それは浅野川大橋の付根にあった。
その碑には「乃木将軍と辻占売りの少年」と書いてある。
乃木将軍がまだ陸軍少将であった頃所要で金沢を訪れた際、たまたま街角で辻占(金沢で売られている砂糖菓子で中に小さな占い紙が入っていて何が書いてあるかを楽しむ)を売っている少年を見つけ事情を聞いた乃木少軍はえらく感銘して当時大金だった2円を少年に与え立派な人間になれよと励まされた。
少年は恩を忘れることなく努力をかさね金箔業の世界で大きな実績を上げた。
後に滋賀県の無形文化財になって、昭和49年彦根の私立病院で91歳の生涯を終える。
金箔と言えば金沢金箔は全国の98%を占めていると言われる。
でも今越清三郎は金沢で活躍したのではないようだ。
写真にもあるがここは全国でもその名を知られた主計町。゛かぞえまち"と読む人がいるようだが、正確には"かずえまち"と読む。
あかり坂
主計町の通路は何処も非常に狭い。この狭いところがいいという人もいる。
作家五木寛之氏はここ金沢でデビュー作「さらばモスクワ愚連隊」(昭和41年)を書いたことで、金沢は忘れられない第2の故郷だ。奥様はもと金沢市長岡良一の娘だという。