鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

白山麓僻村塾創立20周年記念シンポジウムへ。

2008-10-31 | 日々のこと。
白山市松任学習センターで行われた白山麓僻村塾創立20周年記念シンポジウム
「自然のそばで生きる」へ行ってきました。

午後7時、創立当初(当時僻村学校)の校長だった高橋治さんがまずご挨拶。
創立当初の思い出をユーモアとペーソスを交え、
この20年を感慨ふかく、かつ果敢に白山麓僻村塾のこれからの歩みを想うお話を
30分あまり話されました。

そののち、5人のパネラーによるシンポジウムが始まりました。
パネラーは、
池澤夏樹さん(小説家・フランス在住)、
塩野米松さん(作家)、
辻原 昇さん(小説家)、
山口一男さん(石川県立白山ろく歴史民俗資料館館長)、
湯川豊さん(評論家)
の5人。

今回このシンポジウムに足を運んだのは、
白山セミナーハウス望学苑の支配人も務める山口さんが出ますと、
スタッフのセトさんよりご案内をいただいたからでした。
同封の案内ちらしを見れば好きな小説家・池澤夏樹さんも
パネリストとして出るではありませんか♪

9時半まで休憩もなく行われたシンポジウムは、
壇上の5人が常日頃から顔を合わせる旧知のなかゆえ、
よくあるお互いの成果発表で終わることもなく濃密な時間。
司会の金沢大学准教授・結城さんの運びもよかった。

自然に囲まれて暮らしていても、
それは本当に自然とかかわって生きることではない、
そんなところからスタート。

・僻村塾とのそれぞれの馴れ初め、
・焼畑、養蚕、織物で栄えた江戸から明治の白峰の経済、
・白峰に見られる山村、漁村貧困説の崩壊、
・鍛冶屋、桶屋など町から失われてしまった一次産業の話、
・食に見られる宗教観や死生感、
・星野道夫さんの遺した言葉、
・シラヤマのシラの語源をめぐる話、
・山でマタギ語の話される訳、
・空気・水・土が普遍のものだったことが忘却されている話、
・退屈力を養おう!
・東京 1 : 秋田 174 ・・・・食料自給率の示すもの。
などなど、次々に。

池澤さんは創立当初に高橋さんに誘われて以来、
ずっと僻村塾にかかわり、今は理事長の任にも就いています。
それはよくある当て職ではなく、
本当に白山をあおぐ白峰の地に魅せられ、
書物などでは学び得ないものを直に吸収されたから就いた任。

そんな池澤さんですから、
このシンポジウムが単なる自然讃歌で終わるわけもなく、
シンポジウムの最後をこう締めくくりました。



経済的不安や自然環境の破壊、
それに対して自然は美しい、素晴らしいという構図もどこかそぐわない。
もっとちがった穏やかで楽な暮らし方が、
かつては営まれてあったはずである。

エネルギー革命から始まった派手な協奏曲は、
すぐにはシフトチェンジはできないでしょう。
結果、世界的にはもっと多くの餓死者も出してしまうこともあるでしょう。
だけどやがて生きること、死ぬことの安心感のある世界、
そこへ還ることができるであろう。

自然のなかの種のひとつ、ホモサピエンスに。
導きの先、少しずつ進んでいくうちに。



写真展「能登線憧景」へ。

2008-10-31 | 日々のこと。
昨夕、外で仕事があり、いつもより30分早くあがれたので、
湯浅君の写真展「能登線憧景」へ出かけました。

ちょうどご本人が在廊。
「おめでとうございま~す!」と言うと
大きな背にそぐわない照れくさそうな笑みを浮かべてニコニコ。
昨夜10時過ぎまでかかって展示をしていたそうですが、
まだ少し展示したりないといって、
マットに写真を挟んでいる最中でした。

最近の能登線の話や地域の方々の暮らしぶりなどをいろいろと聞くと、
写真集を編むことで多くの人と出会い、
またその分別れもあったと語ってくれ、ちょっと切なくもあり。
鼻の奥が熱くつんとなってしまい、困りました。


会場では、できたてほやほやの写真集も発売中(亀鳴屋発行)。
写真一枚一枚に湯浅君の丁寧に選びとった言の葉がそえられて、
その背景を知ることでまた一段とその写真を深く見ることができます。


写真集は限定800冊のみ。
シリアルナンバーがふられてあり、何番を頂戴しようかと迷っていると、
「C57の57はどうですか? 貴婦人と呼ばれてるSLの・・・」というので、
身に余るシリアル番号の写真集を求めさせていただきました。

夕方ということもあり会場には私ひとり。
見返しにサインを無理矢理ねだり~の、
DMに切符のパンチをいれてもらい~のと、
あれこれ我儘を聞いてもらいました(すまない)。


帰宅してから、じっくり見て、読ませてもらった写真集。
能登線は残念ながら、もう能登にはありません。
けれども、その姿はしっかりと皆の心の奥に、
そして写真集のなかに生きてある。
いつまでも金色に煌めく残照の波のような、柔らかさと温かさをもって。
そう感じいったのでありました。