亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

お寺の歴史

2024-10-20 | 法話

法話会に行ったら誰もいない。

「今日はあんた1人かもしれない」。と坊守。

兄の霊前にお参りしていたら、一人来た。

住職も福住職もいない。

「どうしたのですか」と尋ねたら

「お葬式が有って、二人とも出かけている」とのこと。

最近はお葬式の規模が小さくなって、以前のように多くの僧侶が並んで葬儀が行われることも少なくなったとのこと。

「それで、今日の法話会はどうするのですか」

「講師の方にお願いしてあります」

講師の方が住職の代わりを務めて下さるとのこと。

時間が来たら、講師の方がいつも住職が揚げている「讃仏偈」を揚げる。

その間に1人現れて、心配していた、今日の法話会参加者は3人になった。

そうこうしている間に、住職が帰ってきた。

法話会の参加者も高齢化して出てこれない人が出て来てだんだん寂しくなってくる。

住職はこのお寺の歴史について語った。

この地に移ってきたのは84年前だった。

前住職が一人でもいいから参加してくれる人がいてくれたなら・・・と始めたのがこの法話会。

当時はまだ信者も沢山いた。

私の父も熱心な信者で毎回欠かさずに参加していた。

法話会は月3回9の付く日、9日、19日、29日に行うとのこと。人の嫌がる日をわざわざ選んで行われたのは何故か。

このお寺も自宅から近いので、父の供養になるかと、信仰心もないのに毎回通っている。

参加者の中には私の父を知っている人もいて

「大変熱心な人だった」と話してくれていた。

その人たちももういない。

参籠をしたこともあったという。

参籠とは一晩お寺の籠って経を誦お寺の行事だそうだ。

貸布団を借りて本堂に泊まり込み大変だったと坊守が話していた。

昔は熱心な信者が多かったのだね。

おそらく賑やかにわいわい騒いでいたのだろう、その光景が目に浮かぶようだ。

今は何処にもそんな面影がない。

お寺の歴史もいつまでもつか。

それでも納骨堂を建増しすると住職が言っている。

そんな余裕があるのだろうか。

 

コメント (1)
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