昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―22

2017年03月20日 | 日記

それから三日後、夜遅く、桑原君が突然やってきた。眠りに落ちる寸前だった。

窓にコツンと小石がぶつかる音に起き上がり窓を開けると、道路の中央に黒い人影が佇んでいる。桑原君だった。座り込みを誘いに来たのだと思った。

階下から先導し、静かに招き入れた。部屋に入り振り返ると、桑原君は入口で立ちすくし頭を垂れている。

「夜中にすまん。販売所閉まってるもんやから」

小さな声が震えている。袖をめくった長袖のシャツもジーパンも汚れている。

「いいから、入って」

小声で促し、そっと腕を引く。

裸電球のスイッチを入れる。灯りを受け、桑原君の顔が歪む。鼻血の痕跡がある。

「怪我してるんちゃう?」

洗面器に電気ポットの水を入れ、座らせる。水に浸したタオルを差し出す。

「いや、大したことない。大丈夫やから」

小声に力を込めるが、語尾が震えている。

「座り込みに行ってたんや」

目と目が合う。座り込み?穏やかな活動のはずでは?

「吸うか?」

タバコを差し出し、火を点ける。

「機動隊や」

ポツリと言って大きく煙を吹き出し、桑原君は俯いた。その姿が僕には意外なものとして映る。

座り込みに参加すると決めて以来、桑原君の言葉は過激な色を帯びるようになっていき、山下君を困らせ、大沢さんを辟易とさせていた。僕は、桑原君の活動家としての資質が座り込みに向かわせている、と思った。“おっさん”の一人、“長髪”にただならない興味を示したのも、その資質あってのことだろうと思った。

座り込みは過激な行動ではない、静かにただみんなで座り込む抗議行動だ、といった説明は受けてはいたが、きっとそのうちに桑原君は、ヘルメットを小脇に、機動隊との衝突を武勇伝のように語る男になっていくのだろう。そう僕は思っていた。座り込みから帰ってきた桑原君は、しかし、違っていた。

「殴られたんか?」

舌を口の中で動かしているのに気付き、覗き込む。切っているのかもしれない。

「1発だけやけどな」

「切れてへんか?」

「大丈夫……ほんまに大丈夫‥‥なんやけど……」

口を僕に大きく開けてみせた後、桑原君は黙り込む。体に受けた痛みや傷よりも大きな痛みと傷を心に負ったように、僕には見える。

 

それから、僕たちは徹夜で語り合った。

桑原君がその夜経験したことを、僕はつぶさに聞いた。桑原君がその経験を通じて何を感じ取っていったかも、つぶさに聞いた。そして、僕の質問に答えているうちに起きていく桑原君の中の変化を、目の当たりにした。

闘争の現場、最前線には主義主張など存在しないことを桑原君は痛感した。

「学生のくせに何しとんじゃ!お前ら」

それが、機動隊の先頭にいた同年代と思しき隊員の第一声だった。

「勉強だけしとかんかい!」

後続の隊員はそう言って“引っこ抜き”を始めた。やはり同年代だった。

“引っこ抜き”されないように腕をしっかり組んでいた隣の女の子が、ターゲットにされた。

「お前、どうせ恋人もおらんねやろう」

2~3人の隊員に掴まれ、座り込みから引き剥がされていく彼女に、嘲笑が浴びせられる。隊員たちの手は明らかに意図的に彼女の胸や尻を掴んでいる。

桑原君は顔を上げた。睨んだ目が機動隊員の目と交差した。

「文句あんのんか、コラ!」

腹と脛を蹴られた。激痛に思わず顔を歪めながら、蹴った機動隊員を見上げた。やはり同年代だと思われる若い隊員だった。頬を一発殴られた。

“引っこ抜き”で歯が抜けたようになっていき、リーダー格の男の指示で座り込みは終わった。引っこ抜かれた者たちが気になり、桑原君は地上へ向かう階段の途中で立ち止まり振り返った。

「早う行かんかい!」

後ろから怒鳴られた。機動隊員かと思った。が、座り込み仲間の一人だった。

四条小橋まで歩き、同行していた女の子とうどんを食べることになった。店の前で彼女は口の端から流れ出ていた血を拭いてくれた。ジーパンとシャツを軽くはたいてもくれた。店では向かい合わせに座り、きつねうどんを注文した。口の中の傷にうどんが沁みた。彼女に、これまでの座り込み経験をたっぷりと聞かされた。彼女は近くの下宿暮らしだということがわかった。

「官憲に追われた時は逃げてきていいわよ」

時間を掛けて食べたきつねうどんの最後の一筋をすすり終わると、彼女はそう言って微笑んだ。

「じゃ、またね」

うどん屋の前で言い交わし、手を振って別れた。

歩き始めると脛がひどく痛んだ。祭りの夜、喧嘩に巻き込まれた時の痛みを思い出した。

「売り言葉に買い言葉で始まる喧嘩と一緒やないか。て思うてなあ。馬鹿々々しさと悔しさで泣きそうやったわ」

桑原君は苦笑いをした。そして、苦笑いを微笑に変えると、こんなことを言った。

「あんなお祭りより、宵山の方が絶対ええと思うで。楽しんできたらええんや」

                  Kakky(柿本洋一)

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