果未 の館

観音菩薩日記

言葉の発し方 

2019-04-18 13:18:18 | その他
信頼していれば相手を熟知していれば
言葉はいらないのかもしれない
以心伝心できるかもしれない

言葉でわからせようとしても
理解できないことが多くある

相手がわかってくれないと思い込みが
相手をわからない状態にしているのかもしれない

全ては繋がっている
自分が自分の全てを信じ行動すれば
全てはうまくいくのかもしれない

言葉を発するにしても
行動するにしても
どこに自分の視点を置くか
表面的なものに眼を奪われれば
例え一時的にうまくいったとしても
どこかでまた都合の良くない状況に置かれる
 
目に映るものが必ずしも真実ではない
同じものを見ているつもりで違うものを感じている

真の部分で全てを捉える感覚がつけば
自分は常に心地よい状態でいることができる
今まで表面的なものに視点をおく習慣となっている
真の視点で観る習慣をつけよう

安心と安定を求めて  

2019-02-08 20:22:08 | その他
安心と安定を求め
それが変わらない状態を求める

現状苦しいと思っても繰り返されるものに
慣れているというだけでそれを続ける
慣れているということが心地よい状態ではない
苦しい現状から抜け出すということは
自分が変わるということ
変化がどんな結果を生むかわからない
わからないことは恐れとなる
恐れを避けてが慣れた苦しい現状を維持したくなる
また 結果が良くなるとわかっていても
習慣化され反射的に出てしまう言動を止めようとすること自体が
めんどくさいと感じて諦めてしまう

褒めることから認めることへ 

2019-02-07 16:13:12 | その他
自分が自分を認められるようになるために
他者から認めてもらうことをする
だが他者に認めてもらうことが全てになると
いつまでも自分が自分を認めることができない
どこかで他者に求めることを止め
自分自身が自分を認めることをする

認めるための手段として褒めることがある

褒めることは大切であるが
褒められたことで喜びを感じるのではなく
自分の行為自体に自分が喜びを感じること
例えば 料理が美味しかったと褒められた
褒められることは嬉しいことであるが
褒められることにだけ喜びを感じるのではなく
この料理ができたことが嬉しい
この料理が作れるようになったという達成感の喜びを感じること
それが自信となり自分を認めることとなる
褒める時は料理が美味しいと喜ぶのに加えて
どう料理いつもと同じ?
前と比べてできるようになって嬉しい?
料理をした自分自身に満足感を問いかける
他者の評価で喜びを感じることだけにせず
自分の行動やその結果への満足感を得ること
行動そのものの結果に喜びを感じることへ主体をおく

腑に落ちるには 

2019-02-06 14:21:58 | その他
腑に落ちると何かレベルアップした感覚がある
この腑に落ちるということとはどうなることかを考えると
腑に落ちないというのは理解していても納得できないこと
理解していても納得できない状態とはどんな状態なのか

自転車に乗れるようになることを例えとしたとき
ペダルを漕いでバランスをとる
理屈として頭で理解しても実際乘れるようになるには
乗れた感覚を覚えるしかない
何度も練習するしかない

新しい方法をみつけても
それを自分のものにするには
練習期間が必要になるということ
練習をすることなく新しい方法は使えない

練習するのが面倒と思って古い考え方にしがみついて
楽しくない時を過ごすか
練習して新しい考え方にシフトして
楽しい時を過ごすか

練習すれば自転車をスイスイ乗りこなすことができる
同様に練習して新しい考え方を取り入れればワクワクした毎日になる。

判断が苦しめる 

2018-12-29 14:03:01 | その他
判断すること
それは過去の体験 記憶の照らし合わせ

自分が判断することが自分を苦しめる
すべてのものを判断せずに
あるがままを受け入れることができれば
苦しむことはない
とはいっても 
子供の頃に親の判断を押し付けられ
それが正しいとい思い込む
そして今も周りが判断をすることに揺さぶられる
自分が判断せずにいたとしても判断することをみる
判断に囲まれれば自分も判断したくなる
判断しないのがおかしい 
悪いことのように思えてくる
そして判断の罠にはまっていく

自分の言葉は自分のため

2018-11-30 09:52:54 | その他
自分の発する言葉は自分が一番多く聞いている

人に向かって発する言葉も自分のための言葉である
実は人のためだけに発する言葉はない
人のためにと思っていても
それは必ず自分のための言葉である

自分が気づくための言葉である
自分が理解するための言葉である
自分に定着させるための言葉である

誰かに言おうとする言葉は言う必要がないかもしれない
誰かに言いたくなるときは自分に言いたい言葉である

自分自身を信じていればどんな出来事も大丈夫

2018-11-21 09:18:17 | その他
出来事は原因があって結果である出来事が起きる
原因とは自分の言動であり自分の思考である

出来事に対して自分には関係ないのに
どうしてこんな出来事が起こるのと思うと
解決策は見つからず同じような出来事に
何度も関わり合うことになる

出来事は自分が引き寄せている
そう考えて自分がどんな考え方を持っているのか
出来事の何に反応して不快になっているのか
自分に問いかけてみよう

自分の言動 思考に責任を持てれば
どんな出来事も責任があると
受け止め対処しようと考えれば
どんな出来事も楽しいものであり 
楽しいものへと繋がる出来事になる

周りに集まる人も自分の言動 
思考の結果で集まってきた人
なのでその人たちがどんな言動しても
それは自分の言動 思考からの結果

自分の言動 思考を信じることができるなら
自分の周りに集まる人の言動も信じるに値する

自分の言動 自分の周りに集まる人の言動
それによって起きる出来事は自分の責任であり
自分にとって大丈夫

存在感  

2018-11-19 15:42:10 | その他
自分の存在を自分で肯定できてる人が
どれだけいるだろうか
自分で肯定できていないから誰かの評価を求める
いいねがどれだけつくかで自分の存在感を感じようとする

常に出来事は自分の存在感を得るために起きる
他人の評価で存在感を得ようとしなくても存在してもいい
存在するのは当たり前と自分が感じるため
理解するために出来事が起きる
いや 起こしているのかもしれない

自分が整えば相手も整う 

2018-11-18 08:01:04 | その他
出来事は自分が引き起こしている
引き起こされた出来事に反応する感情

その条件反射で反応する感情を正当化し
苦しいと思っても放置し
苦しいことに慣れるのを待ち
慣れて同じ出来事を引き寄せ続けるのか
自分が引き起こしている原因を探し
自分を心地好い状態へ整えていくのか
自分が整ってしまえば関わり合った人たちも整っていく

だが 相手を変えようとか
動かそうとすればどこかで狂いだす

痛みを癒せば 

2018-11-16 11:26:29 | その他
人の性格の中心は子供の頃の家族関係で作られる
子供の頃にどう過ごしたかで性格の大部分が作られる

関わりあう人間関係は偶然のように思うかもしれないが
自分の性格に合わせた人が集まっている
それは自分にとって都合が良い悪いに関わらず
自分のための人達が集まってくる

自分が辛くなるのは自分が痛みを抱えているから
相手がトラブルを与えてくるということは
相手もまた痛みを抱えているということである

自分の痛みを癒せば
他人の痛みも癒すことができる

他人の痛みを理解すれば
癒されトラブルは消える

変わるということ

2018-10-31 11:12:42 | その他
変わるということ
この世は無常

自分が変わることには意味がある
自分以外のものを変えることには意味はない
自分以外のものを変えることに伴って自分が変わることに意味がある

自分が変わる為に言動するだけ
誰かを良くしようとかこの国を良くしようとかこの世を良くしようとか
そういうもののために変わろう 変えようとすれば
いずれ苦しくなっていく

自分以外のものが変わろうと変わるまいと
自分が変わるか変わらないか
それだけが自分の選択である

蒔いた種

2018-09-07 16:40:26 | その他
人は自分の蒔いた種は自分で刈りとらなければいけない
苦い実を刈り取るとき
刈り取る部分だけみるとかわいそうと思ってしまうが
種を蒔いたところからみれば仕方のないことだとわかる

刈り取って新たな種を蒔くことになる
どんな種を蒔くかで成る実が変わる

刈り時に直面して自分がどう対処するか
これからの実が変わる

見栄を張る

2018-09-02 06:41:13 | その他
見栄を張る為に使うお金はなくなっていく
見栄を張るというのはうわべだけを装うといこと

見栄を張ることも自分に自信をつけるためのものなら
そのお金はいづれ戻ってくる
自分がこうなりたいと思って見栄を張り
偽りでなく本物に変えようと言動すれば
見栄は見栄でなくなる

中庸とは

2018-07-01 09:44:48 | その他
中庸とは
偏りがなく調和がとれていること

それは中間をとることのように感じてしまうが 
中庸は中間ではない
中間では調和のとれている状態には
なるかもしれないしならないかもしれない

では中庸になるには
いろんな選択肢を持ちその時々で調和のとれた状態になるように
選択できる状態が中庸なのである

中庸であればその時々で自分の対応を変えることができる
自分が調和をとることができれば
常に自分がいる場所は調和のとれている場所をつくることができる

言葉で伝えること

2018-06-29 09:57:29 | その他
言葉にして伝えることは一見簡単そうに思われる
言葉で伝えることは伝えたい内容が
伝わることもあれば伝わらないこともある
言葉にして相手に伝えるとき
相手を変えようとか相手を動かそうとする意図があるときは注意が必要だ❗

自分が理解してもらえていないと思えたとき
わかってもらおうと言葉にしたくなる
だが 言葉にしても相手の中に理解する経験や体験がなかったり
受け入れようとする余裕がなかったりすれば
言葉にしても理解してもらえない

相手は理解するかもしれないし理解しないかもしれない
そういう心構えで伝えなければ不快さが生まれる

理解されたいと言葉にしたいと思ったとき言葉にすることが必要
理解されなかったら理解されないことに出合う経験が必要だっただけ