亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

写謡 羽衣

2020-08-17 | 能楽
謡で最初に習うのは「鶴亀」か「羽衣」だそうだ。私は途中から習ったのでなかなか教えていただけませんでした。でも仕舞の所でいい場所があるので仕舞の地だけはよく演習させられました。

天女は羽衣を漁師に取られて天に帰れなくなってしまいました。「私はここで死ぬのでしょうか」。嘆き悲しむ天女を哀れに思って、漁師は天人の舞を見せてくれるのなら、返してもいいと言いました。喜んだ天女は羽衣がないと舞うことは出来ないといいました。
漁師は羽衣を返したら舞を舞わずにそのまま天に帰ってしまうといいました。
天女は天人には嘘がないと諭しました。恥ずかしくなった漁師は天女に羽衣を返しました。天女は喜んで羽衣をまとい東遊びの舞を舞って天上界にと去っていきました。
謡本の最後ぬ部分です。

能楽堂で謡うため嫌ほど練習しました。立派な会場なので多くの知らない人が来ています。いい加減に謡うことは出来ません。
日本とアメリカは数年後、月の裏側に基地を造る計画をしているそうだが、果たして月宮殿なる物があるのだろうか。

サシ「月にある月宮殿は、美しい斧でいつまでも破損しないように作られている。宮殿の中には白衣の天人15人、黒衣の天人15人が、1月の間、毎夜役を決めて奉仕している。月の満ちたり、欠けたりするのを、この白衣と黒衣の天人が入れかわって奉仕することと考えたのである。自分もその天人の一人である。仮に今、月から下りて、駿河舞を世に伝えるのである。
クセ「春霞がたなびいて、月の中の桂の花が咲き、天人の花鬘(髪飾り)の花が美しいのも春の知らせであろう。ここは天上界ではないが、かぐわしい風が吹いている。その風よ、天へ帰る道を吹き閉じてくれ。乙女の姿を暫く地上にとめて、三保が崎の景色、清見潟の月、富士の雪、いずれも春の曙は類いのない絶景である。その上天上界と地上界は隔てがなく、伊勢の内宮外宮の神の末孫である日本は、君の御代は天人が稀におりて来て羽衣で巌を撫でても盡(つき)ないように、萬代までも変わらぬと聞いている。妙なる東歌(東国の風俗歌)の声に合わせて、笙・笛・琴・箜篌(楽器の名)の音楽がみちみち、入日の紅は須弥山(霊山)をここにうつしたようである。波は縁に映じ、天人の天下る時のように花が降り、舞を舞う袖が綺麗である。

これは巻頭にある本文の説明書きだが、書いてあるセリフが違うので本文はくずし書きしてあるので元の字が分からないとこの説明文から元の漢字を探すのだがなかなか分かりません。
月宮殿とはいいところですね。
三保の松原を地図で探しました。

静岡市の近くにあるのですね。愛鷹山(あしたかやま)もありました。実在しているようです。

旧盆も過ぎました。墓の後片付けに行きました。知らない人のキリコが一杯ありました。家内は「誰か墓を間違えているのかも」と言っていた。心当たりは全くありません。いったい誰が・・・。


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