昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

とっちゃんの宵山 ⑤

2016年07月29日 | 日記

4月になった。

勉強しなければ、と思う心に反して、気力は生まれてこなかった。このまま気力なんて喪失してしまうのではないかとさえ思うほどだった。寝転び天井を見つめまどろみ、想い浮かべるのは、初恋の人とのごくわずかの時間と、啓子と過ごした2時間のことばかり。突然背中を突き抜ける不安に目覚めても、身体は敷きっ放しの布団の上にだらしなく沈みこんだまま、という状態に陥っていた。

啓子に返事を書いた。伝えたいことがはっきりしていたわけではなかったが、伝えておくべきことはあると思った。書き終わったのは明け方だった。

しかし、うたた寝から覚めて読み返してみて、ひどくがっかりした。そこには、冷静を装うプライドと自己撞着が繰り返されているだけだった。破り捨てようと手にかけたが、思い留まった。ひょっとすると、今の僕を最も鮮明に映し出している手紙じゃないか。啓子はこれを読んで、それでも、今の僕を受け止め応援してくれるだろうか。それを見届けることが、この手紙が持っている意味ではないか。と思ったからだった。

思い切って投函して4日後、返事は着た。投函後、思い出しては自己嫌悪に陥っていた箇所や、僕のプライドや自己撞着はさらりとかわし、女子寮と女子大という、共学育ちの啓子には無縁だった世界のおもしろさが綴られていた。そして、アナウンサーになる夢に向かっていく自らの決意と、僕への激励で締められていた。

読み終わった時、僕はいささか不満だった。僕が行間に込めたはずの啓子への好意や、京都で過ごした一緒の2時間に触れられていなかったからだ。さらには、僕のプライドや自己撞着をさらりとかわした、その背景に“今の彼は普通の感情の状態ではないのでは?”という疑念と気遣いを感じたからでもあった。それは、喫茶店での会話にもそこはかとなく感じていたものでもあった。

これではいけない、と僕は思った。二人で一年育んできたはずの関係と、僕自身の中に芽生え育ちつつある啓子を愛おしく想う心が萎んでしまう、と思った。僕はその夜、また手紙を書いた。

“僕は、高校生であろうと浪人生であろうと、たとえ大学生になろうと、僕自身として変わることはない。そう思っている。持ち物や環境や肩書きで人に対する感情が変わるようだったら、その感情は人に向かっているものではないと思う。僕は、高校生だった君も京都に立ち寄ってくれた時の君も、そして来年東京で会うことになるはずの大学生の君も、変わらず気に掛け続けると思う”。そんな趣旨のことを書いた。

そして、一度読み終わり、最後に“と、今は信じています。”と書き足した。書き足してすぐに後悔したが、そのまま封筒に入れ、念入りに糊で閉じた。

銭湯の先のポストに投函すると、パサリと落ちる音がした。思い切り投げた小石が遠くの川面に落ちたような、微かな音だった。波紋は小さく、こちらの岸までは返ってこないような気がした。

案の定、すぐに返事は来なかった。じりじりと10日間待った。そして11日目の午後、もう返事は来ない、と思うことにした。しかし、そう思おうとすればするほど、憶測が憶測を生み、僕を苦しめた。

翌日、僕はもう一通手紙を書いた。書き始めたのは“夜明けのスキャット”が流れ始めた頃。書き終わると、深夜番組も終わっていた。しかし、その手紙を僕は投函しなかった。翌朝読み返し、投函できる代物ではないと思ったからだった。

その手紙は、啓子のことを語っているようで語っておらず、理解しようというよりも理解して欲しいという身勝手な要求だけに満たされていた。自己憐憫や羨望が根拠のないプライドに包まれているようにも読めた。

それも、すべては僕の身体の芯が定まっていないからだ、と僕は思った。心の寄る辺がなく、視線を注ぐ確かな対象がないからだ、と思った。ふわふわと流れながら、取りつく島を漠然と探す小枝のようだ、と思った。僕が彼女だったら、こんな手紙の主は手紙と一緒に千切り捨てることだろう……。僕は、一人遊びのパズルが解けず苛立っている子供のようだった。

それから一週間、電気ポットの水と食パンとココナッツサブレを枕元に、ほとんど外出をすることなく過ごした。するとやがて、頭の中で渦巻いていた言葉の束が“自立”という2文字を形作っていた。

“そうだ!自立だ!自立すれば自律にもつながるはずだ!仕送りも断ろう!”

僕自身の中に起きつつある、この変化の兆しを逃してはならない。そう決意して行動を開始した。その直後に出遭ったのが新聞配達だった。

自堕落な生活が身に付いてしまっている僕の心配はただ一つ。起床時間だけだった。が、それをもっと心配してくれたのは、下宿のおばあさんだった。新聞配達を始めることを知り「ちゃんと起きるんやで。頑張ってな」と励ましてくれた彼女は、初日の朝、悪い足を引きずりながら二階まで起こしに来てくれた。

そのお蔭で、初日から遅刻という失敗をすることもなく、カズさんの指導を受けながら、僕の新聞配達はスタートした。

        Kakky(志波郁)


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