亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

草紙洗

2022-06-22 | 能楽
退屈しのぎに今まで取りだめしたDVDを整理していたら、こんなのが出て来た。
新春能「草紙洗」
清涼殿の御歌合せに大伴黒主と小野小町が対決することになった。
黒主が歌の上手い小町にとても叶うまいと一計を企てた。
「水辺の草。まかなくに。何を種とてえ浮草の。波のうねうね生ひ茂るらん」
と、読み上げられると、黒主がケチをつけた。
「これは古歌にてあるぞ。」と万葉集に書いてあるという。
小町が「私は、万葉集に載っている歌はすべて知っているが、そんな歌はどこにも書いてない。これは黒主が盗んだに違いない。」と反論。
そら、ここに書いてあるぞと見せられたが、「これは後で書き加えられたものだ。水で洗って見れば消えるはずだ。」
王の許可を得て、清水で洗った所見事に消えた。
嘘がバレてバツが悪くなった黒主は

心の広い小町が黒主を許してみんなの前で舞うことになった。

気の小さい私は、大声を出して謡う謡(うたい)を習えば少しは大きな声を出せるようになるだろうと公民館でやっている謡曲教室に通うことにした。
1番最初の習ったのがこの草紙洗いである。
何度も習ったせいで謡本はくたくたである。
金沢は、空から謡が降って来ると言われるくらい能楽の盛んな土地である。
月謝も他の都市より安い。
東京当たりで謡いを習うと万のお金がいって社長級の人でないと習えないという。
その恵まれた土地にいても、最近は習う人がいなく、謡曲教室に行っても老人ばかり。
病院で謡本を広げていたら、「これ、お経の本?」と看護師さんに言われた。
最近の若い人たちは謡というものを知らないのである。
コロナ禍も大分収まってきて、謡曲教室も始まっているという。
残念ながら、まだ参加することが出来ない。
1時間半、教室の椅子に座っていることが出来ないのである。


綺麗な花が咲いていた。アジサイだろうか。
アジサイは花に見えるところは花でなく萼だという。本当の花は中央の種のように見えるところだそう。





コメント (1)
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