もう花の時季もすぎ花より団子でもないのですが、
先日実家の母と話をしていたところ、
ひょんなことからお団子の話になりました。
母の母親(私にとっては祖母)のお里は金沢の北郊柳橋というところにあり、
旧北陸街道が通っています。
今はその家では別のお商売を営んでいますが、
藩政時代から明治の終わりごろまで茶店を営んでいたとか。
で、お団子のことです。
その昔柳橋では「柳橋団子」というお団子が売られていて、
たいそう街道をいく人々に人気だったそうです。
柳橋団子は、さかのぼっていくと親鸞聖人に所縁がありました。
石川県神社庁ホームページ内の市杵嶋神社の由緒書きによると、
『親鸞上人が越後下向の時、京都から后の玉日姫が後を慕ってこられ、
当地の茶店でお休みになられ、その折、団子の秘伝を授けられたという。
その時川を渡るのに橋がなく、ただ一本の大柳があり、
姫は『柳に霊あれば川を渡してくれ』と祈ったところ、
柳は自然に倒伏して橋となった。それいらい柳橋の地名となり、
団子は柳橋団子として名物となった。』
祖母のお里が団子の秘伝を授けられた茶店かどうかはわかりませんが、
お花見のころ兼六園でもこの柳橋団子が売られていたと母は話してくれました。
今はない柳橋団子の面影は、
現在、兼六団子として売られているものに伝えられているようです。
先日実家の母と話をしていたところ、
ひょんなことからお団子の話になりました。
母の母親(私にとっては祖母)のお里は金沢の北郊柳橋というところにあり、
旧北陸街道が通っています。
今はその家では別のお商売を営んでいますが、
藩政時代から明治の終わりごろまで茶店を営んでいたとか。
で、お団子のことです。
その昔柳橋では「柳橋団子」というお団子が売られていて、
たいそう街道をいく人々に人気だったそうです。
柳橋団子は、さかのぼっていくと親鸞聖人に所縁がありました。
石川県神社庁ホームページ内の市杵嶋神社の由緒書きによると、
『親鸞上人が越後下向の時、京都から后の玉日姫が後を慕ってこられ、
当地の茶店でお休みになられ、その折、団子の秘伝を授けられたという。
その時川を渡るのに橋がなく、ただ一本の大柳があり、
姫は『柳に霊あれば川を渡してくれ』と祈ったところ、
柳は自然に倒伏して橋となった。それいらい柳橋の地名となり、
団子は柳橋団子として名物となった。』
祖母のお里が団子の秘伝を授けられた茶店かどうかはわかりませんが、
お花見のころ兼六園でもこの柳橋団子が売られていたと母は話してくれました。
今はない柳橋団子の面影は、
現在、兼六団子として売られているものに伝えられているようです。
コメントありがとうございます。
柳橋川のたもとにある祖母のお里は、山周りの武士の休憩所にもなっていたと利いたことがあります。
祖母のお里に当時こどもだった母が遊びに行くと、
柳橋川から舟で河北潟をぬけて内灘まで海水浴にもいったそうです。
ありがとうございます。
柳橋川を舟で下って内灘まで海水浴とは、びっくりしました。
金沢市史年表を見てみますと、金沢駅が開業した明治31年に金沢停車場内で名物柳橋団子の販売が許可されたそうです。
また、明治43年に兼六園の三芳庵の北隣にあった「柳橋茶屋」を立ち退かせることにしたそうで、この柳橋茶屋と現在の清水亭との関係はさていかに。