四ノ宮舟溜り周辺に出没するイノシシの話題(4)

2011-08-29 22:59:53 | 琵琶湖疏水

 昨年8月にこの話題をブログに取り上げてから約1年を経過したが、子犬くらいのイノシシの子は順調に成長して立派な大人の姿になり、朝の時間帯に人の姿を無視して餌を求めて動きまわっている。ちょうど夏休みの時期と重なり事故の発生を心配したが、現在のところトラブルの発生は聞いていない。こと地域は、昨年来捨て猫の天国であったが、イノシシの出現以来その姿が少なくなり、最近では諸羽運動公園にある児童用プールの囲いの中(イノシシは入れない)で過ごす親子猫の姿をみるようになった、人慣れしたイノシシは安全かもしれないが、突然遭遇するとスピード感があって怖い存在である。やっと行政当局も山科疏水の各所に掲示板を立てた。

                     
                    2011∸08∸25∸4554 猫やイノシシに餌を与えないで

 この看板は、「建設局南部みどり管理事務所」と「山科区役所まちづくり推進課」が共同で立てたもので、次のように記載されている。
*野良猫が近隣の住宅に侵入し、いたずらやフンをするなど、近隣の皆さまが困っています
*餌付けされたイノシシが付近を徘徊しており、通行中の皆様に危険な状態が続いています
*イノシシは近隣の住宅に侵入し、庭を掘り起こし樹木や草花に被害をもたらしています
*安心のまちづくりに皆様のご協力をお願いします
 このほかにも、イノシシに刺激を与えたり、挑発したりしないようといった看板も存在する。
 私は今後ますます大きく成長するイノシシが公園内を自由に闊歩することを許してはいけないと思う。捕獲して山奥につれていく手段とか飼育場に移すとか何か具体策が必要と考える。当局もいろいろ考えての看板と思うが、餌を与えて大きく育ってしまったイノシシへの対策としては、問題の先送りではないかという感がする。突発事故の発生がないことを祈っているこのごろである。


京都市にも空襲被害があったという話題

2011-08-22 10:25:37 | その他

 毎年8月15日の太平洋戦争の終戦記念日が近づくと、戦争に関連した思い出話しの報道や展示会が開催される。今年は、立命館大学の国際平和ミュージアムで開催された「戦争展」で強制疎開の実態をマップで勉強(前報で紹介)し、東山図書館では強制疎開の様子を描いた絵画と東山区馬町の空襲被害の資料を見学した。

 私は、米国の日本歴史研究者であるウオーナー博士が文化財保護の立場から、京都市を空襲の対象から外してくれるよう進言したという古い知識しか持っていなかったが、戦後に米国極秘文書の公開で事実でないことが判明していた。これによると、京都市には20回に及ぶB-29機の飛来があり、東山区馬町と上京区西陣で爆弾が投下され、大きな被害があったという事実が数年前から新聞情報としてあったことをネット検索(京都空襲で数万件のサイト)で見付けた。
 さらに、京都が大規模空襲を免れたのは、原爆の投下候補地として温存されていたという記事もあった。馬町の空襲は昭和20(1945)年01月16日に警報なしに空襲があり、爆弾が投下されて、死者41名、300戸が被災し、西陣では同年6月26日(終戦の少し前)に空襲警報があり、爆弾7発が投下されて死者50名292戸が被災した。当時は機密事項として細部の報道もなく、手紙による連絡も禁止されたという。
 私は、数年来京都の歴史といえば琵琶湖疏水に集中していたので、地元に住んでいながら空襲の事実を知らなかったが、今年は東北大震災があったため新聞を読む範囲も広がり、疏水以外の京都の歴史に触れることが多くなった。私は空襲被害を軽減する目的で、道路の拡幅(建屋の強制疎開)のための住宅撤去や空襲による実被害など京都市が無傷でなかった事実を知り、改めて人災・天災の怖さを痛感した夏であった。
 私自身、三重県桑名市への勤労動員のとき、米機による機銃掃射の経験があり、故郷の伊勢市も焼夷弾攻撃の被害(我が家は無事)も経験した。金沢の旧制高校時代は、運動場に避難壕を掘り,敵機襲来に備えた。最近では世界各地で住民を巻き込んだ戦争が絶えない。その悲惨さを伝える戦争展を見て、いろいろと思い出させていただいた。


空襲対策のため強制疎開された京都の住宅

2011-08-12 20:17:03 | その他

 最近、西本願寺北部に立地する醒泉小学校の山科郊外学舎について調査を実施したときに、強制疎開の命で撤去された住宅についても情報の提供があり、併せて検討したが、空襲の被害のなかった京都市でも、延焼防止の目的で多くの住宅が終戦間際に強制撤去された事実を知った。その報告書をホームページに投稿した直後に、立命館大学平和ミュージアムで、第31回「平和のための京都の戦争展」が開催され、“京の建物疎開展”が含まれていることを京都新聞報道で知り、見学させていただいた。
   

     
    2011-08-03-4513  展覧会案内           2011-08-03-4507  強制疎開の対象になった地域コーナー

 本土の空襲が本格化した昭和19(1944)年7月から、京都市では空襲による延焼防止の目的で堀川通・御池通・五条通などが強制的に拡幅(5m→50m)され、その作業が終戦の日まで続けられた。このために約1万戸の民家が立ち退かされたのである。この状況を説明するために、実行委員会では戦前の住宅地図30枚をつなぎ合わせ、その上に拡幅された道路の輪郭を赤ペンで重ね書きし、撤去された住宅がわかる地図に仕上げてあった。
 醒泉地区で住宅撤去の被害者となった土山年雄さんから、終戦の4ヶ月前に3日間で立ち退くように命令されたと聞いている。また、「醒泉学区強制疎開の記録(太田嘉三)」の痛ましい記録のコピーを土山さんからいただいたが、展示会の説明者によると、強制疎開の実態を示す文書が整理保存されていないのが残念として、今回の展示の意義を強調されていた。私と同年齢と推定される見学者とも語り合ったが、強制疎開の経験者が多く、戦争の痛ましさを痛感した一日であった。


平成23年08月度ホームページ投稿項目

2011-08-06 16:08:34 | 琵琶湖疏水

ホームページ http://www.geocities.jp/biwako_sosui/ の8月分として、次の4件を投稿しますのでご覧ください。

第452話 分類 散歩道・山科疏水・50項(2011-07-29、B-02-50)
      
題目 山科地区にあった番組小学校の郊外学舎―4(醒泉小学校―2)
      内容 現存しない郊外学舎の場所を多面から調べて特定できた

第453話 分類 雑件・その他・36項(2011-07-08、G-02-36)
      
題目 加茂町の「岩泉寺」と「浄瑠璃寺」のアジサイ見学記
      内容 木津川市加茂町に存在する両寺の夏の花の見学記

第454話 分類 散歩道・大津運河・17項(2011-07-20、B-01-17)
      
題目 第一竪抗周辺の整備工事の写真集
      内容 2月から7月にかけて実施された工事写真29枚を時系列に紹介

第455話 分類 散歩道・山科疏水・51項(2011-07-24、B-02-51)
     
 題目 山科疏水の散策(26)真夏の散策
      内容 51回目の投稿となるが、過去に取り上げていない3項目の紹介