昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―⑪

2017年02月01日 | 日記

ある朝突然、とっちゃんは、“おっさん言うてたわ”を枕詞に話を始めるようになった。そして、その様子にそこにいた全員が驚かされた。とっちゃんの目は輝き、言葉には起承転結があり、しかもその語り口が熱を帯びていたからだった。

とっちゃんが帰るやいなや、“おっさん”とは一体誰なのかに、僕たちの話題は集中した。

おっちゃんは販売所の所長、おばちゃんはその夫人、おばはんは母親。では、“おっさん”は一体誰なのか。

おっちゃんに聞いてみても、

「とっちゃんは、母一人子一人やから、“おっさん”いうのは、近所の人やと思うんやけどなあ」

と、はっきりしない。しかし、“おっさん”がとっちゃんにとって特別な存在であることは、その話しぶりから明らかだ。

カズさんに聞いても、

「いつも行ってる銭湯で会う人ちゃう?」

と、はっきりとはしなかった。

そして、翌朝からもとっちゃんの“おっさん”の話は続いた。

僕たち3人は、“おっさん”の話題で盛り上がった。とっちゃんから聞こえてくる“おっさん”の言葉には、不思議が一杯詰まっていたからだった。

 

 “おっさん”の話をする時のとっちゃんは、いつも誇らしげだった。 “お前らより一つ賢くなったで”と言わんばかりに顎はいつもより突き出され、ブゥと吹き出すタバコの煙の量と勢いも増していた。

「“おっさん”言うてたわ。おばはんとわしは、ドーシなんやて。ドーシいうのは、友達より強いんやて。‥‥ほんでな、甘えたらあかんのやて、ドーシは。タイトーなんやて。わかるか?」

「“おっさん”言うてたわ。おばはんとわしはドーシなんやから、“これは、おばはんのもの”“これは、わしのもの”いうのもあったらあかんねんて。ほんでな、“とっちゃん、小さい頃からずっとおばはんの金使うてたんやろ?せやから、おばはんがとっちゃんの金使うてもしゃあないやんか。ドーシなんやから気にしたらあかん”て言うんやけど、わし言うたったわ。“それは、できん!おばはんが全部使うてまうがな”いうてな。タイトーいうのもめんどくさいもんなんやで~~」

私的所有権など意味がない、と“おっさん”は言いたかったのだろうか。それともシンプルに、母親がとっちゃんのお金を使うのはしょうがないことだなんだから許してあげなさい、とでも言いたかったのだろうか。

「ほんでな。“おっさん”言うてたで。銀行は盗人ばっかりやから、気いつけなあかんて。汗かいてるわしの方が銀行よりよっぽど偉いねんて」

さりげなく耳を傾けていたおっちゃんだが、銀行の話になった時には、とっちゃんの話を遮った。

「“おっさん”の言うことはようわかる。せやけどなあ、とっちゃん、給料どないしてるんや?もう銀行預けてへんのか?預けた方がええんちゃうか~~?」

とっちゃんはすかさず、

「心配せんでええ。もう、ちゃ~んと考えてあんねん!」

と、タバコを挟んだ人差し指でこめかみをとんとんと叩いて見せた。

そして、タバコに火を点けると大きく吸い込み、ジュボっと勢いよく口から引き抜いた。久しぶりの大きな音だった。

「そうか~~。せやったらええけどな」

おっちゃんは引き下がらざるをえなかった。

販売所のみんなは、少しホッとした。とっちゃんの中でどう整理されたのかはわからないが、通帳に関する悲しい事件のショックは多少収まったように思えたからだった。“おっさん”のおかげだった。

それからもほぼ毎朝続いた“おっさん”の話には、次第に意外な話題も含まれるようになっていた。

「“おっさん”言うてたわ。“何でも最初はぐちゃぐちゃにやってみるこっちゃ”てなあ」

「“おっさん”言うてたわ。“動かなあかん。動かな何も変わらんで~~”てなあ」

「“おっさん”言うてたで。“捨てられる時に捨てとかんと、後からしんどなるで”ってな」

「“おっさん”に言われたんや。“とっちゃん、今のまんまでええんか?”てな。そう言われてもなあ」

「“おっさん”から聞いたんやけど、サクシュて知ってるか~~?グリグリ。どうや?」

…………

なかなか刺激的な内容も含まれている話に、僕たちの“おっさん”への好奇心は否応なしに膨らんでいった。

 

それから数日後の朝。とっちゃんの変化は鮮明な形で現れた。帰り際に、突然こんな宣言をしたのだ。

「グリグリ~~~、すまんなあ、わし、もうグリグリの将棋の相手できひんわ」

「え?!なんで?それは寂しいなあ」

僕はいかにも残念そうに驚いてみせる。

「将棋止めてん、わし」

「なんで?」

もう一度訊く僕に反応することもなく、とっちゃんは帰って行った。その後姿には、母親への不信と怒りから解き放たれた明るさが感じられた。

とっちゃんを見送った後の販売所はざわついた。

「将棋に使う時間とエネルギーをもったいないとでも思うようになったんやろうか?もしそうやったら、“おっさん”の影響力やなあ。すごいなあ」

桑原君の関心は“おっさん”に向かい、

「考え始めるいうのはええことやけど、偏った考えにならんようにしてくれへんと‥‥」

大沢さんは、先行きがちょっぴり心配で、

「給料どないしてんねやろう?」

おっちゃんは相変わらず、とっちゃんのお金の管理方法が気になってならないようだった。

一人カズさんだけは、とっちゃんが出て行ったドアを見つめたまま、何も語らなかった。

                   Kakky(柿本洋一)

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