亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

金沢の天神信仰

2012-08-28 | 学問

高砂大学大学院の夏休みが終わって後半の講義が始まった。

今回の講義は「金沢の天神信仰」

天神様と言えば学問の神様、菅原道真公とお決まりのようです。

昔、寺子屋には天神様が祀ってありました。

天神さんは学問の神様とは限らず農耕の神様としても知られている。

天神様と言えば京都の北野天満宮のような大きな神社を思い浮かべますが、どうもそうではないようだった。

金沢では男の子が生まれるとそのお祝いに嫁の実家から天神堂が贈られると言う習慣があるという。贈られた天神堂と言うお宮さんのミニチュアのようなものを暮れから正月に飾る習慣があっだ。同じ金沢に住んでいる私にはそんなお家柄ではないにで縁が無いのだが。大きいものは家の中から外に出されお宮さんのように庭の片隅に祀られていたそうだ。また、天神さんと言う掛け軸あったそうだ。

昔はお寺の中に天神堂が祀られお坊さんがお経をあげれお守りしていたそうだが、明治以後、仏より神の方が偉いのだ、仏さんと一緒に置くとは何事だと、例の神仏分離政策で切り離された。お寺が無くなって職を失ったお坊さんの中には坊主を辞めて神主になっている人もいたらしい。

金沢には九萬坊さんと言うお寺かお宮さんか分からないような所があり、確りと鳥居が立っていてお宮さんのように見えるが、おもりしているのが天台宗のお坊さんで年に何回か護摩を焚いて意味不明なお経さんを上げている。一応は神殿から仏さんを下におろしてはあるが、形だけのようだ。

藩祖前田利家が菅原道真の子孫だと言うことで天神信仰が始まった。

12代藩主斎広(なりなが)が竹沢御殿(現兼六園)の鎮守天満宮を建立(現在の金沢神社)。藩主の守護神と言うことで一般の参拝は許されなかったが、年に数回一般の人が参拝を許される日が設けられていた。

現在は天神信仰もすっかり衰えていて、天神堂にお目にかかることも少なくなった。旧家の天神さんは残されているもののその組み立て方を知っている人は殆どいない。

天神さんとはどんなものなのか知らないのでお目にかかる機会があったら写真など撮って(失礼かな)載せて見たい。

              

コメント
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