果未 の館

観音菩薩日記

奪う人への対応  

2019-04-20 18:31:08 | 生き方
奪う人が現れるのは自分が奪われたくないという思いがある
自分が満たされてない状態でもある
だから無理に自分が与えようとしても不快さが募っていく
自分が満たされていないので与える余裕がない

奪う人が現れた時にどうすればいいか
自分もどこかで奪っているのかもしれない
そう思うことで与える気持ちになれるかもしれない

奪う人は何らかの満たされないものがあるから奪おうとする
何が満たされていないのか
どんな欠乏感を抱えているかを知ろうとすることが
自分の欠乏感を埋めるヒントになるかもしれない

言葉の発し方 

2019-04-18 13:18:18 | その他
信頼していれば相手を熟知していれば
言葉はいらないのかもしれない
以心伝心できるかもしれない

言葉でわからせようとしても
理解できないことが多くある

相手がわかってくれないと思い込みが
相手をわからない状態にしているのかもしれない

全ては繋がっている
自分が自分の全てを信じ行動すれば
全てはうまくいくのかもしれない

言葉を発するにしても
行動するにしても
どこに自分の視点を置くか
表面的なものに眼を奪われれば
例え一時的にうまくいったとしても
どこかでまた都合の良くない状況に置かれる
 
目に映るものが必ずしも真実ではない
同じものを見ているつもりで違うものを感じている

真の部分で全てを捉える感覚がつけば
自分は常に心地よい状態でいることができる
今まで表面的なものに視点をおく習慣となっている
真の視点で観る習慣をつけよう

思考を止めて思考する  

2019-04-08 14:32:31 | 思考
思考するということは記憶をもとに思考する
その記憶はまず自分が体験した記憶 聞いた記憶 見た記憶
この記憶はそれぞれ視覚が優位しているか
聴覚が優位しているかで順位はかわる

思考は記憶からなっている
記憶が働いていると気付いて思考する
記憶を利用して思考する

常に記憶で動いている
知らず知らずに記憶で動いている

思考しようと思ったら記憶であると認識しよう
認識したうえで思考しよう

言葉は思考から発せられる
不快に感じることは思考であり記憶
誰が発しても記憶に支配されているだけだと気付けば
快へと転じていく思考を探す