ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

悼!迫田白庭子さん

2018年03月25日 | 俳句

 今日もいいお天気で…最高気温もぐっと上がって21度。でも日陰や夜などはまだまだです。最低気温も4度とかですからやっぱり寒いですよ。

 午前中から俳人協会山口県支部役員会へ出掛けていました。そこで、この山口県支部を立ち上げた役員の一人、迫田白庭子さんが3月13日にお亡くなりになったということを聞きました。享年94歳。

 私が役員になったとき、「本屋でよく馬醉木の本を見ていたんだよ…」と声を掛けて下さり、いろんな昔の話を聞かせてもらいました。戦前から俳句をされ、最初は野見山朱鳥主宰の「菜殻火」に入り、やがて同人として活躍され、朱鳥の死後は他の結社誌へ(どこか忘れました…)、最後はたくさんの弟子を連れて大串章主宰の「百鳥」へ。その時も同人としてと言われたそうですが、それを断って誌友から入門されたとか。もちろんすぐに同人に昇格されましたが、そうやって死ぬまで俳句人生を全うされた方です。私はこの役員会や俳句大会・吟行会でお会いするだけですから詳しいことは知りませんが、90歳過ぎても下関から汽車に乗り防府市での役員会に欠かさず出席され、まさに矍鑠たる姿でした。もう2年になるかしら、会議に出れそうにないからと役員を辞退されたので、お顔を見ることはなくなりましたが…。そう言えば、昔どうしてそんなに結社を変えるんですかと聞いたところ、「わしゃ、女の主宰が好かんのじゃ!」と。その理由は???

 一人暮らしが長くこんなものを作って食べたんじゃとか、そんな料理の話などもされて、本当に感心することばかり。とにかく俳句が上手で、話も面白くとても優しい方でした。聞けば、去年の11月まで俳句の指導に来ておられたとか。

  汐ひきしあとの破船に海桐ちる  迫田白庭子

 調べたところほとんど情報がなく、この句が見つかりました。季語は「海桐(とべら)」で、夏。1961年に句集『破船』が菜殻火叢書から出ていましたので、その題はきっとこの句からだと思います。また、1975年にも句集『裏海』を菜殻火叢書から出版。それはどうも昭和38年の角川俳句賞に応募して、最終の上位4篇に残った作品名の「裏海」から採られた題ではと思うのですが…。このように50年以上も前から活躍されていますから、その句歴などは推して知るべしですよね。

 白庭子さんどうぞ安らかにお眠り下さい。合掌!

 今日は白庭子さんの冥福を祈って、写真は〝白木蓮〟です。家の近くにあるのですが、木が大きくて花のアップが撮れませんでした。まだ開き始めですけれど、このぐらいが白木蓮はいいですね。これが全部開ききるとなんとも品がなくなり、さらに錆びてくるとホントに見苦しい…。

 

  今日は白庭子さんのことで終りましたので、広島行きの話はまた次に。ゴメンナサイ!

コメント
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