果未 の館

観音菩薩日記

心の世界に眼を向ける 

2019-02-20 15:33:26 | 生き方
目でみえるもの 
耳で聞こえるもの 
触って感じるもの
生きているとそれに集中する習慣がついてくる

大人になると 
目でみえるもの 
耳で聞こえるもの 
触って感じるもの
それが真実だと決める
目でみえるもの
耳で聞こえるもの 
触って感じるものが一部であること
全てを見ているわけではないし 
全てを聞いているわけではない 
全てを感じているわけではない
その事に気づかず一部が全てだと勘違いする
それは自分だけではない

心でものをみるようにすると
少しの動き 
言葉の意味の多様性 
感覚の違いを丁寧に扱っていくだろう



安心と安定を求めて  

2019-02-08 20:22:08 | その他
安心と安定を求め
それが変わらない状態を求める

現状苦しいと思っても繰り返されるものに
慣れているというだけでそれを続ける
慣れているということが心地よい状態ではない
苦しい現状から抜け出すということは
自分が変わるということ
変化がどんな結果を生むかわからない
わからないことは恐れとなる
恐れを避けてが慣れた苦しい現状を維持したくなる
また 結果が良くなるとわかっていても
習慣化され反射的に出てしまう言動を止めようとすること自体が
めんどくさいと感じて諦めてしまう

褒めることから認めることへ 

2019-02-07 16:13:12 | その他
自分が自分を認められるようになるために
他者から認めてもらうことをする
だが他者に認めてもらうことが全てになると
いつまでも自分が自分を認めることができない
どこかで他者に求めることを止め
自分自身が自分を認めることをする

認めるための手段として褒めることがある

褒めることは大切であるが
褒められたことで喜びを感じるのではなく
自分の行為自体に自分が喜びを感じること
例えば 料理が美味しかったと褒められた
褒められることは嬉しいことであるが
褒められることにだけ喜びを感じるのではなく
この料理ができたことが嬉しい
この料理が作れるようになったという達成感の喜びを感じること
それが自信となり自分を認めることとなる
褒める時は料理が美味しいと喜ぶのに加えて
どう料理いつもと同じ?
前と比べてできるようになって嬉しい?
料理をした自分自身に満足感を問いかける
他者の評価で喜びを感じることだけにせず
自分の行動やその結果への満足感を得ること
行動そのものの結果に喜びを感じることへ主体をおく

腑に落ちるには 

2019-02-06 14:21:58 | その他
腑に落ちると何かレベルアップした感覚がある
この腑に落ちるということとはどうなることかを考えると
腑に落ちないというのは理解していても納得できないこと
理解していても納得できない状態とはどんな状態なのか

自転車に乗れるようになることを例えとしたとき
ペダルを漕いでバランスをとる
理屈として頭で理解しても実際乘れるようになるには
乗れた感覚を覚えるしかない
何度も練習するしかない

新しい方法をみつけても
それを自分のものにするには
練習期間が必要になるということ
練習をすることなく新しい方法は使えない

練習するのが面倒と思って古い考え方にしがみついて
楽しくない時を過ごすか
練習して新しい考え方にシフトして
楽しい時を過ごすか

練習すれば自転車をスイスイ乗りこなすことができる
同様に練習して新しい考え方を取り入れればワクワクした毎日になる。