亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

足軽資料館に行く

2016-02-14 | 散歩道

歩こう会の帰り長町界隈をぶらり歩く。

高西家 こちらは飛脚の方

足軽資料館によると数人の観光客がガイドから説明を受けていた。

「金沢から江戸まで4日半で駆け抜けます。」

足軽だから馬は使わない。ただ駆けるだけ。

「こちらは、同じ足軽でも、弓やヤリを練習していた」

 別の所にあった足軽の屋敷をここに移転したらしい。

2軒あって一軒は飛脚の仕事をしていて常に足腰を鍛えていたという。

後の一軒は戦があった時の備えに弓ヤリの練習をしていたという。

ここには一軒だけ展示してあるのかと思っていたら二軒あったのだ。

その未だ見てない一軒(高西家)に入って見た。

誰も係りの人はおらず入場無料と書いてある。

入口には面白いことが書いてあった。

〝いい知らせは表から、悪い知らせは勝手口から・・・″

その時の知らせの内容によって出入り口が違うようだ。

加賀の飛脚は恵まれていてそれぞれお庭付きの一軒家があてがわれていたようだ。

足軽は真冬でも裸足でいなければならない。それはいざと言う時に身軽に動けるようにするためだとのこと。

足軽は武士の中でも一番身分が低く大変だったようだ。

刀も二本差しで無く一本差しだったとか。

加賀騒動で有名な大槻伝蔵は足軽出身だったそうだ。かれは重臣たちの同意を得ることなく物事を決めていたので、重臣たちに嫌われて五か山に流されて獄死したそうだ。考え方が急進過ぎたようだ。

トイレも一つしかないように見えたが、普段はお客様用に使うそうで、家族はどうしていたのだろうか。

足軽の家でも立派なお庭があり、もしかしたら家族はお庭で用を達していたのか。

武家屋敷名物菰掛けがずらりと並んでいる。昔よくここを通ったがそんなに菰掛けをしてあるように感じなかったが。

いつのまにか各資料館もずらりと並んでいてすっかり観光地化して観光客も大勢押し寄せている。

前には大野庄用水があり昔は田んぼに水が必要な時だけ水が流れていて必要のない時は水が無くごみが散乱していた。でも今は観光客用に冬でも水が湛湛と流れている。水がないと観光客がうるさいんだと市役所の人が言っていた。

我が家の我儘坊主はいまだに私になつかない。

犬は他の愛玩動物と違って噛み付いてくるので厄介だ。

コメント (3)
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