昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   25.夏美さんの新恋人??

2012年12月12日 | 日記

夏美さんの新恋人??!

すぐにフライドポテトの皿を持った夏美さんの手がカーテンの陰から現れた。

「あ、夏美さん……」

「柿本君、紹介……」

僕が声を掛けると同時に彼女の顔が現れ、その横から見知らぬ顔が出てきた。

「先に紹介させて。これ、柳田君。ケンちゃんの代わりに来てくれることになったんよ」

目鼻立ちの爽やかな顔がほほ笑み、軽く会釈をして、カーテンの向こうに消える。

夏美さんは、フライドポテトの皿をウェイトレスに渡しながら、「お待たせ。左奥の人やったなあ、確か。ちゃんとジャガイモ切って揚げてるから遅うなりました、言うてね」

と言って、僕の前に両肘を突いた。

「彼、学生なんやけど、イタリア料理の店でずっと働いてはったらしいんよ。あんたは確か、中華料理やったわね」

目の奥に晴れやかさを感じる。新しい恋が始まったわけではなさそうだが。

「何か抜けたんは僕だけやのうて、夏美さんも、違いますか?」

僕は逆襲に打って出た。しかし、戸惑うどころか、夏美さんはあっさりと認めた。

「そう思う?そやろなあ。……そやもん。今はただただ軽うなって、正直ほっとしてるとこやもん」

「小杉さんの“逃亡中”いうのは…」

「あ、それ、ほんまよ~~。私から違うわよ、官憲からよ~~」

後半はまた声を潜めたが、深刻な色合いはない。少し混乱気味の頭を整理しようと、僕は矢継ぎ早に質問をした。時々大きくなる声を、夏美さんは必ず制した。

「小杉さんに、何があったんですか?」

「七条南で起きたパトカー襲撃事件、あんた知らへんの?東京では新聞出てへんかった?」

「東京では新聞見てませんもん、なんか忙しゅうて…」

「そやったんやろうなあ。そら、そうやわなあ。な!」

「小杉さんがやらはったんですか?」

「本人は違う言うんやけどな、えらい汚して帰って来たしなあ、事件の夜。靴片一方なかったし。私にはどうかわからへんなあ、本当のところは」

「ほんなら、なんで逃亡を……」

「上村君たちがやったんやと、私は思うてるんやけど。そう訊いたら、知らん言うし。じゃ、服が油で汚れてんのはなんで?って訊くと、転んだんや言うし。靴もその時脱げてわからんようなった言うしなあ」

「小杉さん関係ないんやったら、なんで逃亡しはったんですか?」

「リーダーやから違う?それに……」

そこで、夏美さんはしばし黙りこんだ。僕には、そこからの方に逃亡の真の理由があるように思えた。

「ちょうどよかった、思うたんよ、私。小杉君には悪いけど」

しばらくすると伏せていた目を上げ、夏美さんは語り始めた。僕は、もう質問はしないことにして、夏美さんの目を見つめていた。

「店が赤字でねえ、困ってたんよ、実は。なんとなく、わかったでしょ?」

確かに不思議だった。いつもほぼ同じ顔ぶれがカウンターに並び、ただジンライムをあおっているだけの店が黒字であるはずがない。少し路地を入るとはいえ、河原町では家賃も安くはないはずだ。譲り受けた“おばちゃんの店”を住居として残したままでの“ディキシー”の経営が、暗礁に乗り上げていたとしてもおかしくはない。僕は大きく首を縦に振った。

「小杉君には言いにくいし、仲間を出入り禁止にするわけにもいかへんしなあ。どないしよう思うてたら、突然“俺、ちょっと消えるわ。その方がええやろ、思うんや”言い出して、何言うても聞いてくれへんし。家にあるお金……20万くらいやったやろか、全部渡して送り出したんよ。その日のうちに。ほんでな…、あ!いらっしゃ~~い」

来客に、夏美さんは声と表情を一変させ、カウンターから出ていく。スーツ姿の男が手を上げている。後ろから若い女性が腕にぶら下がっている。見かけたこともない光景だ。

「柳田です。よろしくお願いします」

振り向くと、紹介されたばかりの顔が間近にあった。

「これ、僕からのサービスです」

ジンライムのグラスを差し出される。ケンちゃんよりもすべてが手慣れている。

「いつも来ていただいてるそうですね。これからもよろしく、お願いいたします」

自分用らしい小ぶりのグラスにジンライムが入っている。促されるように、受け取ったグラスを彼のグラスと合わせる。その一挙手一投足がすべて、堂に入っている。

「学生なんですか?……バイト?」

「そうなんですよ~。4回生なんですが、卒業無理そうですねえ」

「4回生ですか!それは、失礼しました」

下げた頭を上げながらよく見ると、カールした長い前髪から覗く目が切れ長で涼やかだ。腰を屈めているが、伸ばすと180㎝はあるだろう。

「柳田さんは、いつからなんですか?この店」

「3日前からです。まだ新人です」

顔を上げながら、柳田は僕を横目に見る。その眼差しには、そこはかとないしたたかさがある。

「夏美さん……え~と、ママとは、古いお知り合いなんですか?」

「古いってほどやないけど…。大阪時代やからねえ、ママの」

柳田の言葉遣いが変化する。同じ学生としての親近感以上に、僕を年下の与しやすい男と見てのことだろう。

「イタリアンの店、長かったんですか?」

「いや、2~3か月やろか。ここに来る直前までやってたんやけど。ママに“うちに来いひんか”って誘われたもんですから」

後半は声を潜めるようにしながら、柳田は苦笑した。明らかに自慢しているように見えた。

僕は、ほぼ確信した。夏美さんは、小杉さんから柳田に乗り換えたのだ。いやひょっとすると、柳田を誘ったのは予定の行動で、機が熟するまで待たせていたのかもしれない。

「なんやのん。もうすっかりお友達やないの。柿本君、柳田君ってこうなんよ。すぐ、誰とでも友達になってまうのよ~~」

サラリーマンと言葉を交わし終えた夏美さんが、僕の横にやってくる。ふっと触れた肩への手に、小さく身震いするほど夏美さんの変化を感じる。いや、変化ではないのかもしれない。抑え込まれていた夏美さんが、解放されただけなのかもしれない。僕は、疑念と膨らんでくる怒りにじっとしていることができないほどだ。

「まあまあ、ええやないの」

僕の気配を察した夏美さんの手が、僕を押える。僕はふと、店の看板を蹴破ったのは小杉さんではないかと思う。

「パトカー襲撃事件のこと、もっとちゃんと教えてくれませんか」

覚悟を決めてジンライムを飲み尽くし、煙草に火を付ける。こうなったら、じっくりと確かめるべきだろう。

灰皿を持ってきた柳田の目が夏美さんを捉える。夏美さんは小さく顎で合図をする。

「もう一杯、おごりますよ。どうですか?」

柳田が片手をカーテンにかけたまま振り向く。見事なコンビネーションだ。

2杯目のジンライムを受け取り、僕は横に立つ夏美さんに顔を向ける。夏美さんは覚悟を決めた顔付で隣のストゥールに腰掛け、「パトカー襲撃事件?」と聞き返してきた。

「はい」と応える僕を見返す目の力が強い。僕の中の疑念を見抜いているかのようだ。

「新聞に書いてあったこと以上は知らへんのよ」

「そうですか。起きてもおかしくない事件なんやけど、ターゲットがパトカーて…」

僕の声は、独り言のように小さくなっていく。

「私ももらおうかな?」

カーテンから顔を出した柳田に声を掛け、夏美さんは右片肘をカウンターに突く。その横顔は、かつての夏美さんのままだ。

「これで、いいですか?」

柳田がすぐに用意したショットグラスが、カウンターで音を立てる。グラスに一度落とした目を上げ、「じっくり飲もうか、今夜は」と夏美さんは微笑む。

言葉遣いが微妙に変わっていること以外は、すっかり僕の知っている夏美さんだ。

「明日から僕、バイトするんですよ。BigBoyで」

「まあ!お隣じゃない。何時から何時まで?」

「5時から12時までなんですけど…」

「じゃ、ちょっと寄って飲んで帰るようにすれば?特別料金にしてあげるから。ね!でも、安いんでしょ?あそこ」

「まあまあじゃないですか?時給180円ですから」

「安っ!ねえねえ、柳田君!BigBoy時給180円だって!」

カウンターの端、いつも小杉さんが陣取っていた席に女性客がいつの間にか座っている。彼女と話していた柳田が、こちらに首を捻る。

女性客と話していた時のままの表情で、「そら、安過ぎですわ。今時、200円切るとこなんかありませんよ」

「ほら!な。あんた長い間中華で働いてたんやろう?」

「住み込みですけどね」

「ま、そうやけど。でもなあ、ちょっと損やなあ、思わへん?」

話が横道に逸れていく。僕の知っている夏美さんの表情に出会って、僕の意気込みは削がれてしまったようだ。それにしても、大阪弁の香りが強くなった夏美さんの話し方には抵抗がある。

「それはいいんですけど、夏美さん…」

ちょうどショットグラスに唇を付けたところだった夏美さんは、僕を手で制し一気に飲み干す。手の甲で口を拭い、言葉を止めた僕に話をさせない勢いで話し始めた。

「なんか変やなあ、思うてるんやろ?小杉さん、ほんまにパトカー襲撃事件絡みでおらんようなったんやろか。単に別れただけなんちゃうやろか、私と。柳田君と何かあるんちゃうか。言葉遣いも変わった気いするし。とか、思ってるんやろ?」

図星だ。さすが、夏美さん!と思いつつ、僕は「その通りです」とはっきり言った。

「そら、そうやわ、そう思うわ、誰かて。なあ、柳田君、やっぱり思うたんやて、うちら怪しいて」

両肘をカウンターに載せ、例の女性客とすっかり打ち解けている柳田が、首だけこちらに向ける。

「しゃあないですよ、そんなもん。気にせんときましょう」

柳田の軽い言い方に、とんと腹を拳で突かれたような気になる。膨らんでいた僕の疑念が急激に萎んでいく。しかし、消え去ったわけではない。

次回は、12月14日(金)になります。

注:第一章はドキュメンタリーです。第二章は経験が元になっています。第三章は、経験を元にしていますが、ほぼ創作です。 人名は、第一章以外、すべて架空のものです。 “昭和少年漂流記”は、第四章か第五章で終わります。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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