果未 の館

観音菩薩日記

思い込みたいことを記憶が邪魔をする

2018-07-29 19:05:51 | 記憶
思い込むことができれば
思い込んだことが現実になる
だが思い込みたいと思っても
記憶によって思い込むことを妨げられる
記憶の扱い方で思い込みが変わる
思い込むことが記憶によってできないということは
その記憶に不快さがあるから
その記憶が自分にとって良くないという判断がついてるから

記憶を良い記憶にすることまでしなくてもいいが
判断をもたない記憶に置き換えていかないと
思い込むことはできない

変えられる記憶と変えにくい記憶

2017-05-22 10:11:10 | 記憶
記憶自体曖昧なもの
記憶はただの思い込みかもしれない

記憶の中の事実とは

例えば お気に入りのコップが割れて落ち込んだ
割れたこと自体は事実である
お気に入りのコップということや
落ち込んだと言う記憶は記憶の書き換えが起こる
好きな人からもらったお気に入りのコップ
好きな人から自分に酷いことをされた
その後でもお気に入りのコップと言う記憶として残るか
割れて落ち込んだ気持ちになるか
コップが割れたことは変わらないが
自分がどう思っていたか
どう感じたかはその後の出来事で記憶は変わってしまう
つまり 物質自体の形としての変化の記憶は変えにくいが
(記憶自体今実在しているものではないので勘違いや思い違いと言うこともある
記憶と記憶が交差し混じり事実とは違うことを創りあげることもある)
感情を表す記憶は自分の捉え方で変えることができる
自分が変えようと捉え方を変えれば
感じたこと 感情の記憶は変えることができる




不快な記憶

2017-05-16 08:29:51 | 記憶
不快な感情が湧き上がった
過去の記憶を基に不快な感情が湧き上がる
不快な感情が時間とともに薄れて行く
薄れるというより 次に起こる出来事で
不快な感情の上に次の出来事の感情で上塗りしていくことで薄れていく

記憶を変えていく
出来事自体変わらない 体験したことは変わらない
でも捉え方で記憶は変わっていく
どうその出来事を捉えるか 体験したことをどう捉えるかで
湧き上がる感情が変わっていく

薄れて行くのをじっと待ってもまた同じ出来事は繰り返される
記憶を変えていくことができれば同じ出来事は起きない
起きたとしても不快な感情が湧き上がることはない

記憶は感情のバロメーターであり 価値観の基準を創っている

自分が心地よい記憶は大切に持ち続ければいい
自分が不快にならない記憶は気にすることはない
自分が不快な記憶はじっと薄れていくのを待つのではなく
出来事の捉え方をかえ記憶を変えていこう

記憶に左右されないために

2017-05-09 08:25:20 | 記憶
話しをすること
それは全ては記憶である

あるがままに言っているつもりでも
自分の思いが入る
自分の見方が入る
自分の価値観が入る
それは自分の記憶の上にある

人の話しもその話し手の記憶である
話し手は正確に話せるわけもなく
話し手の記憶をもとに話す
記憶からの価値観の上に記憶を話す
全てを話すこともできない

聞き手は聞き手の記憶の上で話しを聞く

話し手の話しと聞き手の話しが全く同じものになることはない

相手がどんな話しをしたとしても
相手の話しを完璧に理解することはできない
相手の話しは中途半端なもの
聞いている自分も自分の価値観という物差しで
はかりながらしか聞けない

相手に意見したり 反論したり
全ては自分の記憶が発している

快 不快を感じさせるのは記憶
快 不快を感じたとき記憶が話し始めているだけと思えば
記憶の自分から少しだけ離れることができる


記憶の扱い

2017-05-08 07:36:34 | 記憶
過去の話しをするとき
それはもちろん記憶の話し
未来の話しをするときも
それは記憶の情報を基に話す

話しは全て記憶を基にしたもの
考え方 思い 感情も
全ては記憶を基につくられている

誰かの言動をみて
何かの出来事をみて
反射して湧くものは
全て記憶を基にしたもの
記憶のループから外れるには
まずは湧き上がってくるものが記憶と気づくこと

記憶があることが悪いわけではない
記憶があるから
より心地良くなることを求めて改良する

記憶が心地良くなることになるなら
記憶を大切にすればいい

不快さを感じたなら
まずは記憶と気づき
記憶から外れよう
記憶を眺めて反応しない

切り落とす

2017-04-27 08:55:44 | 記憶
善い悪いの判断は記憶を基に判断する
自分だったらというのも
自分の価値観も
全て記憶を基につくりあげている

だとすれば 記憶を切り落とす事で
判断も価値観も持つことはなくなる

記憶を切り落とすことで
ただその出来事があると認識する 

相手に対しても
その相手が記憶を基に言動しているだけ
と 見れば批判することはない
ただ ただ 記憶の中を泳いでいるだけと思えば

自分は記憶の沼の外でそれを眺める

その状態になれたとき
どう言動するのだろうか

記憶が悪いわけではない

2017-04-24 08:07:11 | 記憶
記憶が思考をつくる
思考が行動を起こす
行動が現実である
現実をどう感じるか
感じたことが記憶に付随する

現実が自分にとって不快なら
記憶も不快なものなのか
記憶自体 快も不快もない
記憶自体 善いも悪いもない
現実で記憶をもとに感じたことが
快 不快 善い 悪いを判断をする

意識をしないと
条件反射で反応する
それが感情
感情は癖のようなもの
意識をしないところで反応し感じる
快 不快を判断する

感情が生じたとき
無意識の反応と意識して
記憶の感情が何をもとになっているのか
不快な感情なら考えてみるといい
どんな記憶がその感情を呼び起こすのか
探してみるといい
自分が気づくと
無意識に出てくる感情に振り回されなくなる

記憶の外へ

2016-12-05 17:46:49 | 記憶
ほとんどの人は記憶の中の言動をしている
未来を考えること 想像すると記憶の中に入っていく
常に今どうするか
今できることをする
その言動すら記憶かもしれないが
それが心地良ければ気にしなくていい
何か不安や心配など不快な感情を感じるなら
速やかに記憶と気付き記憶の外へ出よう
そしてその記憶を眺めてみよう

記憶の外から記憶の中にいる人とどう関わり合うか
記憶の中の人の話しに反応すればすぐに
自分も記憶の中へと引きずり込まれる

記憶の中で話しをする人に反応しない
ただただ愛を感じるようにしよう
愛を感じること
つまりその人が記憶の中にいても
ただ記憶の中にいるんだねと見守ろう

自分以外の人を記憶の外へ出すことはできない
無理に出そうとすれば自分が記憶の中へと入っていく
自らが記憶の外へ出ようとするのを見守ろう
自らが記憶の外へ出ようとするように
自分は相手が出ようと出まいとどちらでもいい
相手に選択を委ねるように言動しよう

記憶の吹き出し

2016-11-28 09:23:13 | 記憶
記憶がくり返されている
結局 幼少期の記憶から何も変わらずくり返されるいる
このくり返しから抜けることはできないのだろうか

手放そうと思うのは手放したいと思うこと
手放すつもりが握り締めている
考えれれば考えるほどぎゅっと握り締めること
解かっていても握り締める手を緩めることができない
苦しくなる

記憶の浄化

2016-11-24 15:55:10 | 記憶
記憶がくり返されて現れる現実
繰り返して欲しくない現実をどう浄化するのか

それは起こった現実くり返される現実
浄化したい現実をまるっと愛すること
まるっと尊重すること
浄化したい出来事ひとつひとつを
慈しみ感謝する
怒りやイライラを募らせて
その存在を否定しようとする思いに謝罪し
感謝して浄化してもらう

否定すればするほど
その出来事たちは
あざ笑い何度でも現れる

愛をもって感謝の気持ちを表せば
留まることはできない
繰り返すことはできなくなる

記憶の浄化

2016-10-25 13:05:52 | 記憶
どんな者、物も記憶を浄化するために存在している
相手がどんな言動をしてもそれは記憶の再生
自分がそのことに関わるのも記憶の再生でしかない
再生してくれるのは自分が浄化する機会のため
感謝して浄化してもらうだけ