昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第三章“石ころと流れ星”(短期集中再掲載)   40.それぞれの清算

2013年03月25日 | 日記

それぞれの清算

桑原君がドアを開けると同時に、柳田が身を屈めて忍び寄ってきた。僕達をすり抜けるように外に出て、唇に指をあてる。それを合図に、三人は額を寄せて輪になった。

「どうもすんませんでしたねえ、ママの件では。ちょっと、これだけはお知らせさせといてください。実は、その風呂敷包み、ママ開けはったんですわ。中にもう一つ風呂敷包みがあって、それ開けると木の箱があったように見えたんですが、その上に手紙があったみたいで……。桑原さん、知ってはりました?」

獏たちは、柳田の声を潜めた早口に、身体を傾け耳をそばだてていたが、彼が一息ついたのをきっかけに、身体を起こし目を見合わせた。

「俺は、一回も開けてへんで」

桑原君は、僕と柳田に向かって、まなじりを結してみせる。

「いやいや、別に桑原さんがどうのこうの言うつもりやのうて、その手紙を読んだ後、ママが急に機嫌悪うなったもんで……」

そう続けて、柳田はドアを振り返る。

「小杉さんからの手紙ちゃうかなあ」

僕が、確信を持ってそう言うと、二人は同時に頷いた。

「それは間違いないですわ。ママ、読み終わってすぐ、“小杉~~~”て呻くように言わはって、手紙ビリビリに破かはりましたから。その後、あんなこと急に言わはったでしょ?なんやったんやろう、あの手紙。小杉さん、何書かはったんやろう、思いまして。何か知ってはったらと……」

柳田の真剣な眼差しには、夏美さんを気遣う想いが溢れている。桑原君は、首を捻るばかりだ。

「もう戻らないと。ほんまに、すんませんでした。これに懲りず…」

と柳田が身を屈め、薄く開けたドアに潜り込むのを見送り、僕達は改めて目を合わせた。

「小杉さん!まったく!もう~~」

桑原君は呻き、地を蹴った。そして、俯いていた顔を上げ、意を決したように歩き始める。鴨川方面に向かう早足に追い付き肩を掴むと、くるりと振り向き「捨てる!」と吐き捨てた。

あさらに足を速める彼に、少し距離を置きついていく。足を止めたのは三条大橋のたもとだった。風呂敷包みを開き、その中身を川面に投げ捨てるのだろうと見ていると、予想に反して、橋の下の土手側にある小さな手作りの小屋に向かって行く。

僕は急いで近付き、彼を止めようとした。その小屋の住人を知っていたからだ。そこに暮らすテッちゃんは、高瀬川沿いの飲食店から出される残飯をいつも一緒の野良犬と分け合って生活している、穏やかで人懐っこい男だった。いくつかの飲食店の顔馴染みの従業員は、お客の食べ残しを彼のためにパッキングしてくれてさえいた。

酔った勢いで仲良くなり、飲み屋から出された空き瓶の底に残っている酒を集めた、テッちゃんの言う“カクテル”を飲ませてもらったこともあった。

そんなテッちゃんが巻き込まれることになるのを、僕は恐れた。

「桑原君!……桑原君!」

大きくはないが強い声を背中に掛けたが、間に合わなかった。桑原君は、入り口の茣蓙を持ち上げ、中に誰もいないことを確認するや、風呂敷包みを投げ込んだ。もう少しで彼の身体に手が届く、というタイミングだった。

逃げようと勢いよく向きを変えた桑原君と、僕は正面衝突した。腹の奥の方から鈍い怒りが一瞬にして湧き上がってきた。

「なにすんねん!」

ぶつかった身体を引き離そうとした左手が、彼の胸ぐらを掴んでいた。

「……」

首を引き一瞬黙った桑原君の右の拳が、突然僕の左顎を襲った。視界が白くなったと思うと、僕は転倒していた。僕の中の怒りは沸騰した。

桑原君の両足をタックルし、仰向けに転んだ彼に掴みかかった。しかし、腰に馬乗りになったところで、戸惑った。彼の抵抗する力はなく、そんな彼に何をすべきかわからなかったからだった。彼から降り、立ち上がった。桑原君も、のっそりと立ち上がる。

来た方向へ歩き始めると、少し後ろをついてくる気配がする。前後が逆になってはいるが、“ディキシー”を出てからずっと、僕と桑原君は同じ距離を取っているような気がした。二人の距離が接近したのは、掴んだり殴られたりした瞬間だけだったことにも気付いた。

気まずく歩き三条大橋の上に出ると、真ん中辺りで桑原君は立ち止まった。渡り切る直前に気付き、僕は駆け寄った。

「なんや、飛び込む思うた?」

僕の駆け寄る勢いに、振り向きそう言った桑原君の顔には微笑みがあった。

「そんなこと思わへんかったけど…」

左顎が痛く、それ以上喋ることができない。

「痛いか。すまん。思わず出てもうたんや。痛い?とんだとばっちりやったなあ」

顎を押さえ俯く僕を覗き込む桑原君の息を右頬に感じる。

大丈夫、と言おうとしたが、痛い。代わりに、首を振った。

「送ってくわ。ほんま、ごめんな」

彼に肩を抱かれ歩き始めた。桑原君のセーター一枚の身体を温かく感じた。一旦透明になった僕の身体に、また人らしい血の温もりが戻ってくるようだった。沸騰したはずの怒りもいつの間にか鎮まり、四肢の先から消えていったようだった。

 

下宿に桑原君を連れて行き、電熱器で沸かしたお湯で紅茶を淹れた。コタツに入り、向かい合わせで紅茶を啜っていると、桑原君と語り合った新聞販売所の夜が蘇ってくる。

「あれから3年経ってへんのやなあ」

ポツリと漏らす桑原君の思いも同じようだ。

「2年?やろう」

過ぎた年月を計算してみるが、わずか2~3年があやふやで自信がない。様々なシーンが連なって思い出され、その一つひとつがつながりもなく漂っている。

「濃淡キツイなあ、思い出してみると」

桑原君が、またポツリ言って、紅茶を飲み干す。

もうどうでもよくなりかけていた風呂敷包みや小杉さんや夏美さんや、そして奈緒子のことが再び色濃く思い出されてくる。

桑原君をタックルした時に潰れてしまったハイライトを取り出し、ぺったんこの一本を咥え、桑原君にも一本差し出した。

大きく最初の一服を吸い込むと、また顎が痛んだ。口の中も切れているような気がする。少し鉄の匂いのする生唾を飲み込んだ。

「すっきりしたはずなんやけどなあ。一瞬やったなあ。こうやって暖かい場所にいると、思い出してまうなあ。そもそもやなあ……」

桑原君は、僕が痛みにしかめた表情に気付かないふりをして、話し始めた。

次回は、3月27~28日頃を予定しています。

*第一章:親父への旅 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/84e40eba50c5c6bd4d7e26c8e00c71f7

*第二章;とっちゃんの宵山 http://blog.goo.ne.jp/kakiyan241022/e/f5931a90785ef7c8de01d9563c634981


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