福岡・大分の集中豪雨から、一転して今度は真夏日…、毎日毎日暑いことですね。でも、蟬にとっては願っても無い暑さなのでしょう。毎日飽きずに朝早くから鳴いていますもの。
俳句では〝セミ〟は「蟬」と書きます。俳句をされない方は殆ど「蝉」と書くでしょうね。私も俳句を始めて、この字を書くようになりましたし、人にも教えるようになりました。以前ワープロを使っていた時、「蝉」と言う字しか無かったので、そこだけ手書きで入れていたのも懐かしい。「鷗」という字も同じで、「鴎」ではいけないと…。
そもそもの〝セミ〟の字は「蟬」で、「蝉」は俗字。だから間違いというのではないのですが、俳句は韻文であり、文語を使うのが原則(これは我が結社での話で、他結社ではいろいろあると思いますが…)だと考えれば、正字を使うというのが当り前ということなのでしょう。「單」は、はじき弓の象形で、羽をふるわせて鳴くと言う意味。それに虫偏がついて、〝セミ〟と言うことなんです。
今日の兼題は「蟬」、もちろん夏の季語です。でも、「蜩(ヒグラシ)」や「法師蟬」は秋の季語になります。昨今の地球温暖化で何事につけ早まっていますので、結構早くから鳴いていますが、だとしても、やはりあの蜩や法師蟬の声には、夏から秋への移ろいを感じさせてくれる一種の清涼感があるものですから、初秋が似合うでしょう。
蟬鳴いて夫婦いさかひ恥づるかな
誰の句と思いますか?ナント井原西鶴なんです。私は西鶴とは、「好色一代女」や「日本永代蔵」、「世間胸算用」などの作者というイメージしか持っていなかったので、ちょっとびっくりしました。でも、知らなかったのは私だけかも…恥ずかしい!
百科事典で調べてみると、まず〝俳人〟とありました。15~16歳ころから貞門俳諧に入り、のちに談林派に転向。矢数俳諧に活躍し、1684年住吉社頭で一昼夜2万3500句を独吟。二万翁、二万堂と自称したという。俳諧集なども刊行している。1682年『好色一代男』を刊行して浮世草子を創始したと。面白いことに、西鶴は1642~1693、芭蕉は1644~1694と、殆ど同時期に生きていたということ、そして貞門派から談林派へというのも同じなら、もしかしたらどこかで接点があったのでは…と調べてみるのもオモシロイかも。もし知っていらっしゃる方がおられれば教えてくださあ~い!
この写真は「空蟬」。(暗かったのでフラッシュで撮影) これも夏の季語です。要するに〝蟬の抜殻〟。
梢よりあだに落ちけり蟬のから 松尾芭蕉
岩に爪たてて空蟬泥まみれ 西東三鬼
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