が多い。地元出身の須山さんは、子供時代にこの踏切で船を載せた架台の通過を見送った記憶が蘇ったものと思われる。


白濁した四ノ宮舟溜り

2009-10-14 20:09:43 | 琵琶湖疏水
 10月7日、近畿直撃のニュースで心配した台風18号は、翌日少し東よりの愛知に上陸した。10月9日に四ノ宮舟溜りの水が白濁していると友人から写メール3枚が届いた。
                       
                四ノ宮舟溜り(Sbsh0006(1))
 
  この白濁はその後もつづき、14日に至っても平常より濁っていた。私は台風の影響か?あるいは水路の崩壊があったかも?…と心配して、地元の散策者に聞いてみたら、台風が近くを通過するとき、比較的浅い琵琶湖・南湖の水が風雨のために乱され、空気粒を巻き込んで白濁し、疏水に流入したのが原因で、このような現象は数年に一度くらい発生すると説明してくれた。しかし、疏水は流れを止めることなく流れていた。
 私は13日の朝、蹴上広場に出かけたが、合流トンネル出口の洗堰から大量の水がオーバーフローして蹴上放水路に流れているのを観察した。この現象は、冬期(1月前後)の第一疏水を停止(第二疏水だけで運転)したときに観られるもので、「蹴上のナイヤガラ瀑布」と呼称しているが、10月にこのような現象を観察したのは初めてで、白濁と無関係ではないように感じた。

蹴上浄水場建設当初の話題

2009-10-09 13:31:41 | 琵琶湖疏水

 琵琶湖疏水記念館の配布資料の年表によると、蹴上浄水場(水道創設事業)建設に着手したのが明治42年(1909)5月であるから、今年は100年目にあたる。日露戦争後の資金調達の困難性からフランス資金(外債発行)で着工したが、比較的水資源に恵まれた京都の水道事業は、横浜に近代水道が完成してから20年遅れてスタートしたのである。

 先行した各地の浄水場は、文政年間(仁孝天皇時代)に英国で開発された「緩速ろ過方式」が採用されたが、効率面で優位な急速ろ過方式が米国で明治5年(1872)に開発され、蹴上浄水場は日本最初の「急速ろ過方式」を採用した浄水場となったのである。

 急速ろ過方式では、凝集剤硫酸アルミを用いて不純物を凝集沈殿させる方式で、緩速に比べて30倍早い速度で処理できるため、設備面積も投資額も縮小され、狭い敷地に悩む蹴上浄水場にとって有利なプロセスであった。

 また、山科疏水の第10号橋・第11号の建設で明治37年(1904)に確立された鉄筋コンクリート技術が、わずか5年後の蹴上浄水場の建設にフル活用されたのである。

 蹴上浄水場建設当初の京都市の人口は約50万人で、水道を利用したのは約4万人という記録があるが、処理能力の大きい急速ろ過装置はその後の人口増加に対応していった。

しかし、水の味覚の面からいうと緩速ろ過のほうが微生物効果による臭気減少が期待できるし、急速ろ過に必要な塩素殺菌(次亜塩素酸ソーダ処理)による塩素臭のない利点があったが、現在は活性炭処理法を活用して対応している。 

昭和63年(1988)から平成2年(1990)にかけて、京都新聞は「疏水史を見る」と題した98回の連載記事を載せているが、その中に「蹴上浄水場の創設」を16回、「水道管の敷設」を16回と全体の3分の1のスペースを割いて紹介している。1回毎に大型写真がついているのできわめて興味深い。主要図書館や府立総合資料館で閲覧することができる。


平成21年10月度ホームページ投稿項目

2009-10-03 16:40:37 | 琵琶湖疏水

 ホームページhttp://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の10月分として、次の3件を投稿しましたので、お立ち寄りください。

361話 分類: 全般・その他・25項(A-04-25、09‐09‐12記)
     題目: 琵琶湖疏水の年表―(1)疏水本線
     内容: 散策の立場からみた疏水年表として、大津運河、小関越え、山科 疏水(藤尾地区)、山科疏水(四ノ宮~日ノ岡)、蹴上周辺、鴨東運河の分類で139件の項目を摘出。順次補充の予定。
362話 分類: 全般・その他・26項(A-04-26、09‐09‐18記)
     題目: まぼろしの藤尾運河
     内容: 明治6年に提案された運河計画。大津からトンネル経由山科にでて、山科川を下り伏見を経由して京都に入る計画で、実現しなかった。

363話 分類: 全般・その他・27項(A-04-27、09‐09‐23記)
     題目: 明治以降に提案された巨大運河計画
     内容: 琵琶湖疏水完成後、トンネル・閘門・インクラインなどの技術が進み、これらの技術を活用した日本海~太平洋を結ぶ巨大運河計画が発表されたが、何れも実現しなかった。