果未 の館

観音菩薩日記

幸せとは

2016-10-31 08:19:35 | 幸せ
幸せと感じるのは嬉しいとき 楽しいとき
では嬉し 楽しいと感じるのは
誰かと共感しているとき
自分が認められているとき
自分の存在に意味があると感じるとき
自分の存在に価値があると感じるとき

自分が関わっている出来事に自分が意味がある価値があると感じることで
生きる喜び楽しさが生まれる
出来事の意味がわかると
不快な出来事はありがたい出来事
幸せな出来事へと変わっていく
不快な出来事に自分なりに意味をつけることで
幸せな気持ちになれるなら意味を探せばいい
こじつけな意味付けでも意味をつけた人が
納得して幸せな気持ちになれるならこじつけでもいい

人は自分の存在を認めるために行動をおこす
自分自身に価値があると理解するために行動する
自分自身が自分の存在を認めない人ほど
他人に自分の存在を認めさせようとする
他人に自分の存在を認めさせようとする行動は
わがままであったり
支配であったりする
自傷行為であったりする
そして他人に否定される

相手によっての自分の存在の認めることは
常に相手によって左右される

相手に自分の存在を認めるのを止めて
自分が自分の存在を認めるために行動すれば物事を捉えれば
常に自分に価値があり意味のある存在となる
常に幸せでいることができる

手放すための現実

2016-10-29 15:29:35 | その他
善い悪いを判断する自分がいる
それは記憶の中で自分が構築した思考から判断している
その善い悪いを判断することを手放すために現実が創られる
どんなことも善い悪いはない
相手がどんな言動をしたとしても
それは相手が記憶をもとに演じているだけ
自分もまた記憶をもとに判断しているだけ
その現実は今まで握り締めていた判断を手放すために創られているだけ

お釈迦様のようになれれば

2016-10-27 08:11:05 | その他
この世の真理を熟知し
真理に従い行動できるようになれれば
怒りや悲しみ淋しさ辛さが湧き起こることはない
この世の真理を熟知し
真理に従い行動できるようになれれば
全てのものを認めることができる
全てのものに感謝するようになる
全てのものが尊いものに思えるようになる
この世の真理を熟知し
真理に従い行動できるようになれれば
この世に存在することはないのだろう

ありがとうは魔法の言葉

2016-10-26 09:59:45 | 感謝
ありがとうは魔法の言葉
ありがとうは嬉しいから言う言葉
ありがとうを言われた人は嬉しくなる
ありがとうは言った人も聞いた人も嬉しくなる
ありがとうはありがとうのやりとりを見てる人も嬉しくなる
ありがとうは気持ちを浄化してくれる
ありがとうは場も浄化してくれる
ありがとうはそこに存在する全てのものを浄化してくれる
ありがとうは素敵な場面に存在する
ありがとうは素敵な出来事に存在する
ありがとうでいっぱいのところに幸せが在る
ならば自分がありがとうを言おう
自分がありがとうでいっぱいにしよう
ありがとうは魔法の言葉

記憶の浄化

2016-10-25 13:05:52 | 記憶
どんな者、物も記憶を浄化するために存在している
相手がどんな言動をしてもそれは記憶の再生
自分がそのことに関わるのも記憶の再生でしかない
再生してくれるのは自分が浄化する機会のため
感謝して浄化してもらうだけ

誰かの悩み

2016-10-22 22:09:04 | その他
誰かの悩みを聴いたとき
誰かの悩みに関わり合ったことは
自分の中の何かを解決するために関わりあっている
悩みがその人の悩みが何であるかに目を向けるより
その悩みを聴いことで自分がどんな判断しているか
自分にどんな感情が湧き上がったか
自分の内側へと目を向けよう

今の自分の思考

2016-10-19 20:30:05 | 思考
出来事が起きるとそれを判断する自分がいる
話しを聞くときそれを判断する自分がいる
出来事、話しに善悪はない、真偽もない美醜もない
ただ自分が今までの経験や環境、時代などの記憶によって判断しているだけ
判断をすることが自分を苦しめる
時に喜びが湧き上がるかもしれない
判断を繰り返すうちに何がそう判断させているかわからないが
感情だけが湧き上がってくる
その感情が快い感情だけならいいのだが
多くは怒りのように不快な感情が湧き上がる

不快のもとが自分の記憶が判断させているだけと
判断する自分が顔を出すたびに
判断しない自分を新たに創造していく

繰り返しを止めよう

2016-10-17 08:21:17 | その他
不快な思いが湧き上がってきたら拒否せずに受け止めよう
不快な思いはどこかで経験した出来事から創られている
その出来事が何か探せばみつかるかもしれない
でもその出来事自体その前の出来事から創られている
出来事によって次の出来事が創られている
途中の出来事を見つけたとしても
出来事の一部であって全体ではない
全体をみることができないなら
ただ以前に経験しただけとその出来事の善い悪いを判断しない
経験したことを自分が善い悪いを判断したから創られた出来事
感情が湧き上がったら善い悪いの判断をしている自分がいる
そう俯瞰的に自分を置いてみよう
善い悪いを判断しない自分になれれば記憶の繰り返しは止まるはず

変わるには

2016-10-14 07:49:37 | 生き方
思考することは記憶の再生
今晩の献立は記憶の再生でいい

常の変わらなくていいことは思考すればいい
自分が変わりたいことは思考しない
自分が変わりたいと思えば出来る限り
無の状態、ゼロの状態、中庸な状態にすること

この状態にするには
今のこの状態を受け入れること
今のこの状態に感謝すること
苦しさも楽しさもまずは手放すこと

変わることは出来る
どう変われるかはわからない
わかる必要はない
変わることが必要で変わるだけ

どうしても戻ってしまう

2016-10-13 11:31:24 | 出来事
記憶に飲まれないように
駒にならないようにと
気をつけていても
気付くと駒になって記憶の沼に溺れかけている

未来に備えようとすれば記憶の沼へ沈んでいく
自分の気持ちを今に持ち続ければ記憶の沼に沈んでいくことはない

何かに没頭していれば未来を考えることはないが
これまた没頭していることの中で感情が発生し記憶の沼へと引きずり込まれていく

余裕がある態勢で出来事に関われれば
記憶の沼に入ることはない

この余裕がある時間に
記憶から抜ける習慣をつけることができれば
今と違う状態になるだろう

魂幹を鍛える

2016-10-12 07:53:03 | その他
体幹を鍛えると体の軸がぶれなくなる
体幹を鍛えるためにトレーニングをする

魂幹を鍛えると魂の軸がぶれなくなる
魂の軸がぶれないというのは
常に自分の心が無の状態、ゼロの状態、中庸な状態であるということ
わかり易く言うなら感情によって自分を見失わない状態



全てのものに感謝

2016-10-07 08:10:48 | 感謝
男、女
子供、大人
健常者、障害者
見た目では違う

魂からみれば誰も変わらない
誰もそこにいることが必要であって存在する
意味があって存在する
それがわかるとどんなものにも感謝ができる
感謝したくなる
どんなものにもいてくれてありがとうと心の中でいいからつぶやく
家族、友達、周りに存在する人達、自分が目にしたり聞いたりする人達
自分に必要な物達、自分の居る場所に置かれた物達、自分が関わる物達
全てに感謝を向けたら今とは違う素敵な世界が広がっていく

出来事との関わり方

2016-10-06 10:21:54 | その他
どんな出来事も良い悪いはない
ただその出来事に関わった人が
それぞれが判断してそれぞれが良い悪いを决めている

どうやって良い悪いを判断しているか
それは今までの経験や他人からの刷り込みなど
自分が記憶しているものを基準に良い悪いを判断している

出来事には良い悪いはないと
自分の中で良い悪いの判断を止めることで
その出来事に対して快、不快の感情は生まれることはない

出来事は判断しない自分になるために起こる
そう考え判断する自分をみつけたとき
自分の記憶の何が今自分に反応しているか
と言う問いかけを自分の中にしてみることで
常に中庸な自分を保つ

繰り返し映し出される記憶

2016-10-05 08:16:28 | 思考
記憶、思考による自分の思い込みが現実を創り出す

記憶の繰り返しが思考となる
思考を素に感情が湧き上がってくる
記憶の繰り返しを止めれば思考は創られない
思考が創られなければ感情が湧き上がってくることもない

記憶したくないと思っても記憶してしまう出来事
記憶したくないと思うのはその出来事に不快さを感じるから
快い出来事であってもそれを記憶することで
良い悪いの基準となりその記憶を残すことで
その快い出来事よりも良ければ快
その快い出来事よりもかけ離れて悪ければ不快
と判断する感情が生まれる

出来事に対していつでもどんなことでも
良い悪いを判断することなく
その出来事に関わったことを受け止める
感謝する受け止め方ができれば
どんな出来事も体験も不快になることはなくなる

溺れそう

2016-10-03 11:01:52 | 出来事

次々と浮かび上がる思い

繰り返されている記憶

もうたくさん、と思っても次々とくり返されていく

うんざりすぐらい次々とくり返される

どれだけくり返されれば開放されるのだろうか

記憶に溺れそうになる