昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―④

2017年01月18日 | 日記

京都駅山陰線ホーム。午後1時半。春の光を背に現れた啓子は、最後に会った夏の終わりよりもほっそりとして見えた。日差しに黄色く染まったピンクのジャケットと白のスカートが目に鮮やかだった。左手に下げたハンドバッグのすみれ色のように、啓子は大人へと花開きつつあった。

ぎごちなく言葉を交わし、僕たちはともかく北へと歩いた。まだ春浅いというのに暖かく、僕の下着はたちまち汗に濡れた。

目標にしていた四条河原町南の喫茶店に、想定していたよりも早く着いた。遅れがちに後ろを付いてきていた啓子を振り向くと、立ち止まり息を整えている。クーラーの効いた店内に入ると、僕たちは目を見合わせ、同時に大きな吐息を漏らした。

啓子は向かいに座り、バッグからハンカチを取り出した。

「暑かったですね~~」

俯き、額にきらめく汗を拭うと、まっすぐ僕に微笑む。

「ほんま、暑かったねえ」

僕はそう答えながら、まだ身に付いていない京都弁の余韻が気恥ずかしかった。そして、これから過ごす時間を埋めるべき話題を探しあぐねていた。

「でも、安心した~~~」

注文したコーヒーが届くと、砂糖を掻き混ぜながら、啓子がカップに落としていた目を上げる。初めて手紙を手渡してくれた時と同じ、はにかんだ笑みだった。

「心配してたの?」

僕が聞き返す。

「もちろん!‥‥でも、思ったほど落ち込んでないし‥‥大丈夫みたいですね。‥‥今年は、受験大変だったもんね、学生運動の影響で。……ねえ」

啓子はコーヒーを一口啜っては言葉をつないだ。

「大変とは思わなかったけど‥‥。タイミングかなあ」

本音とも強がりともつかない僕の言葉に、啓子のカップに落としていた目が上がる。言いようもなく大人びた目だ。僕は慌てて目を伏せる。

田舎を離れ東京へ出て行くということは、こんなにも女の子を変えてしまうものなのか。それともただ単に、啓子もそういう年頃だということなのだろうか。

啓子が一足飛びに大人になっていくのを間近にしている感覚が、妙に照れくさい。そして、取り残されてしまいそうな不安を感じさせる。

「シュンとしてもらうのも困るけど‥‥」

まだ熱いはずの残りのコーヒーを一息に飲み切り、啓子は大きく息を吐き出す。

僕は、コーヒーと一緒に彼女が飲み込んだ言葉を頭の中に思い描く。

“あまりショックもなく妙に明るいのも、困りものだもんね。かえって心配だし‥‥”

そう言いたかったように思える。

“僕に会うためにわざわざ立ち寄ってくれるんだ”と無邪気に喜んでいた僕は、“受験浪人かくあるべし”という目線を持つ啓子には危うく見えるのかもしれない。

「道草食うのもいいもんだよ、って言うと、もっと心配になる?」

「ううん。道草ってわかって食ってるんだったらいいんじゃない?でも‥‥今、道草必要ですか?」

「今僕が言うと、負け惜しみ?って言われそうな話やけどね」

負け惜しみというより強がりだ、と僕はわかっている。そしてそれは、きっと啓子にも伝わっているのだろうと思う。しかし、強がることはいけないことなのだろうか。

受験の失敗は僕に大きなショックを与えてはいない。それは確かだ。が、そのこと自体が、予測できた結果に対する潜在的な自己防衛によるものではないか。ショックを軽減する装置を心の中に用意しておき、軽くなって出てきたショックをもっと軽くしようと、“これくらいの寄り道はしたっていいんじゃない?道草食って楽しもうよ”と自らに言い聞かせている。それだけのことだ。それは、誰しもが多かれ少なかれ行う心理作業のはず。一種の生理現象のようなものであるはずだ。‥‥いやそれとも、それもまた言い訳というものか‥‥。

「頑張ってくださいね。来年は、お互い大学生として会いましょうね。楽しみにしてます」

啓子の毅然とした口調に、火を点けようとしていたタバコを唇から放す。激励とも取れるが、なじられているようでもある。

「そうやね。その時は東京に行こうかな。新幹線乗ってみたいし」

「あ、それいいわね。目標になりそう~~」

啓子の目が緩んだ。あどけなく可愛いい、女子高校生の目になっていた。

 

それから他愛もなく話は続いた。瞬く間に1時間が過ぎ去った。喫茶店を出ると、日差しはもう翳り始めている。

「駅まで送ろうか?」

高島屋を見上げながら少し身震いした。

「また帰ってくるの大変でしょ?京都駅行きの市電まででいいですよ」

横に並んだ啓子も、高島屋を見上げている。

一気に時間が過ぎ去ったような気がする。高島屋の影を縫って、一陣の風が吹いてくる。啓子は小さく声を上げて後ろに回り、僕のコットンセーターをぎゅっと掴んだ。僕はもう一度身震いした。

「寒くなったね、急に」

そう言って振り向く僕に、慌てて手を離した啓子は、一度合った目を伏せる。

「元気でね。女子寮やったよね、確か。楽しんでね」

僕は啓子の肩をぽんぽんと叩く。名残惜しいが、いい頃合のような気もする。

「じゃ、夏休みに‥‥」

そう言って目を上げ、啓子は“しまった”という顔になる。受験を控える者と大学生の、しかも年齢的には逆転現象と言える関係のぎごちなさが、なんとも疎ましい。

「じゃ、電停まで」

努めて明るく言って、その後は言葉を交わすこともなく、僕たちは別れた。市電の吊り革につかまった啓子の口が、窓の向こうで「頑張ってね」と二度言ったように見えた。

そうして、啓子は女子寮での新生活に入っていった。

                    Kakky(柿本洋一)

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