昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   手術本番へ ①

2010年10月05日 | 日記
病室に戻ると、生活の匂いとざわめきが満ちている。家族の訪問を受けている人が一人。僕を迎え入れてくれた一人は退院準備をしているようだ。
会釈をして、親父のベッドへ。親父は、いつものようにベッドに端座する。首を垂れたまま動きを止める。椅子を引き寄せ、覗き込む。その横顔は暗く、険しい。
「明快だったね、説明。…安心だねえ」と、探りを入れるように話しかける。
「な!自信たっぷりじゃろ」
「うん。手術も難しいものじゃないみたいだしね」
軽く膝を叩いてみるが、「う~~~ん」と唸ったままだ。
明快な言葉や自信に溢れた表情は、安心と同じ量の不安と疑問を抱かせるものなのだろうか。執刀医の、達人の手際よさに似た話しぶりに、親父の心のグレーゾーンは、微妙に広がったり狭まったりしているのかもしれない。ことは何しろ、生命に関わることだ。
人が去り静けさが戻った病室で、僕たちはしばらく、ただ静寂に耐えていた。口にすべき言葉がみつからなかった。
「せやあなあですよ。県立医大をトップで出た立派な先生ですけえ」。退院していく人が僕に言った言葉が、僕の中で回転していた。いつも冠言葉として使われる同じ表現。まるで記号のようなその言葉に、僕の中にも疑問が湧いてくる。確かに、評価の片鱗は目の当たりにしたというのに……。

「飯は?ちゃんと食べとるか?」。親父が止まった時間を動かす。
「大丈夫。いつも、食べる店決めてるしね」と、もう一度膝を叩く。やっと親父の笑顔が僕を向く。
「明日は、本番じゃけえ。ちゃんと食べておかんとのお」
「僕より自分だよ、親父」。立ち上がり、親父の肩に手を置く。
「じゃ、ちょっと早めだけど、僕、行くね」
「そうしてくれえ。なにしろ……」と親父が言ったところで、「明日は、本番じゃけえ」と声を揃える。手を握り「じゃ、ね」と、病室を出る。
そして、親父の手の力ない感触を手に残したまま、僕は病院を去った。

7月24日。手術本番の日。
7時に目覚める。同じ焼き肉屋に行き、同じスナックでバーボンを飲み、ベッドに倒れこんだ昨晩。目覚まし時計のセットはしていなかったようだ。
さすがに緊張しているのか、目覚めはすっきりとしている。洗面所に行くと、下着が干してある。すべきことはしてから寝たようだ。“さあ、本番だぞ~~”と頭の中で繰り返しながら、シャワーを浴びる。僕の中のグレーゾーンは、ほとんど消えている。
チェックアウトをせずに、ホテルを出る。乾いてない下着…。盲腸の手術のような簡単な手術…。前金で2泊3日分払ってあるし……。
早いモーニングサービスを掻きこみ、バス待合所へ。8時20分発のバスで、医師会病院へと向かう。7月も終わりだというのに、朝の空気は冷たく、空は暗く淀んでいる。
8時45分、病院到着。すぐに病室に向かう。
408号室。1人部屋。ユニットバスとソファ付きで、差額ベッド代1日3500円。安い。
親父は、手術に備えた点滴を受けている。
「おう!早いのお!」と首を起こし、僕の方を見る。「いいから、そのまま、そのまま」と言いながら、僕はベッドサイドのソファに腰を下ろす。
天井を見つめたまま、親父の説明が始まる。今日一日の予定、どこに何があるか、それはいつ必要になるものか……。部屋の移動で収納の場所が変わっているとはいえ、相変わらずのきめの細かさだ。しかし、落ち着く。
ひと通り終えると、親父は一仕事終えたかのように吐息をし、目を閉じる。落ち着いた横顔だ。
こちらを向こうとしたのを機に、「ちょっと僕、買い物してくるね」と立ち上がる。僕に対する気遣いにエネルギーを使わせたくない。
朝の病院の廊下は喧しかった。田舎の往来にはない喧騒だった。しかし、行き交う人々がすべて、人の生命を巡って動いているのだと思うと、そこにある日常の香りが不思議だった。親父と僕、そして親父の生命が、とてもちっぽけなものに思えてならなかった。

*60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

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