亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

勧進帳

2023-06-30 | 能楽
謡曲教室で「安宅」をやるというので、この前習った時貰った「勧進帳」のプリントを探したがどうにも見当たらない。
今回の教室で先生にお願いして見たところ、持ち合わせのプリント貰うことができた。
謡本「安宅」の一部で(勧進帳)といって特別に取り上げて謡う部分。

小書きで何か特別なセリフがあると思ったら、同じ謡本の一部を抜き出しただけのもので、謡い方を記した節を赤ペンで補填してあるだけだった。
先生は違うものをくれたのかと、良く調べて見たがこの前貰ったものと同じだった。無理してお願いするまでもなかった。
 耳が悪いと聞いてても内容が良くわからず、つい、特別のものと思ってしまう。
ただの思い込みだった。

 15世紀初期に作られた義経記の各地での事件を一つにまとめ、15 世紀後期に観世小次郎により能「安宅」が作られる。これが三世並木五瓶の脚色により天保11年(1840 年)江戸河原崎座で七世市川團十郎により初演された。以来、歌舞伎十八番の一つとして今日まで受け継がれ、安宅の関の名を全国にひろめた。
ー安宅住吉神社HPより
安宅関とはあくまでお話の中でのこと。本当にあったかどうかは分からない。
現地に行くと、安宅の海岸は浸食されていて今は海の中とか書いあった。
安宅関は貴重な観光資源で小松市はなかったとは言わない。
勧進帳の話は全国至る所にあり、たまたま小松の安宅関だけが有名になったとバスガイドが言っていた。
江戸時代に、ある歌舞伎役者が演じたところたまたまそれが人気が出て有名になったという。
義経、弁慶は戦にはめっぽう強いけど政治には疎い。義経が頼朝の許可も取らずに朝廷から勝手に官職をもらった。
ただですら坂東武者をまとめていくのが大変なのに例え弟とはいえ勝手なことをされたのではたまったものでない。それでむごい話だ弟を処分しざる負えなかったのだな。
弁慶とは比叡山の修行僧でろくに仏教の勉強をせずに暴れてばかりいたそうだ。義経はそんな暴れん坊を参謀にしたのが間違いだったんだ。

コメント (1)
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