果未 の館

観音菩薩日記

切り落とす

2017-04-27 08:55:44 | 記憶
善い悪いの判断は記憶を基に判断する
自分だったらというのも
自分の価値観も
全て記憶を基につくりあげている

だとすれば 記憶を切り落とす事で
判断も価値観も持つことはなくなる

記憶を切り落とすことで
ただその出来事があると認識する 

相手に対しても
その相手が記憶を基に言動しているだけ
と 見れば批判することはない
ただ ただ 記憶の中を泳いでいるだけと思えば

自分は記憶の沼の外でそれを眺める

その状態になれたとき
どう言動するのだろうか

自分を変えるには

2017-04-25 08:44:52 | 自分
自分を変えるなら
まずは自分を大切にすること
自分の時間を大切にすること
自分だけの時間を少しでも持つこと

自分の言動は日々の繰り返しで
習慣化され定着する
習慣化した言動は意識して
コツコツと積み上げていかなければ変えることはできない

忙しさに追われ自分を見失っている状態では
変わることはできない
自分が変わりたいと思うだけでは
何も変わることはできない

ほんの少しでも自分に向き合う時間を毎日つくる
変わりたい自分を思い描ける時間をつくる
変わりたいと自分になる言動を積み上げていく


記憶が悪いわけではない

2017-04-24 08:07:11 | 記憶
記憶が思考をつくる
思考が行動を起こす
行動が現実である
現実をどう感じるか
感じたことが記憶に付随する

現実が自分にとって不快なら
記憶も不快なものなのか
記憶自体 快も不快もない
記憶自体 善いも悪いもない
現実で記憶をもとに感じたことが
快 不快 善い 悪いを判断をする

意識をしないと
条件反射で反応する
それが感情
感情は癖のようなもの
意識をしないところで反応し感じる
快 不快を判断する

感情が生じたとき
無意識の反応と意識して
記憶の感情が何をもとになっているのか
不快な感情なら考えてみるといい
どんな記憶がその感情を呼び起こすのか
探してみるといい
自分が気づくと
無意識に出てくる感情に振り回されなくなる

自分の考えることが全て

2017-04-18 09:27:50 | 母への思い
母を愛していると 思える自分になってきたと思っていた
大いなる者に試されている
だからこの現実を体験している

母からの電話
父が自分の思い通りにならないと怒ると言う
詳しい話を聞いてみると
母の思いと父の思いが 違っているだけのこと
母はそれを理解できないことで
母が反発したり拒絶することで父が反応しているだけ

人それぞれの思いが違うことを理解してほしいと思った
人それぞれの思いが違うことを 理解したほうがいいと言った
私と話すとイライラすると言って電話を切られた

試されている
それでも母を愛することができるかと試されている

実際過去の思い出がフラッシュバックした
そうだこんな思いこんな嫌なことがあった
やっぱり母を愛せてない自分がいた

母を愛するための 機会が与えられた
この記憶を浄化するための機会が与えられた
今持っている思考を変えるために機会が与えられた

母の子供時代が あるから今 母はこうなっている
母が記憶に支配されていてこうなっている

私自身私の記憶を探し 理由付ける
記憶を探す必要はない
記憶を探しても見つかることがないこともある
だから記憶を探す必要はない

だが理由を見つける理由付けたい
理由付けないと感謝できない
本当の意味で感謝できない

母は自分の考えることが全て正しいと思っている
自分の考えること以外を考える人がおかしいと思っている
相手の気持ちを考えない私や父
正確に言えば
母の気持ちを考えない私と父が悪い
逆に母が私達の気持ちを理解しているのかと
私達が言ったとしても
自分は解かっていると
自分の考えが私達の考えと同じという前提で言う
幼い頃からくり返されてきた
母の考えが全て
自分の考えを理解できない家族が悪い
そう思いいつもイライラしている母
いつも寝れないという母
いつも不機嫌でいる母


今自分は母を批判している
母を悪いと判断している

記憶がまたくり返されている
この出来事を受け入れられない自分がいるからくり返されのに

この出来事が起きていることを受け入れられなくてごめんなさい
この出来事は自分にとって変わる機会を与えてくれている
ありがたい出来事 ありがとう ありがとう

出来事の存在も母の存在も自分にとって大切なもの
愛おしさを感じて感謝をしこの思いを手放そう


この記憶を手放したい
今まで何度もみせてくれてありがとう
手放すのに協力してくれてありがとう