果未 の館

観音菩薩日記

良い悪いはないと知れば

2019-06-28 07:48:21 | 思考
物事に良い悪いはない
自分にとって都合が悪ければ悪い
自分にとって都合がよければ良い
といだけ
どう捉えたかで良い悪いが生まれる

良い悪いで判断すると良いと判断されたことに従おうとする
悪いとされた方が良いとされた方に従うべきとなってしまう

良い悪いと判断している以外に答えがあったとしても
その2者のどちらかのやり方でしかないと思い込んでしまう
良い悪いという判断を持っていると
それ以外はないかと探すことをしない
それだけでなく争いまで起きる

良い悪いというもの自体ない
ただ 二つのものが“在る”といいうだけ
そして“在る”というのも現時点で
みえているものが二つというだけ
それ以上のものがあるかもしれないという事を
知っているとそれを探そうとする
お互いがそれを知っていれば
争いに繋がらず協力に繋がっていくのかもしれない


相手を知ろうとすると 

2019-06-02 14:15:38 | 生き方
生きている限り 誰かと関わり合っている
その関わり合う誰かを知ろうとするかしないかで
自分の生き方は変わっていく

自分を批判したり否定したりする相手
また 自分にとって都合の悪い相手のことを
知ろうとすることは避けがちである
それは 自分と違うという事で
自分を否定されたと感じる
自分の存在を否定しかねないからだ
自分の存在を自分で認めることができていれば 
自分は自分 相手は相手として
違ってもいいんだという考えを持っていれば
相手を知ることを恐れはしない

相手を知って理解することで違う世界が広がっていく
相手の経験した記憶を共有するという事で
自分の世界も広がっていく

自分の世界から出られない人もいる
そういう人は相手を否定する
だが そういう人に対して
自分の世界から出られないでいると認識して声をかけ 
無理に引っ張り出すことをせずに言葉がけをすれば
相手は自分の世界から自ら出てくるかもしれない

相手を知ろうする 
理解しようとすれば
自分の世界が広がる
相手の世界も広がるかもしれない

引っ掛かり 

2019-05-30 19:26:30 | 思考
怒ること 批判すること 不満となること
それは何らかの引っ掛かりがあるからだ
引っ掛かることは受け入れられないものがある
受け入れないことをどう考えれば受け入れられるようになるか

多くの人は自分の引っ掛かりは引っ掛かりだと気づかない
自分の引っ掛かりを他人のせいにする
他人のせいにしても自分の引っ掛かりなので解消されるはずもない
自分が引っ掛かりを持つことで
自分の引っ掛かりと同じ引っ掛かりを持つ人が集まってくる
自分の引っ掛かりを人せいにすることなく解消すれば
引っ掛かりはなくなる
その引っ掛かりを持った人も集まってこなくなる


思考のサイクル  

2019-05-28 11:10:42 | 思考
思考のサイクルは反射的に回る
それを基に言動する

どこかでその思考のサイクルを変えていこうと考え 
行動しないと同じ出来事が繰り返される。
思考のサイクルを変えようとするとき
記憶の一部だけを見て変えようとする
記憶の一部をで判断したものは自分を見失うことになる

本来の自分を知っていないと
記憶に振り回される
本来の自分とは何なのか
自分がどうありたいか

本来の自分であれば
評価をしない 
比較をしない
判断をしない
そういう思考のサイクルを回せると
きっと素敵な出来事に関わり合える

いい気分でいること

2019-05-13 11:54:51 | 思考
不快さを感じた時
何が不快さを感じさせるかを
不快を起こさせている思考を探す

思考の変換ができないときは
こじつけでもいいから自分がいい気分になる考え方を見つける

愚痴の話というのを聞きたくないという事は
聞くと不快になるということで
不快になるという事は自分の中で引っ掛かりがあるということ


不快さが出たらいい気分になる思考に切り替える
とは言っても 今まで不快さが発生すると
駒の動きばかりを見てしまっていた
『あの人はどうしてあんなことしたの
自分はどうしてこうなるの』と
表面的な動きばかりに気がとられている
表面的な動きに気がいっている間
嫌な気持ちでいる
嫌な気持ちにさせた責任が誰にあるかを探している
過去の記憶を辿って似たケースで自分を納得させようとしたり
時間が経つことで不快さを和らげようとする
人のせいにすれば相手を憎む気持ち恨む気持ちで
相手が変わらない限り 自分の気持ちは結局不快なまま

自分が関わる出来事で発生した自分の気持ちは自分の責任
気持ちを発生させているのは相手ではなく自分の考え方

いい気分にできるのは相手ではない
自分の思考がいい気分にも悪い気分にもさせている
自分の思考を自分が注意すれば常にいい気分でいることはできる

もっと 言えば自分の考えている事しか
関わり合う出来事にならない
なので自分の思う事 考えることを自分が注意すれば
常に自分が楽しむことと関わり合う事

奪う人への対応  

2019-04-20 18:31:08 | 生き方
奪う人が現れるのは自分が奪われたくないという思いがある
自分が満たされてない状態でもある
だから無理に自分が与えようとしても不快さが募っていく
自分が満たされていないので与える余裕がない

奪う人が現れた時にどうすればいいか
自分もどこかで奪っているのかもしれない
そう思うことで与える気持ちになれるかもしれない

奪う人は何らかの満たされないものがあるから奪おうとする
何が満たされていないのか
どんな欠乏感を抱えているかを知ろうとすることが
自分の欠乏感を埋めるヒントになるかもしれない

言葉の発し方 

2019-04-18 13:18:18 | その他
信頼していれば相手を熟知していれば
言葉はいらないのかもしれない
以心伝心できるかもしれない

言葉でわからせようとしても
理解できないことが多くある

相手がわかってくれないと思い込みが
相手をわからない状態にしているのかもしれない

全ては繋がっている
自分が自分の全てを信じ行動すれば
全てはうまくいくのかもしれない

言葉を発するにしても
行動するにしても
どこに自分の視点を置くか
表面的なものに眼を奪われれば
例え一時的にうまくいったとしても
どこかでまた都合の良くない状況に置かれる
 
目に映るものが必ずしも真実ではない
同じものを見ているつもりで違うものを感じている

真の部分で全てを捉える感覚がつけば
自分は常に心地よい状態でいることができる
今まで表面的なものに視点をおく習慣となっている
真の視点で観る習慣をつけよう

思考を止めて思考する  

2019-04-08 14:32:31 | 思考
思考するということは記憶をもとに思考する
その記憶はまず自分が体験した記憶 聞いた記憶 見た記憶
この記憶はそれぞれ視覚が優位しているか
聴覚が優位しているかで順位はかわる

思考は記憶からなっている
記憶が働いていると気付いて思考する
記憶を利用して思考する

常に記憶で動いている
知らず知らずに記憶で動いている

思考しようと思ったら記憶であると認識しよう
認識したうえで思考しよう

言葉は思考から発せられる
不快に感じることは思考であり記憶
誰が発しても記憶に支配されているだけだと気付けば
快へと転じていく思考を探す

心の世界に眼を向ける 

2019-02-20 15:33:26 | 生き方
目でみえるもの 
耳で聞こえるもの 
触って感じるもの
生きているとそれに集中する習慣がついてくる

大人になると 
目でみえるもの 
耳で聞こえるもの 
触って感じるもの
それが真実だと決める
目でみえるもの
耳で聞こえるもの 
触って感じるものが一部であること
全てを見ているわけではないし 
全てを聞いているわけではない 
全てを感じているわけではない
その事に気づかず一部が全てだと勘違いする
それは自分だけではない

心でものをみるようにすると
少しの動き 
言葉の意味の多様性 
感覚の違いを丁寧に扱っていくだろう



安心と安定を求めて  

2019-02-08 20:22:08 | その他
安心と安定を求め
それが変わらない状態を求める

現状苦しいと思っても繰り返されるものに
慣れているというだけでそれを続ける
慣れているということが心地よい状態ではない
苦しい現状から抜け出すということは
自分が変わるということ
変化がどんな結果を生むかわからない
わからないことは恐れとなる
恐れを避けてが慣れた苦しい現状を維持したくなる
また 結果が良くなるとわかっていても
習慣化され反射的に出てしまう言動を止めようとすること自体が
めんどくさいと感じて諦めてしまう

褒めることから認めることへ 

2019-02-07 16:13:12 | その他
自分が自分を認められるようになるために
他者から認めてもらうことをする
だが他者に認めてもらうことが全てになると
いつまでも自分が自分を認めることができない
どこかで他者に求めることを止め
自分自身が自分を認めることをする

認めるための手段として褒めることがある

褒めることは大切であるが
褒められたことで喜びを感じるのではなく
自分の行為自体に自分が喜びを感じること
例えば 料理が美味しかったと褒められた
褒められることは嬉しいことであるが
褒められることにだけ喜びを感じるのではなく
この料理ができたことが嬉しい
この料理が作れるようになったという達成感の喜びを感じること
それが自信となり自分を認めることとなる
褒める時は料理が美味しいと喜ぶのに加えて
どう料理いつもと同じ?
前と比べてできるようになって嬉しい?
料理をした自分自身に満足感を問いかける
他者の評価で喜びを感じることだけにせず
自分の行動やその結果への満足感を得ること
行動そのものの結果に喜びを感じることへ主体をおく

腑に落ちるには 

2019-02-06 14:21:58 | その他
腑に落ちると何かレベルアップした感覚がある
この腑に落ちるということとはどうなることかを考えると
腑に落ちないというのは理解していても納得できないこと
理解していても納得できない状態とはどんな状態なのか

自転車に乗れるようになることを例えとしたとき
ペダルを漕いでバランスをとる
理屈として頭で理解しても実際乘れるようになるには
乗れた感覚を覚えるしかない
何度も練習するしかない

新しい方法をみつけても
それを自分のものにするには
練習期間が必要になるということ
練習をすることなく新しい方法は使えない

練習するのが面倒と思って古い考え方にしがみついて
楽しくない時を過ごすか
練習して新しい考え方にシフトして
楽しい時を過ごすか

練習すれば自転車をスイスイ乗りこなすことができる
同様に練習して新しい考え方を取り入れればワクワクした毎日になる。

判断が苦しめる 

2018-12-29 14:03:01 | その他
判断すること
それは過去の体験 記憶の照らし合わせ

自分が判断することが自分を苦しめる
すべてのものを判断せずに
あるがままを受け入れることができれば
苦しむことはない
とはいっても 
子供の頃に親の判断を押し付けられ
それが正しいとい思い込む
そして今も周りが判断をすることに揺さぶられる
自分が判断せずにいたとしても判断することをみる
判断に囲まれれば自分も判断したくなる
判断しないのがおかしい 
悪いことのように思えてくる
そして判断の罠にはまっていく

牢獄 

2018-12-10 14:50:58 | 思考
私たちは牢獄の中にいる
意識という牢獄の中にいる

自分では牢獄にいるつもりはなくても
上手くいかないこと
苦しくなること
その状況をつくっているのは自分の意識
意識という牢獄の中にいる

どうしたらこの状況から出られるか
牢獄から出られるか
牢獄が意識と気づき
牢獄は自分が作っているものだと気づけば
牢獄から出られる
牢獄から出るのではなく
牢獄が消えるのである

自分の意識とは
自分の判断 過去の経験 誰かの刷り込みである
そういうファクター(意識)を通さずに
ただあると認識しあるがままに受けとめ
比較をせずに 善い悪いと判断せずに言動すれば
牢獄ではない世界が広がる

自分の言葉は自分のため

2018-11-30 09:52:54 | その他
自分の発する言葉は自分が一番多く聞いている

人に向かって発する言葉も自分のための言葉である
実は人のためだけに発する言葉はない
人のためにと思っていても
それは必ず自分のための言葉である

自分が気づくための言葉である
自分が理解するための言葉である
自分に定着させるための言葉である

誰かに言おうとする言葉は言う必要がないかもしれない
誰かに言いたくなるときは自分に言いたい言葉である