亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

明治紀念之標

2015-02-28 | 兼六園

クマソタケルが率いる部族のもとに行くと、ヲウスはおばからもらった衣装を着て、女に扮した。そして、クマソタケルの館で開かれていた宴会の席に着いた。

クマソタケルは二人の兄弟だった。ヲウスは二人を油断させ、ころあいをみると、兄の胸を剣で刺した。逃げ出した弟を追い、、今度は尻から突き刺した。弟は、死ぬ間際に、「お前は勇敢だ。これからは、ヤマトタケルと名乗るがいい」言い残した。-「日本の神話と世界の神話が面白いほどわかる!」(青春出版社)よりー

明治紀念之標は西南の役で戦死した兵隊さんの霊を慰め、且つ功績を記念するために建てられた。

戦った地が神話に出てくるクマソタケルがいたとされる九州だったからそれを滅ぼしたという大和武尊をモデルに選んだのだろう。

江戸時代の様相を重んずる兼六園にはふさわしくないという意見もあったが、意外に人気があってその内兼六園のシンボルにまでなった。

              大和武像の旧台座

 

昭和63年銅像がグラグラしていることが分かり台座を取り外して調べた。銅像を支えている鉄柱が足から50㎝しかないことが分かった。

これでは銅像をとても支えきれないと鉄柱の周囲を丸い鉄の輪で覆って結合材で固めることで、力の分散をさせることにした。

大和武尊像は調査を含め4年の歳月と2億2千万円をかけて修理された。

上の写真は前に乗っていた台座で兼六園の中に展示されている。

真ん中の穴は銅像の支柱が入っていた穴か。

兼六園の眺望台から新幹線の軌道が見える。運が良ければこの上を走るかがやきが見られるかもしれない。

八重の寒紅梅が咲いていた。

今冬の雪は少ないが水分をたっぷり含んだ重たい雪で、ここ兼六園の真弓坂の高さ10mのアカマツの老木も耐え切れずに倒れた。

 

 

 

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