ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

底紅

2017年07月13日 | 俳句

 今日は俳画教室で、午後から出掛けたのですが、なんとも暑かったですね。もう梅雨が明けたのかしらと思うぐらい…でもまだなんですって。この日は駐車場が一杯で、仕方なく違法駐車…勿論事務の人の許可ですから、鍵を預けてです。帰るとき鍵を貰いに行くと、「車の中は、息が出来ないぐらい暑かったよ~」という。何度ぐらいあるのかしらねぇ~と話していると、外に行って来たらしく、「ほらぁ~」と温度計を見せてくれました。ナント41度まで上がっていました。もうビックリです。よく車の中に赤ちゃんを放置して亡くなったというニュースがありましたが、これじゃ大人でも我慢できないでしょう。まして長時間なんて、オソロシイ!

 俳画は日本画の一つで、俳味のある洒脱な略筆の淡彩または墨画で、俳句・俳文の賛を書き入れます。先生はいつも、絵は俳句などに添えるもので、メインは句の方ですよと言われていました。だから、私は自分の下手な句に少しでも花を添えたいと思って習い始めたんです。両方ともいつまで経っても上手くなりませんが…。

 今日は、青い海原に舞うカモメの絵でした。「鷗」(かもめ)は季語ではありません。「冬鷗」や「百合鷗」は冬の季語です。ただカモメ科の「海猫」(うみねこ)は夏なんです。俳句ではこれを「ごめ」と読んで使いますので、「海猫渡る」になると春、「海猫帰る」は秋になります。

 海猫というと、私はすぐ繁殖地の一つ島根県の経島(ふみしま)を思い出します。他に青森県の蕪島(かぶしま)、山形県の飛島(とびしま)などと一緒に天然記念物に指定されていますが、出雲大社や日御碕灯台に行った時、その経島が灯台の近くだったので、海猫を堪能しました。しかし、あの猫のような鳴き声が当分の間耳から離れませんでしたがね。

   海猫が沖を見てゐる瞽女(ごぜ)の村    島方 銀城

 季寄せにこの句が載っていましたが、「瞽女」とあるから、これは青森県の海猫を詠んだんでしょうか。

 ※これは間違った解説だと分りましたので訂正します。この海猫は新潟県のどこかかも…でも山口県でもいますからはっきりは分りませんが、とにかく海辺の村でしょう。

 この花は、「木槿」です。季語としては秋なんですが、他でも我家でももう早くに咲いていますので、夏の季語だと勘違いしそうです。韓国の国花になっていて、朝に咲き、夜はしぼむため「槿花(きんか)一日の栄」という言葉があり、人の栄華のはかなさにたとえられています。白木槿、紅木槿、底紅など、八重咲きもありますが、これは底紅といい、底が紅色をしていて、周りは桃色。白の底紅もあります。

   底紅や俳句に極致茶に極致   阿波野青畝

 皆様よくご存じの松尾芭蕉にも有名な木槿の句がありますよ。

   道のべの木槿は馬に食はれけり   

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雀の砂浴び

2017年07月12日 | 俳句

 今日はまた曇り…いやもうポツポツ降りだいました。我家の猫〝テン〟もこの蒸し暑さに朝からくたばっています。私も先日来からのハードスケジュールで少々へばっていますけど。昨夜久し振りに弟からの電話…「あっちゃこっちゃ出掛けてるけど、6月の検診はどうやったん?」と。以前私がブログに書いたことを、気に掛けてくれているという、アリガタイこと!今までは真っ先に母が心配して、電話などしてきたけど、もう…でももし母がいたとしても、きっと心配掛けたくないから黙っているだろうけど。

 その検査都合が付かず延期して貰ったら、なんと予約が一杯詰っていて、最短で8月10日ですって。また分ったら結果書きますね…でもよくなかったらここに書けないかも。

 ところで、昨日の兼題「紫蘇」の句では、女ばかりですので、すぐに紫蘇談義なってしまいました。青紫蘇は刺身のつまや薬味に、赤紫蘇は主に梅干漬に使うということは皆知っているので、特に梅干の漬け方に花が咲きました。でも、梅干も梅漬けも季語ですので、紫蘇と一緒には詠めませんから、次のような〈高き嵩押し込み押し込み紫蘇をもむ〉という句が出ていました。

 「高き嵩とあるけど、どれぐらい揉んだの?」作者曰く、「姉に頼まれて、大笊一杯の紫蘇を揉んだんですよ。必死に揉んだので疲れました。その揉むときの気持ちを詠みたくて…」採った人は、「押し込み押し込みに気持ちがよく出てる…」と。「中七の字余りが気にならなかった?」と聞くと、本人さえ、「エエッ!気が付きませんでした」と。ところで揉んだらどれくらいの量になったのと聞くと、これぐらい…と、両手で丸められるぐらいの大きさです。でもそれを3回も繰り返すんですよと。私には余り経験がないのでよく分りませんでしたが、とにかく大変だと言うことは伝わりました。

 「結局何が一番言いたかったんですか?」と聞くと、「あれだけシンドかったのに、たったこれっぽち~という感じです」と。そこで次のように添削しました。やっぱり中七の字余りはない方がいいでしょうし、「押し込む」という動詞もこの場面にはそぐわないような気がしましたので、そこを削って、

   揉み込んでかほどになりし紫蘇の嵩

 同じ紫蘇を揉むでもう一つおもしろい句がありました。〈紫蘇もんで肩もみしたき日暮かな〉です。

 「今度は揉む紫蘇が少なくて、揉み足らなかったの?」と聞くと「エエッ!違いますよ。疲れたから肩もみを…」ちょっとイジワルでしたね。勿論言わんとすることは分ります。でもねぇ~、これではそうなってしまいますよ。誰かが言っていました。「誰かの肩もみをしたんじゃないんですか?」と。

 ここは自分がするんじゃなく、「して貰いたい」という気持ちを詠んだんでしょうから、そこはきちんと伝えないといけませんね。想像にまかせて善意に読んでもらえるんではという甘えは捨てて、正しい表現を使わないとダメ。そこで次のようになりました。

   肩もみをされたし紫蘇を日がな揉み

 ところが、「先生!紫蘇揉みはそんなに一日中はしませんよ。」と、前句の作者が。どれぐらい揉むの?と聞くと、せいぜい1,2時間ですよと。じゃあなんで日暮が出て来たの?…と問答が続きます。結局、梅を漬けるために紫蘇を洗ったり、ちぎったり、そして揉んだ紫蘇を梅酢に漬けたり…一日かかったんですよと。

 「そういう梅干を作るための一連の作業を梅仕事というんですけどね」というと、そう、それそれ…。でも、この「梅仕事」が季語として使えるかどうかは、私もまだ自信はありませんが。

 まあ季語も、日進月歩とまではいきませんが、徐々に変わりつつあるというのも事実でしょう。

 先日の松本城で、雀がしきりに〝砂浴び〟をしていました。ここの雀たちは餌を貰ったりして、どうも人を恐れたりしませんね。この日も暑かったからかしら、次から次と砂浴びに来ます。娘が「ここは雀たちの銭湯みたいだね!」と。まことたくさんの穴が出来ていて、その通りだと思いました。オモシロイ!

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紫蘇

2017年07月11日 | 俳句

 今日は朝から日が差して、いわゆる〝梅雨晴間〟、早速溜まっていた洗濯をしました。その後句会の準備です。ここの教室は出入りが一番激しく、なかなか落ち着きません。他の所は殆ど入れ替わりがなく、いつも10人前後で丁度いいのですが…。

 退会も病気や高齢でということですので仕方がありませんが、やはり少なくなるのは淋しいですね。10人が9人になり…今ではとうとう7人になってしまいました。さあ、今日は何人かな?

 2人欠席でしたので、5人…淋しい句会になりましたねと言うと、その分しっかり勉強できますよと。そうですね、それでは〝精鋭〟でいきましょうと言うと…(笑)

 今日の兼題は「紫蘇」です。

 しょっぱなの句に「大葉」というのが出て、これ季語ですか?と聞くと、「歳時記にありましたぁ~」と。でも私の歳時記や季寄せには載っていません。どこの歳時記?と聞くと、『合本俳句歳時記』(角川学芸出版)だって。私の使っているのも角川の大歳時記なのに…おかしな話です。見せて貰うと確かにありました。「紫蘇」の傍題に、紫蘇の葉、赤紫蘇、青紫蘇、大葉、花紫蘇、穂紫蘇と。そして、次の句が例句に…。

  雑草に交らじと紫蘇匂ひたつ    篠田悌二郎

 この篠田悌二郎氏も馬醉木の同人でした。1899年(明治32年)~1986年(昭和61年)、86歳で没。東京市小石川区生れ。本名は篠原悌次郎で、俳号とは「二」が違うだけです。大正13年、三越に勤務する傍ら水原秋櫻子に師事し、第1回の馬醉木賞を受賞して同人となる。1946年(昭和21年)に「野火」を創刊、主宰するも、1962年(昭和37年)に馬醉木を脱会するまでの長い間秋櫻子に師事し、馬醉木では「抒情的な句を作らせたら右に出る者はいない」と高い評価を浴びた人だそうです。

  暁やうまれて蟬のうすみどり

 私はこの句で、篠田悌二郎という人の名前を知ったのですが、この「うすみどり」という表現がその頃ははやっていて、私も作った覚えがあります。当時子供と一緒に蟬が羽化するところを観察したことがあるのですが、確かに羽化した瞬間はうすみどりでしたね。それで俳句ではこの観察するということがどんなに大切かということを学んだんですよ。ちなみに、この句は第1句集『四季薔薇』(1933年刊)所収なんですが、ナントこの句集を検索してみたら27,900円と出ていて、もうビックリです。

 そういえばまだ蟬の声は聞きませんね。このところの福岡・大分の災害に心が痛みます。特に日田には知人もいますので心配しましたが…また、あちらこちらでは相変わらずの地震速報も…これから一体どうなるのでしょうか。我が庭の蜥蜴さんも心配しているようです。

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心に残った旅の花たち

2017年07月10日 | 日記

 そろそろ俳句の話に戻らないと、ウン分っているんですよ…でもせっかく撮ってきた花の写真、眠らせるのはカワイソウだから最後に見て下さい。おねがいします~。

 まず上高地で、1枚目は花ではないのですが、木天蓼(またたび)の葉です。緑の中でとても鮮やかでした。

 2枚目は〝エンレイソウ〟、3枚目〝カンボク〟、4枚目〝カラマツソウ〟(ミヤマカラマツかも)。最後は可愛い〝ベニバナイチヤクソウ〟、群生していました。それと5枚目の左下には〝クルマバソウ〟が見えますが分りますか?

 次は忍野八海で見た花です。

 1枚目は〝バイカモ〟、2枚目〝ユキノシタ〟、3枚目〝オオムラサキツユクサ〟の紫と白の花です。4枚目は恐らく〝ソバナ〟と思うのですが…違っていたらゴメンナサイ!後ろに見える白い花は〝ノコギリソウ〟。ついでに花ではないのですが、〝胡桃〟(ぐるみ)。まだ青いので「青胡桃」といって夏の季語です。最後は〝お釜池〟の傍でしたから〝トウモロコシとお釜〟。シャレですかね、いかがですか?面白いでしょう。

 では本当にこれで終りです。明日、句会ですので、次は俳句の話をしましょうね。お楽しみに!

 

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忍野八海と河口湖

2017年07月09日 | 日記

 「忍野八海」がある忍野村はかつては湖で、富士山の噴火活動を何度も何度も経て、長い間に徐々に湖が涸れてしまいましたが、その富士山の伏流水による湧水池がいくつか残り、それが今の忍野八海になったんだそうです。富士山信仰に関わる巡拝地として八海それぞれに八大龍王を祀っていて、富士修験者たちの水行の霊場として、この水で穢れを祓ったというところなんですよ。

 さらにここは、「形状、水質、水量、保全状況、景観、仏教思想(富士信仰)など」の観点から、昭和9年(1934年)に国の天然記念物、昭和60年(1985年)に環境庁から名水百選、平成25年(2013年)には世界文化遺産に登録されました。一番霊場から八番霊場として、出口池、お釜池、底抜池(そこなしいけ)、銚子池、湧池(わくいけ)、濁池(にごりいけ)、鏡池、菖蒲池の八つです。それぞれみな近いところにあるのですが、自由時間が50分間でしたので、私たちは湧池、濁池、お釜池の三つを見て歩き、お土産を買うのが精一杯でした。

 次はそこから30分ほどの富士山ビューポイント、河口湖畔の大石公園でラベンダーと富士山を眺めて散策しました。

 

 その後、昼食です。ここではオプションの〝ほうとう鍋定食〟を申し込んでいましたので、それを食べました。以前俳句にこの〝ほうとう〟が出て来て分らずに困ったことがありましたので、こりゃ是非体験しなくっちゃ…と。でも鍋ですので、それにこの日も天気がよかったので、暑いのなんの…、それでワカサギの揚げたてのフライの方がおいしかったなあ~。これでいよいよこのツアーも終盤、あとは羽田空港に戻るだけです。1時には河口湖を後にして、今日はあまり混んでいなかったので、無事3時過ぎに羽田空港に到着。お土産を買う時間も十分ありました。メデタシ、メデタシです!

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横谷峡温泉

2017年07月08日 | 日記

 7月3日の宿泊地横谷峡温泉は、八ヶ岳中信高原国定公園にある秘境・神秘の谷、横谷峡谷の中にある一軒宿です。ここのキャッチフレーズは、温泉と自然を満喫できる〝昭和レトロ〟の漂う旅館ということ。特に国内でも希少な豊富に鉄分を含んだ「鉄泉」(金泉)と、炭酸ガスが溶け込んだ珍しい「二酸化炭素泉」(銀泉)が、大浴場と露天湯になっていてそれぞれに入れます。露天湯では渓谷のせせらぎの音を聞きながらゆったりした気分になりリラックスできますが、私たちはあいにくの雨で、川音ならぬ雨音を聞いて入浴しました。でもとっても気持ちがよかったなあ~。男性用と女性用が夜の時間に入れ替わりますので、2度もはいりましたよ。(写真はパンフより)

 もう一つ、ここには目玉があるんです。おいしい地元の旬菜料理は勿論のこと、その食事が済んだら今度はロビーで安らぎのひとときが設けられているんです。毎日8時から9時までロビーコンサートが開かれ、いろいろな演奏が聴けること。この日は、〝トリオ・マナミーマ〟の演奏でした。

フルート浅尾真実・ヴァイオリン佐藤奈美・ピアノ蔵愛美のトリオで、クラシックの知らない曲もありましたが、〝花は咲く〟や〝ふるさと〟などがあって、一緒に歌ったりして、とても心豊かな時間が過ごせてよかったです。雨は相変わらずザアーザアー降っていましたが、そんなこと全く気にならず安らかな眠りにつきました。

 いよいよ最後。宿を朝8時出発でしたが、勿論雨の中ですよ。 この日の目的は世界遺産の富士山です。果たして見ることができるでしょうか?イヤ、今度は見えなくてもと…、ちょと心配。でも、ホラまた雨が止んで、山梨県に入り、だんだん富士山に近づいてくると、アッ、富士山!と驚きの声。そうです、バスの中からしっかりと見えました。これには添乗員さんも冗談抜きでびっくりしていましたよ。「今まで何度も来たけど、ここまで見えたことありませんでしたよ。スゴイ!」と。やっぱり…ウ~ン、なんだか自分が怖くなりました。でもアリガタイことです。感謝!感謝!

 これからいよいよ富士山ビューポイントの「忍野八海」(おしのはっかい)へ向います。それではまたね。

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国宝〝松本城〟

2017年07月07日 | 日記

 上高地を発って、4時過ぎには松本市にある松本城に着きました。ここはまだ太陽が燦々と差していて、ナント暑いこと!30度は超しているよねぇ~といいながら、見学へ。観覧は5時まででしたし、更に天守閣は階段が狭くて急だというので、私たちは入館するのをやめて外側をぐるりと見て回りました。

  この松本城は、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。戦国時代に石川数正・康長父子によって築城され、当時のままに四百余年、松本市民によって大切に保護され、今では市のシンボル的存在となっています。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて、それはそれは見事な景観を創りだし、別名「烏城」とも呼ばれているんです。でも、この度はアルプスの山々までは望めませんでしたが。堀には1羽の白鳥がのんびりと…。

 本丸に入る重要な入口の一の門は、当時最高の色調であった黒の名を冠して、「黒門」と呼ばれていたと伝えられています。

 「太鼓門」とは枡形の一の門で、かつて門の北側の台上に太鼓楼があり、それで時刻などを家臣に知らせたという重要な役割をしたところ。その門の入口に「玄蕃石」といって、松本城最大の巨石(22.5トン)が据えられています。これは、石川玄蕃守康長の名にちなんでそう呼ばれているそうですが、ガイドの方の話では城主の力を誇示するためだったのでは…と。昔は全て人の力でしょうから、それを考えると大変な作業だったでしょう。それもみな下っ端の町人たちが使われるのですからね。私はいつもこのような歴史的建造物を見ると、そこには虐げられた人々の血と泪が滲んでいるような気がしてしまうのですが。だからただ美しいでは済まないような…。

 

 5時過ぎここを出発、今夜の宿がある「横谷峡温泉」へは、6時過ぎに到着しました。あんなに晴れていたのに途中からまた雨が降り出し、宿に着く頃はもうザアーザアー降りになっていました。では、またね。バ~イ。

 

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憧れの〝上高地〟

2017年07月06日 | 日記

 初日の宿泊地は白馬八方温泉です。善光寺を5時過ぎ出発して、6時30分頃到着。宿は長野オリンピックの白馬ジャンプ台の直ぐ傍で、天気がよければ白馬三山がよく見える絶好の地なんですが、今日はあいにくの天気で見えません。残念!

 明日を期待したんですが、一晩中雨で、朝も大降り。そんな雨の中、8時に美しい緑の白馬村を後にして出発。でも不思議!ほらバスが走るに従って、だんだんと雨は小降りになり、とうとう青空まで見えてきたんですよ。ホントに。やがてトンネルだらけの、それもバスの離合が出来そうもない狭い山道を、運転手さんの見事な腕で予定通り11時、無事上高地に到着。これから3時間の自由散策です。念願の上高地に来れて、ウレシ~イ!

 さあ、あのパンフ定番の河童橋へ。さてあの写真のような景色が広がっているでしょうか?アッ、見えました!ポスター通りとはいかないけど、でもこの状況下では御の字ですよ。相当雨が降ったのでしょう。あの清流の梓川がなんと濁流となっていますもの。

 

私たちは河童橋から明神池への、往復約2時間コースを歩きました。 気持ちよかったですよ。花はあまり咲いていませんでしたが、林の中の木道では鶯の声が響き渡り、樹林を吹き抜ける心地よい風音と瀬音、おまけに猿が出るわ出るわ…もうびっくりです。

 

 森林浴で身も心もリフレッシュして…ちょうどお昼時でしたので明神池の傍の、あの有名な〝嘉門次小屋〟で信州蕎麦を食べました。1時間ちょっと歩いてきたので、いい具合にお腹もすいていて、おいしかったなぁ~一緒に山女の塩焼も頼んだんですが、昨日の雨で生簀が決壊して食べれませんと。やっぱりスゴク降ったんですね。散策道もあちらこちらに水が溢れていて、歩きにくいところもありましたから。

 帰りは余り時間が無くて、集合時間に間に合わないかもと、もう必死に歩きました。やっと河童橋に辿り着いて、最後にと振り返って見ると、穂高連峰がさっきよりよく見えました。アリガトウ!

 もう少し上高地に居たいなあと後ろ髪を引かれる思いでしたが、2時過ぎバスに乗って今度は松本城へ。それはまた明日にしましょう。バ~イ!

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牛にひかれて善光寺

2017年07月05日 | 日記

 昨日、台風で飛行機が飛ぶかどうかと心配しながら…でも、無事4時45分の定刻に羽田を発って、6時過ぎには山口宇部空港へ到着しました。羽田は曇りでしたが、宇部は晴れていました。でも、7時過ぎ家に戻って東京へ電話すると「こっちは雨よ!」と。そして、どんどんひどくなる様子と…。

 「美しき上高地・世界遺産富士山と金色に輝く秘湯横谷温泉の旅3日間」のツアーです。旦那は行かないというので娘と二人で参加しました。一度は上高地へ行きたいというのが念願の夢でしたから…ちょっと忙しいのを無理して行きました。以前に何度か行くチャンスがあったのですが、全部ダメになり、今回を逃したらもう行けないかも…と意を決して行ったのです。でも、やっぱり行ってよかったです。

 この3日間は天気予報では殆ど雨か曇り。おまけに最後は台風3号のお出ましと…でも、やっぱり私はあまり心配はしていませんでしたけど。だって私〝晴れ女〟ですもの。添乗員さんが上高地も富士山もダメでしょうねと、あまり期待を持たせないように言うんですが…行く先、行く先で期待外れ!2日目の上高地も快晴とまではいきませんでしたが、明神池まで歩いて行けましたし、気持ちよかったですよ。昨日の人も次の日の人も雨だったとか…。3日目の富士山も完全とは言えませんが笠雲の富士山を堪能しました。 添乗員さんもびっくりして、このバスには魔法使いが乗っているんでしょうか…と。〝ハ~イ〟と手を挙げようかと思ったぐらいです。娘に〝晴れ女を認める?〟と聞くと、ウンウンと頷いていましたが。宿に泊っている間は大降りで、バスに乗ると徐々に小降りになり、降りるときは雨が上がっている。これを繰り返すもんだからみんな大喜びするやら不思議がるやらです。結局雨傘は一度も差さずにすみました。今回もまた盛りだくさんの旅行でしたので、おいおいと書いていきますね。

 今日は初日に行った長野県の国宝「善光寺」です。羽田に12時頃着いて、それからひたすらバスに揺られて善光寺へ。 予定は4時過ぎとか。

 「あの有名な戒壇廻りをしたいんですけど、できますかね?」「ウ~ン、どうでしょう。もしかしたらダメかも。」「どうして?」「善光寺は5時までなんですが、戒壇巡りの受付が4時30分なんで、間に合うかどうか微妙。バスを降りたら10分ほど歩いて記念撮影、それから参拝と…」その話を聞いて、みんなが「運転さん、頑張って!」と応援(笑)。気持ちが通じたのか4時過ぎ到着で、みんな〝戒壇廻り〟が出来ました。この〝戒壇廻り〟とはご本尊の安置されている瑠璃壇下の真っ暗な廻廊を通り、中程に懸かる〝極楽の錠前〟を探り当てて、秘仏のご本尊と結縁する道場です。「右手で腰の高さの壁を伝ってお進み下さい」と書かれているので、その通り進もうと…でも本当に真っ暗闇で、足元がどうなっているのか、先がどうなっているのか、〝みんなで通れば怖くない…〟と巡りましたが、途中で何かにぶっつかったりすると〝ワァー〟〝キャァー〟と声が…。以前経験したことはあるのですが、こんなに真っ暗じゃなかったなあ~本当にいい経験でした。人間はやっぱり闇の怖さを知らなくっちゃいけません。つくづくそう思いました。善光寺は国宝ですので内陣は撮影禁止。下の写真の回向柱は7年に一度行われる前立本尊ご開帳で本堂前に建てられる角塔婆。この柱は前立本尊の右手と直に結ばれ、この柱に触れると御利益があると…説明が終わるやみんなスリ、スリ…この有様でした。次は有名な山門。なんで有名かというと額の文字の中に〝鳩〟が5羽、さらに牛の顔が描かれているということ。分りますか?(拡大したので余計はっきりしませんね。ゴメンナサイ) 再建された現在の本堂は、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定され、東日本最大の伽藍です。棟の形が鐘を叩く撞木(T字型)に似ているので「撞木造り」と呼ばれ、裳階を廻らせた二重屋根は総檜皮葺としては日本一の規模を誇っているそうです。境内に「夏萩」がもうこんなに美しく咲いていましたよ。つづきはまた。

 

 

 

 

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夏越大祓

2017年07月01日 | 俳句

 明日からまた3日ほど留守をしますので、ブログお休みです。

 昨日は6月の晦日でしたので、こちらの神社では「夏越大祓」(なごしおおはらえ)が行われました。以前何度か行ったことがありますので、私は今年行きませんでしたが、新聞に写真入で大きく報道されていました。

 勿論これも季語になっていて、「名越」、「夏祓」、「水無月祓」などともいいますが、本来旧暦の6月晦日に行われたものです。今では新暦の6月晦日や月遅れの7月晦日など、各地様々に行っているようで、茅萱(ちがや)で作った輪(これを茅の輪といいます)を参詣の人が潜ったり、「形代」(かたしろ)とか「人形」(ひとがた)という紙で作ったもので体を撫で、それに穢れを移して、流したりする習わしがあります。要するに古代から行われた民族信仰に由来するもので、人々の無病息災を願うものなんです。

 ところで、俳人協会の俳句カレンダーを見ると、6月30日に「夏越」と書かれていました。ということは、新暦ですることを認めているということですね。

 では、あの「七夕」はどうでしょう。これも新暦の7月7日に書いてありました。ところが「小暑」とも書いてあるんですよ。混乱しませんか?「小暑」は二十四節季の一つで、太陽暦の7月7日、8日頃とありますからこれで正しいですが、「七夕」はどうなんでしょう。ちょと考えさせられますね。

 昨日のブログに対して懇切丁寧なコメントを頂き、有り難うございました。それによると二十四節季を基準にすると季節が分りやすいと。

 俳句の季語としては、「七夕」は秋、「小暑」は夏なんです。この暦ですると現実の問題として、夏の時期に秋の季語として詠むというのは季感が全く違うでしょう?

 この問題は、俳人協会、いや俳壇全体の大きなテーマの一つではないかと思いますが、いかがでしょうか。

 今日の写真は〝モグラ〟です。俳句では「土竜」と書いて、よく句材にもしますが、わが家の庭で死んでいました。カワイソウ!猫が獲ったんでしょうか?それならいつも獲物を咥えて来て、私たちに見せにくるんですが…また、我家のテンは弱虫なので、こんな大きな土竜は無理でしょう。私も初めて見ましたよ。

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