幸助の日記
中学2年の新学期が始まった直後、幸助は学校の帰り道、“お前の親父偽物らしいな”と言われる。“どういうこと?”と訊き返すが“そういうことだよ”と言われ、そのまま押し黙った。その後二度と同じような言葉を聞かされることはなかったが、義郎は本当の父親ではないのでは、という疑問は膨らんでいった。
その後何度か“お前の親父偽物らしいな”と告げた同級生に事の真偽を尋ねたが、彼は“いいじゃないか、どっちでも”と言うだけだった。だが、他の同級生に尋ねるわけにもいかず、幸助の中の疑問はただただ膨らみ続けるだけだった。
“どっちでもいいや。本物でも偽物でも。後戻りできないんだもん。でも、ずっと内緒にされてたことには腹が立つ。お母さんはどう思ってるんだ。よく知らんぷりでいられるよ。恥知らずだ!”
“お父さんは僕が自分の子供じゃないって知ってたんだろうか。お人好し過ぎる。というか、いい加減過ぎる。いいんだろうな、あの人は。お母さんに対してもちゃんと意見言わないし。頭が単純なんだ。お母さんは人をだます人に見えないけど、結局だましてるんだ。キリスト様なんて言ってるけど、もう信用しないぞ!”
“遺伝のこと調べた。優性と劣性があるみたいだ。僕は劣性の塊だろうか。知らないおっさんの劣性と隠し事が平気なおばさんの劣性が一緒になったらどうなるんだ。僕の未来、暗いぞ!マイナスとマイナスを掛けるとプラスになるようなこと、遺伝にもあってくれ!”
“もう普通に話ができない。ニコニコされるとよけいだめだ。二人の顔をまともに見れない。不潔だ。いやらしい。家出したい!”
幸助の戸惑い乱れていく心に触れ、優子は震える。
「ごめんね」と言おうとしたが、嗚咽になってしまう。幸助は、優子の手にあった日記を手に取る。
「ここまで読んだんだとしたら、親父はどう思ったんだろうなあ。僕だったら居ても立ってもいられないなあ。……お母さん。泣いてる場合じゃないよ。今は親父のこと考えなくちゃ。ね!行動しなくちゃ。諦めてないんでしょ!?」
幸助にたしなめられるが、優子に立ち上がる気力は生まれない。幸助にかける言葉も見つからない。膝の上で握っていた手を伸ばし日記を奪い返すと、幸助が身を寄せて一緒に覗き込む。続きを読もうとしたが、ページをめくる手はゆるゆるとしか動かず、文字は涙にぼやけて読み取れなかった。
「もっと読みたいんだったら、もうそこらへんはいいから、ここのところを読んで」
幸助のやさしい言葉と腕に触れたぬくもりに、優子の涙は止まらない。
「親父もここまで読んでくれてたらよかったんだけど……」
幸助の手がページをめくる。それまでのページより文字が大きくなっている。
「ここ読んで。ここね」
幸助が指差した箇所に目をやる。
「ここ読んでくれたらよかったんだよ……」
フっと吐き出された息を頬に感じ幸助を見ると、俯き涙をこらえている。優子は涙を拭い、幸助の指先あたりの文字を追う。
“もう考えないことにした。親父が飛び込んだ後に飛び込んですっきりした。水の上に上がっていく親父はカッコよかった。追いかけて上がりながら、泣きたいくらいうれしかった。大事にしてくれてるんだって思った。親父もいろいろ悩んでたんだなあって感じた。ずっと一生懸命水の上を目指してたんだって思った。もういいよ。親父。僕の遺伝子が誰のものかなんてもう考えない。親父は僕と同い年の頃お父さんが死んで、松が淵に飛び込んだんだってね。今日初めて聞いたよ。悲しかったんだね。今日も悲しくて僕を連れて行ったんだね。もう大丈夫。お母さんの口癖だけど。もう大丈夫だよ。松が淵に一緒に飛び込んでくれて、本当にうれしかったよ”
義郎が珍しく幸助を力づくで連れ出した夏の日を、優子はまざまざと思い出す。二人が連れ添って帰ってきた時の、照れた仕草も蘇ってくる。
「幸助。お父さん探そう!」
優子の身体に突然力が漲ってきた。日記を握りしめ、立ち上がる。
「うん。諦めちゃだめだよね。探そう!」
幸助も立ち上がった。
次回は、11月13日(水)予定 柿本洋一
*第一章:親父への旅http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7
*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981
*第三章:石ころと流れ星http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/0949e5f2fad360a047e1d718d65d2795
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