朝、家内が起きてくる。歩くのもやっとって感じ。見ているのも辛い。
「アンタ、何時から起きているの」。
その私が起きた時間も正確に覚えている。
ぐっすりと寝ているように見えていても、そうでないようだ。
そんな家内に頼らなければ生きていけない、わが身が悲しい。
朝早く散歩に出ていると、新聞配達をしている人によく出会う。
車の中からやわっと新聞をかかえて出てきたのは、足元もおぼつかない御老人。
一軒済ます毎に車を動かしている。
遠い所ならいざ知らず、歩いて配った方が早いような所でもいちいち車に戻って移動をしている。
健康のために新聞配達しているのだろうが・・・。
情けない、こんな車の厄介にならなければ生きていけない時代になったのだろうか。
その昔、自動車免許更新の講習会にいた時、担当の警察官が話していた。
「車は走る凶器である。そんな危ない物には乗せられない。それではこの文明社会では生きていけない。だから、特別に許可して免許証を与えている。今日はそのための講習会である。」
体が不自由になっても免許証さへあれば何とかこの社会で生きていかれる。
今、彼らから免許証を取り上げたらどうなるのか。
私は病人である。家内の厄介にならなければ生きていけない。
彼女が車に乗れなかったら、買い物にも行けず生活していけない。
脚が悪くても車に乗れるから、なんとか人様の厄介にならず生活していける。
最近、逆走してくる車が増えてきているという。
道幅が広くなると私も時たま勘違いして逆走しそうになることがある。
普段は二車線道路を走っていると、道幅が急に広くなるとつい勘違いして反対車線を走ってしまう。途中で気が付いてもどってくるが、それが気が付かないと、戻るに戻れなくなってしまう。
それが高速道路上だったとしたら、・・・。
真ん中に中央分離帯がある。
簡単には戻ることができない。
どうすることもできない。目をつぶって直進するしかないのである。
道幅があればいいってものではない。
対策は反対車線であることを知らせる方法を工夫しなければならない。