今日は俳画教室。ナント画材は〝鰻丼〟でした。
今年は土用丑の日が2回あるんですよ。そもそも土用の18日間に、十二支の丑の日が1回か2回あるということ。7月25日がそうでしたので、その12日目の8月6日がまた丑の日なんです。立秋は8月7日ですからね。それで通称〝二の丑〟と言われています。
土用の丑の日になぜ鰻を食べるかというのは、前にも書いたように平賀源内に由来した話が一番知られているようです。天然鰻の旬は秋から冬で、夏はあまり美味しくないので売れずに困っていた魚屋がこの平賀源内に相談すると、〝本日、土用の丑の日〟と書いて貼紙をしたところ大繁盛して、以来丑の日に鰻をたべるという風習ができたらしい。そもそも昔から丑の日には〝う〟から始まる食べ物を食べると夏負けしないという言い伝えがあって、それで鰻は栄養もあるのでそれにあやかって普及したのですよ。今では天然物は少ないし高いしということで、殆ど養殖鰻。だから旬というのはないのですが、土用の丑の日の鰻ということで、夏の季語になっています。
ウーン、でも鰻は一回食べればもういいかな…。私の俳画の鰻は、最初は蒲焼がもう少し焦げた方がいいと言われて、書き直してもう一度持って行くと、今度は焦げすぎましたね~と。なかなかいい具合に書けませんでした。
先日の句会の兼題は「金魚」、夏の季語です。もともと鮒の観賞用に改良された飼育品種で、日本には室町時代の末期、当時の明から輸入されたのが最初と言われています。その後日本で品種改良が重ねられて、出目金・琉金・蘭鋳その他さまざまな新品種が作りだされたのです。もっとも、金魚を入れた浅い桶を天秤棒で担ぎ、「金魚えー、金魚」と声を引いて売り歩いたのは江戸中期以降で、当時の夏の風物詩だったんです。ところで、今回とても面白い句が出ていましたよ。それはこれ。
贈られし金魚や葵の紋の鉢
この句については、作者から先に、おかしな句だと思われるでしょうが、分りますか?と聞かれました。「葵の紋と言えば、徳川家よね…」「それで金魚とは何の関係があるの?」「皇女和宮と将軍徳川家茂のこと、知りませんか?」「ああ、何か聞いたことあるわねえ~」「家茂が和宮に金魚を贈ったという話…」う~ん、これは歴史的背景のある深い句でしたか? など、など…
俳句としての審議より、話がどんどんと発展して、とうとう篤姫の話にまでなりました。この句会のある地域には、篤姫が輿入したときに通ったという〝どんだけ道〟(殿様道の方言)があるからなのです。すると、最近この句会に入会した人が、ビックリする話を披露したんです。自分の祖先は薩摩の武士で、参勤交代のお供でこの地域を通過したとき、この地の水事情が悪くて米ができない窮状を見かね、鹿児島の自分の資産全てを売り払ってこの地へ移住したというのです。そして、灌漑事業を興し広く水田が作れるようにしたのだと。私もそれは以前からここの会館に、その史跡が残されていて、顕彰板も立てられていましたので、知っていましたが…。こんなこともあるんですね~イヤ、ホントにびっくりでしたよ。
烏瓜の花が夕方、と言っても4時頃ですが、もう咲いていました。レースのようできれいでしょ!