亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

何が綺麗なのかよく分からないけど

2018-09-28 | 能楽

紅葉の季節です。

17日の敬老の日の記念行事で、ある老人福祉施設の私達の拙い謡を披露した。

先生のすぐ横で謡っていたが、あまりにも違いがあるのに驚いた。長い間、謡を習っているがこれほどの違いが有ったのかと反省した。

上手く声が出ているかどうか確かめるため録音をしておいたが、今日やっと再生して聞いた。自分の声の出し方が全然なっていなかった。

 さて、謡曲を習って長いことになるが、どんなに下手くそに謡っていても誰も批判しない。なので自分の謡い方がそれでいいのかどうかはさっぱり分からないのである。昔、同じ仲間で隣に座っていた老人にやたら間違いを指摘されていたことがある。その人は以前土建会社の社長だったという。少々うるさかったが、私にはそれがかえって嬉しかった。でもそんな人は一人もいないのである。腹の中でどう思っているのだろうといつも気にしていた。批判してくれる人がいないと、自分の悪い所が分からない。「先生は何も言ってくれない」と言うと家内は、「そんなこという訳がない。お金を貰っているのだから」と言った。なるほどなと思った。人は褒めることは上手だけど批判はしない物なのだ。誰もが嫌われたくないから。」

それで何の為に習いに行っているのか分からない。何十年やっていても少しも上達しないのだ。

さて今回の仲間はとても上手いとは言い難い。だけど声だけは確り出ている。彼らは謡い方を知っている。だけど練習してこないだけなのだと思った。

自分は十分練習する時間がある。でもどうも上手くいかない。やはり才能がないのか・・・。

「何が綺麗なのかよく分からない」ある人が言った。人が綺麗だというから、ただ話を合わせているだけ。そんな人はいるのではないか・・・。

そして、行事に参加している人達、謡曲なんてさっぱり分からない。ただ付き合いだから・・・。義理で見に来ているだけ、なんちゃって。

最もわかっていては困るのである。分からないからこんな下手くそな人でも舞台に立てるのである。

コメント
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