新山口駅の新幹線側南口に出ると、自筆(復元)の句が刻まれた山頭火の像が迎えてくれます。その句はこれです。
まつたく雲がない笠をぬぎ
自由律俳句なので、リズムも5/5/5、季語もありません。以前にも書きましたが、ここ小郡には山頭火が一番創作に身の入った6年余りを過ごした「其中庵」(ごちゅうあん)がありますし、「山口市小郡文化資料館」では山頭火の常設展示を行っています。出生地は山口県防府市ですからそちらの方にもいろいろと山頭火にまつわる史跡が残されています。また、句碑は生家跡のある防府市内だけでも80基あまり、今や全国では500ヶ所を超えるほどの人気者なんですが、以前私が俳句を始めた頃に聞いた話があるんですよ。当時の指導をして下さっていた先生なんですが、「今思えばあれは山頭火だった違いない。誰彼無しにお金をせびって、僕の所にも来て、全くの乞食坊主だったね~」と仰っていました。その先生ももうとっくにいらっしゃいませんので、あの世では山頭火と俳句談義でもなさっていらっしゃるかも。でも、私は今こうやって伝統俳句を学んでいるんですが、山頭火にはどこか惹かれるところがあって、好きなんです。特に、「前書きなしの句というものはないともいえる。其の前書きとは作者の生活である。生活という前書きのない俳句はありえない」という彼の言葉には納得!山頭火の生き様が死後人々に知られるようになって、ますますその「生活を前書きにした」句というのに心を打たれるんです。
山頭火が他界の半年前に出した代表作『草木塔』の冒頭には、「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる」と刻んでいます。10歳の時の母の死からスタートした彼の〝心の旅〟がここで終わったのかも知れませんね。最後は、松山の「一草庵」で句会が催されていた時、山頭火は隣室でイビキをかいていたそうで、仲間たちはまた酔っ払って寝ているものとばかり思い込み、起こさずに帰ったと…。でもなぜか気になった者がいて、早朝に尋ねていってみるともう亡くなっていたんだって。享年57歳。本人が願った〝コロリ往生〟でしたとさ!次が辞世の句ですが、きっと山頭火は雲になっていったんでしょうね。だから、雲を見ると…、時雨もですが、山頭火を思います。
もりもり盛りあがる雲へあゆむ
海猫は青森が浮かびますのであのご解説でしっくりしていたのですが、
変な質問をしたようですみません。
愛媛にも長く居ましたが山頭火はあちらこちらで出てきます。
このように良い姿ではないように思いますね、アハハ
俳句では結構思い込みというのがあって、
季語などを調べていると、エエッ…ということに出くわしますね。この歳になって初めて知りましたなどという生徒さんも多いです。何かありましたら遠慮なしに書いてください。勉強になりますから。山頭火も句が先行して一人歩きしていますので、いろいろと偶像化されてしまったのでしょう。彼を知る人などに話を聞けば…これもいろいろあるのが人間でしょうからね。